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異形者たちの天下第4話-1

第4話-1 大坂という名の天国(ぱらいそ)

 徳川勢の陣触れは諸国に布告された。
 譜代家臣団はもとより関ヶ原に出遅れた者たちも
「今度こそは」
手柄を立ててやろうと躍起になった。
 特に江戸の将軍・徳川秀忠は面目躍如の時節到来に逸った。関ヶ原では遅参という大失態を犯し、天下に無能の指揮官という苦い経験がある。その汚名を注ぐのは合戦場以外にない。
 さりとて無能という事実も拭えない。この日のための用意を秘密裏に整えておかなかったことで
「兵糧に事欠く有様。暫しお待ちあれ」
と本多正信に押し留められる一幕すらあった。
 それよりも秀忠の無能ぶりを
「これほどまでに」
と本多正信が痛感したのは、江戸に軟禁するはずの福島正則・黒田長政・加藤嘉明の監視の手筈が為されていなかったことだ。目先の利にすっかり惑わされて足下すら見ていないのである。
 このことを諌言されて初めて気付くその始末に、つくづく正信は
(なんで大御所は、このような阿呆を将軍にしたものか)
と、今更ながらに呆れるのである。江戸留守居役の松平上総介忠輝が到着すると、本多正信は留意点を箇条書きにした書付を託しながら
「江戸の府内には大坂と歩調を合わせて焼討ちせんと企てる輩が潜んでおりまする。これらの動向に目を光らせて下されば、留守居もさほどの務めではありますまい」
と囁いた。
「佐渡」
「は」
「登城の途でちらと見たが、福島左衛門尉の屋敷は物々しいな。あれでは居場所を教えるようなものではないかね。警護に留意するならこっそりと奴の居場所だけ移したらどうだ」
 道理だ。
 身柄を移しておけばいざ奪還の騒動が起きても安心だし、何よりも
〈こっそり〉
という点が重要だった。
 本多正信は惚れ惚れと忠輝をみた。
 さすがは伊達政宗も肩入れする婿だと痛切に覚えた。そして将軍が無能で凡庸な秀忠でなく、この忠輝だったらと、つくづく思い知らされた。家康の真意が傀儡将軍なのだとしても、次の代の治世を考えるなら
(再考して然るべし)
 天下の先を見据える陪臣としては、このことは大事である。何故、家康はこの事実を理解しないのか、その真意を正信は計りかねるのであった。
 
 一方大坂城もまた、徳川の動きに色めきだった。
「亡き太閤への恩義を忘れぬ忠臣は、豊臣の下へ走るべし」
と、淀殿は叫んだ。このとき大坂城の中核を担うのは、あくまでも淀殿とそれに依る女官、そして大野修理亮治長・治房兄弟や木村長門守重成といった面々である。少なくとも、断じて豊臣秀頼ではない。彼女ら中核派にとって秀頼の総帥権は無用であった。何よりも秀吉の遺児という旗頭さえあれば、人は黙って従うもの、という誤解をしていた。その誤解の上に成立している組織の頂点で陶酔している感すら覚える。
 しかし馳せ参じる者たちにはそんな指揮系統の俗っぷりは与り知らぬ。彼らはただただ豊臣恩顧の一兵であることを誇りに思っていた。ある者は徳川憎しの一念から、またある者は没落した御家を再興させるため、そしてキリシタン武士たちは豊臣家が自分たちを庇護してくれる。
 ひたすらそのことだけを一方的に信じて……兵たちの想いは、ひたすら純粋であった。

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