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異形者たちの天下最終話-5

最終話-5 逢魔ヶ刻に傀儡は奏で、木偶が舞う

 当の本人たる家光は、将軍になろうがなるまいが、そんなことは何処吹く風で、周囲の大人たちが目まぐるしく立ち振舞う体に
(人とは心で動くものに非ず、ただ肩書きだけで態度を変えるものなり)
と、冷ややかな視線を浴びせていた。彼にとっての人間洞察は
「将軍の跡継ぎ」
という物差しで測られたものである。
 父も、母も、弟も、所詮は己の味方ではない。常に己の死を望んでいる連中であると、家光は感じている。その理由は判らないが、肉親の情に薄い家光はその反動からか、親と弟への憎しみさえ感じていた。
(儂のことを心から案じる者は、ただ一人……!)
 それが乳母のお福であった。そしてお福を常に援助してくれるのが、南光坊天海である。家光はお福にだけは、心底、敬いの心を忘れていない。そのお福は、天海を父の如く敬っている。
 不思議な信頼関係であるが、事実であった。
 その天海が振り翳す家康の置き文の前には、秀忠は無力であった。その無力にしているシンボルが、東照宮である。神となった家康に逆らうことは、天下に大罪を宣言するに等しい。
 天海は家康の遺志の遂行人として、その代行を行っているのである。
 幕臣の誰もがそれを認知しているから、秀忠がそれに抗うことは、絶対に出来ない。その遺志が、家光を後継者にしろと宣言している。その遺志に傾いた幕臣は、秀忠の焦燥など日和見の傍観だ。
 家光は彼らを信用していないが、秀忠はもっと信頼していない。
 そもそも思慮に欠けて残虐な秀忠は、腹心と呼べる者しか心を許せず、信じようとはしないのだ。特に、心のままに暗殺を請け負ってくれる柳生宗矩には絶大の信頼を寄せていた。
(いっそ家光を殺してもらおうか)
 秀忠の脳裏に残忍な本性が過ぎった。
 その実現を決意するまで、さほどの時間は要しなかった。柳生宗矩は江戸城内での暗殺を用いるにあたり、侍女に扮した刺客が相応しいと判断した。が、この暗殺は、絶えず家光の身辺を監視するお福のために、失敗に終わった。
 このことがいよいよ秀忠の立場を悪くさせた。
 柳生が独断で動けないことを皆は知っているし、その黒幕は秀忠以外にないことも周知のことである。家光を擁する組織が秘密裏に結束を固めてしまい、いよいよ秀忠は窮した。
 天海は年の功で、追いつめられた匹夫が何をしでかすかを
「経験的に」
知っていた。だから、程なく秀忠に
「武家のことは手に余りましょう。いっそ大御所としてゆるりとなされながら、公家どもに睨みを効かせなされ。まずは和子姫の入内を実現なされば、帝の外祖父として御所も鼻が高うなりましょうぞ。難しき政治向きは家光殿と幕府の者どもに任せておけばよろしいではありませんか」
と囁いた。公武一和の懸案はこれまでも幕府内で議論を交わされていたが、秀忠は娘を持つ父親の心境のみで
「反対」
してきたのだ。
 政治的判断ではなく、私的判断でしかない。既に将軍失格なのである。これが実現すれば、幕府は朝廷の上位に立てるというのに、先々の見通しは秀忠にはない。
 幕臣たちにとっても、これは是非とも実現させたい策謀なのである。天海はこのことを円滑に遂行させるために
「大御所」
という楽隠居な看板をちらつかせるとともに
「帝の外祖父」
という餌をぶら下げた。
 過去の歴史を紐解けば、平清盛の先例がある。御位の高き者を屈服させたいという征服欲は、秀忠の関心を大いに擽った。もちろん天海にとってもメリットは大きい。何よりも家光に対する秀忠の
「関心を逸らせる」
ことが出来る。天皇家が絡んでくれば、強欲な江与もそちらに心が傾くだろう。その間に家光を将軍後継者として盤石に仕立てれば、あとは朝廷工作で何とでもなる。
(過ぎたる追いつめは暴発に至るでよう。儂がそのことを、よう知っている。凡庸な男ほど飴と鞭を巧みに用いねばのう)
 天海の瞳が、悪戯に細く笑った。

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