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菱川師宣の墓所

浄土宗琳海山別願院。
鋸南町の菱川師宣生誕地の近くにある寺だ。
ここに、浮世絵の元祖とされる菱川師宣が眠っている。

師宣の父の三十三回忌に大梵鐘が寄進された。

レプリカが、
道の駅きょなん敷地内の菱川師宣記念館にある。

なぜ、レプリカ?

別願院は『靈巖上人伝記』曰く、一寺もない保田の地に一村評議して堂宇造営を願い出たことで、元和4年(1618)冬より翌春にかけて落慶したのが始まりとされる。菱川師宣が父の三十三回忌の為に大梵鐘寄進をしたのは、本人が亡くなる少し前。
その後……!
元禄16年(1703)11月23日に発生した元禄大地震、内房の沿岸を大津波が襲来。家屋一切を押し流し、重い梵鐘だけが寺のあった場所に残されたとも云われる。その後も被災が続く。寛政3年(1791)9月4日の台風及び大津波により堂宇・什物はすべてが流出した。明治40年(1907)の保田大火により類焼。そして大正6年(1917)10月1日には台風による被災。
昭和以前の三度の災害は、菱川師宣一家のみならず地域の古記録を後世に残さなかった。

ここまで家屋の損壊消失が記録されているが、梵鐘は存続している。関東大震災にも耐えた。
なら、どこへ?

大東亜戦争の金属供給により、二度と戻って来なかったのだそうです。
戦争は、罪なことを平然としてのける。
ゆえに、レプリカなのです。

文化も歴史的偉業も震災の前には敵いません。

元禄バブル崩壊のきっかけとなる大地震。
321年前、この暗い海が牙を剥いて保田を襲った。
それはいつの時代でも、繰り返されるかもしれぬ天の配剤。試練です。
菱川師宣は死して尚、後世の人に問いかけているのかも知れません。

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