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どうするもこうするも

2023年、なんだかんだ云って家康は日本人に再評価されたが、どちらかといえば駿府方面の見直しが大きかったと思う。あと、これから「血天井」めあてで、京都にドッと押し寄せるミーハーな方々もおられるだろうが、あんな三文大河のような安っぽくない極限の結果ということで、どうか大騒ぎして他の観光客の邪魔にならないことを祈る。

家康という人物が、関ヶ原を制してのちのこと、記録に寄れば奇行の時期が多い。痴呆かと疑うものもあり、本多・大久保の派閥争い頃にシャンと戻っている風である。

ドラマに出てこない人の影響といわれる

大久保長安。

もしもというものを歴史に求めるのは不粋だ。しかし、大久保長安の存在は、ifというものが求められることばかり。わかっていることは、歴史に登場したとき、彼は武士ではなかったということだ。

大久保長安は猿楽の大蔵座の出自ということ

漂泊の芸人は一種「埒外」の存在である。
いつぞや記した隆慶一郎に被るキーワードですね。11日の講演会で触れる予定の勝沼大善寺勧進能。ここで父・大蔵大夫が狂言方を演じた。その後、兄ともども武田家に仕官した。ぢ方衆として、戦さではない匠の道を歩み始めたのだ。
武田家滅亡後、行政官吏の才能に目をつけた家康は大抜擢をした。以後、財政手腕を大いに発揮する。

たしかにこの男の存在が、家康の足元を常に脅かしたことは間違いない

これを大河ドラマに出せないのは、きっと主役を演じる人に受けきれぬ演技を求められるためでしょうし、何よりもご都合的でふわふわしたドラマですから出せないのでしょうね。
どうするもこうするも、本多・大久保の諍いすら描くのが怪しい大河。

あの時代、ウサギやタヌキでは天下を圧倒しきれない。家康こそ一己の化物(けもの)であったと考えられる。そして、その後の政治システムは家康の思惟を越えてどっしりと根付いた。傀儡将軍がいたとしても揺るがぬほどのシステム。
BSでは家康大河と並行して「篤姫」の再放送をしているけど、あの時代、幕府を倒さなくても近代化にスライドできたことは近年の研究で明白。その未来線で今日を迎えたとしたら、世の中はどうなっていただろう。少なくとも薩長成り上がりの軍閥が過ちを重ねた戦争は回避できたかもしれない。
日本人がもっと志を忘れずにいられたかも知れない……。
どうするもこうするもない、たとえ話ではござる。