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捕鯨を禁じる側の視点を少しだけ読み解く

日本の捕鯨を禁じる活動をする側の声を聴いていても、正直、日本人で捕鯨を理解する側の人間には益などない。
しかし、それでは紳士的ではないから考察する。
あくまでも個人的な見解であり、彼らと違って尊厳を踏みにじる批判を目的とするものではないので、過度な非難はご無用に願います。

日本人はクジラ以外にも命あるものの精霊を尊ぶ歴史がある

非政府の環境保護団体グリンピースという名前はよく知られる。
基本的に彼らは海洋生態系全体を扱っている。近代捕鯨に対し反対の態度を示しているが、生存捕鯨は100立場も示している100%でNOという訳ではなさそう。目的を達成するためには手段を選ばない過激さの印象をビジュアル的に取り上げられるが、地球環境に目を向けるという意味では「絶対悪」ともいえない。70年代は海洋核実験に反対するなど、やっていることを一々否定は出来ないと個人的には思う。
シーシェパードになると、一転して海洋テロの一面も否定できない過激さが目立つ。
では、どうして彼らは捕鯨を禁止させたいのだろうか。

商業捕鯨モラトリアムという言葉がある。

商業捕鯨を一時停止すること、およそ10年。
当初、国際捕鯨委員会(IWC)は、捕鯨というテーマに科学的根拠がないとしてモラトリアム実施を否決した。すると反捕鯨の立場でIWCに新規加入する国が突然増加してしまい、1982年商業捕鯨モラトリアムを採択した。その結果、商業捕鯨は一時停止。一時、である。

日本の捕鯨が反捕鯨国から批判されてきた最大の理由はふたつ。
① 南大洋保護区である南極海で300頭を越えるクジラを獲ってきたこと。
② 調査捕鯨と言いつつ実態は商業捕鯨で、「科学」を隠れ蓑にしていると見られてきたこと。

しかし、その後の調査によって、クジラ頭数が回復していることが確認できた種類のクジラに限定して、どうにか商業捕鯨を再開したいという意思を日本はIWCに求めた。
これまで日本人も思い込んでいた、「クジラは絶滅危惧種」のまやかし。そう、減っていなかった。
が。
捕鯨に反対する国にとっては、そんなのカンケーねえ。
鯨の資源状態に関係なく1頭たりとも獲るべきではない
IWCはクジラを気持ち悪いほど神格化しているものか、保護のみを目的とした組織に進化(日本からは退化)しており、商業捕鯨のモラトリアムの解除に繋がる行為は一切認められない。いや、絶対に許さない……!
日本はIWCに留まる限り、捕鯨再開の可能性は無いことを明確に理解した。
存在する理由のないことを知った。
そのためIWCを脱退し、調査捕鯨をやめ、自国の経済水域内で商業捕鯨を再開する選択に至ったのである。

クジラ(一部種)が減少した理由は、西洋諸国側にある。
もともとは
「鯨油をとる」
という目的で捕鯨を続けてきた欧米諸国は、捕鯨対象としたクジラをつぎつぎと絶滅に追い込んできた。特に灯火の燃料や機械油に、クジラからとれる油を利用するために乱獲した。
日本人は捕り尽くさず、足るを知る者は富むを実践する。
しかし世界の殆どは、貪欲で傲慢で、無くなってから大事なものに気がつく哀れな側面を有する。

日本の開国をせまったペリーの目的も、捕鯨基地の港を確保すると云うのが第一目的。交易だの近代化の扉だの、調子のいいことを並べ立てた我々の習わされた歴史とはてんで違う、不都合な真実である。

世界の世論とは「圧倒的に欧米の世論」。IWC加盟国をみても、反捕鯨国は48か国、利用支持国は40か国とあまり変わらない。
反捕鯨論は推し並べたように
「残酷な漁」
を強調している。しかし、皆さんはご存じないでしょうが、日本鯨類研究所によると「鯨の捕殺は即死か致死時間2分以下」。残酷さは否定しないが苦しめない努力もしている。
でも、そういう問題じゃないんだ。
奴らにとっては、クジラを捕る行為そのものが「悪」という前提でなければ成立しない何かがあるのだろう。

「The Cove」という映画がある。

「日本のイルカを救いましょう」というスタンスが映画の骨子だ。
目的は達成され
「日本人はかわいいイルカにひどいことしているというメッセージ」
というプロパガンダ映画になってしまった。欧米人にはなぜか絶賛で、反捕鯨にまで拡大されている。
その流れは意図的かどうかは知らない。
ただし、通常の映画(「パールハーバー」や「オッペンハイマー」)でも、欧米は意図的に、ある周期で反日感情を操作する上映をする。日本公開版は内容違うからね。
このことは欧米の通常運転だから、反捕鯨への誘導があってもおかしくはない。

鯨を好んで食べる日本人は、圧倒的少数派だ。

たしかにそうだろう。
日本の食糧事情をまったく理解していない、食物残渣に罪悪感のない日本人にとって、そのことを深刻に受け止める者は少ない。
しかし、食糧のない時代に日本人を支えてきたのは、ビーフでもポークでもない。クジラだったということ。
そんな時代と現代が、背中合わせのあやふやさがある現実を、日本人は理解していない。日本の食糧自給率をたまには情報として取り入れて、マジかよと震えてね。

IWCの科学委員会は
「鯨資源包括的評価の結果、南氷洋のミンククジラは76万頭と認め、現在の管理方式に基づけば、百年間に毎年最低2000頭から4000頭を捕獲することが資源に何の問題も及ぼさず可能である」
と公表している。結果として、アメリカ海軍の軍事演習により、クジラが死に至ることも隠しきれないところにある。
駆除は是で、食に至る行為を非と定めたのだな。

捕鯨を禁じることだけが大前提で、反捕鯨の柱は出来ている。

日本の都合は、もうそこには存在しない。
IWCを脱退した日本は、いいタイミングで、行動に移したことになる。
そして、IWCは日本が脱退したのち、財政難に困窮している。本来、IWCというのは
「捕鯨国のよりよい捕鯨をするための組織」
だった。だから日本も我慢して資金を出していた。
その後どんどん非捕鯨国を取り入れクジラを取らせない組織になったから、日本は脱退した。筋は通る話である。

反対する側にある理由や都合を日本人が理解できないように、
日本人の云い分にも理解できない欧米人がいる。
分かりあうことだけが、解決できる道ではない。

ただ信じるもののために。
「真潮の河」は生きていくための手段を捕鯨に求めた、江戸の人間たちの物語なのである。
その時代の捕鯨は、命を頂戴して糧だけではなく生活や文化や政治にも無駄なく生かされた。今日は代替のプラスチックや鉱物やセラミックなどがあるから、クジラの副産物は不要と思われがちだ。これも資源なのだと、目を向けていいのではという願いも、作品に込めている。

だめだ。
反対している側に寄り添いきれなかった。
すまん!


10月17日スタートにして、主人公・新兵衛は11月22日にやっと登場です。