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横須賀製鉄所逍遥

ちょっと昔話を。
平成27年11月15日(日)、歴史読本の企画による横須賀製鉄所史跡ツアーに参加しました。いまはなき歴史読本。懐かしいですね。第633号29頁にお知らせが載っていたので、応募したら枠をGETしました。


横須賀は日本の近代化発祥の地です。
でも、世界遺産(明治日本の産業革命遺産)の登録に含まれておりません。が、おおよその原点は横須賀にあったと云ってもよいでしょう。スチームハンマーの設置、メートル法導入、煉瓦づくり、近代的な労働時間の管理……何よりもトラス工法による建築物は、のちに富岡製糸場へ導入されました。
そんな画期的な地が世界遺産の登録に含まれない理由。
そこが現役の米軍基地内だからです。軍事施設を世界遺産にすることは出来ないのです。

久里浜港


夢酔は房州日日新聞で連載を頂戴していた時は、年に数回、南房総へ足を延ばします。そのときの交通手段は主に東京湾フェリー。アクアラインよりも舟が好きなのです。その港は久里浜ですが、実は横須賀とは目と鼻の先にあります。にも関わらず、その当時、横須賀そのものに足を運んだことがございませんでした。
いや、興味はあったのですよ。
三笠とか関心はありますし、浦賀奉行所跡にお龍さん、衣笠城とか為朝神社とか、見て歩きたいところは沢山あります。出不精といえばそれまでですが、ずるずると、横須賀知らずだったんですね。
今は、歴×トキ×山城ガールむつみさんのおかげで衣笠にも行きますし、三笠に萌えたりしちゃいます。あとは、浦賀だけだな。
平成27年(2015)11月15日は、歴史的節目の一日です。遡ること150年前、慶応元年(1865)11月15日に、とある近代化の第一歩が行われました。
横須賀製鉄所の鍬入れです。
横須賀製鉄所は幕臣・小栗上野介忠順の強い推進で実現しました。当時は幕末動乱期、第二次長州征伐が発令され大わらわの季節でした。オランダへ発注した軍監・開陽丸が進水式を行ったのもこの月のことです。教科書は官軍視点ですから〈第二次長州征伐に幕府が敗れ一気に討幕の気運が高まる〉くらいにしか記されていない、まさにその時期、横須賀では幕府主導の近代化が産声を上げていたのです。小栗忠順は賢米使節団としてアメリカの近代を見た人間です。英明な彼は、近代化なくして日本の発展はないと考えたことでしょう。同じく随行艦〈咸臨丸〉で日本人初の太平洋横断を試みた勝海舟もまた、同じ心境だったと思われます。両者は似て異なる思想ゆえ、政敵という一面が目立ちますね。両名とも日本の変革期を強く意識しながら、別の道を進んだものと思われます。

この日、行政の偉い人はセレモニーしてました。偉くない夢酔は見てただけです。

製鉄所の建設にあたり外国からの技術顧問が必要でした。イギリスは討幕派である薩長寄りだし、アメリカは南北戦争でバタバタ。手を上げたのはフランスでした。フランスは軍制改革の指導にも積極的だったので、幕府は大いに期待したことでしょう。
慶応元年に来日したフランソワ・レオンス・ヴェルニーは当時28歳。その指揮のもと、横須賀製鉄所が建設されました。
横須賀の地に近代施設を建設することを決したのは、決して偶然ではなかったようです。国内数多の候補地から横須賀が選ばれたのは、入り江が良港になると判断されたためではないでしょうか。横須賀製鉄所は鉄に関わるあらゆる工業を担ったとされます。まさに最先端重工業の先駆けだったのです。維新ののち、その施設は幕府から明治政府に移譲され、更なる飛躍をしていくのです。

ヴェルニー

米海軍横須賀基地には6基のドライドックがありますが、この当時のものは現存し、1号ドックとして現役使用されています。

あの隔壁の向こうにドライドッグがあるんだ

慶応2年(1866)に起工、明治4年(1871)に完成しました。まさに三年11カ月をかけた手掘りと伺いました。城の石積み技術が応用されたようです。以来、今日まで現役稼働中です。
ドライドックとは文字通り、排水し艦底を露にして作業が出来ます。維新の頃に西洋から購入した軍艦の多くは中古品だったから、このドックで相当数の艦艇が休みなくメンテナンスを受けたことでしょう。舟を収容して海水を抜くのにおよそ2時間10分ほど要するそうです。艦底が露になれば、フジツボや貝類の除去や劣化破損部分の修繕を行うことが可能です。
日露戦争の折に横須賀へ帰港した戦艦三笠は、ここでメンテナンスし、日本海海戦に臨みました。速力を左右する付着物を除去したことで勝利につながったという考え方も出来ます。のちに東郷平八郎はこのドックに感謝し
「日本海海戦の勝利は小栗さんが横須賀造船所を造っておいてくれたおかげ」
と、その功績を讃えたそうです。
この近代化遺産がどれほど優れたものかは、戦後ただちに米軍が接収し現在に至っているという点で立証されます。現在、横須賀には米海軍のみならず海上自衛隊の司令部もあります。
平成27年10月18日(日)、盛大な観艦式が催されましたね。奇遇にもこの日、南房総からの帰路、東京湾フェリーの甲板で、通り過ぎる無数の自衛隊艦船を目視しました。

ずっと艦艇が通り過ぎていく

横須賀は国防の最前線として、今も昔も重要なのです。

ドライドッグの写真は資料用に撮影できましたが、
極東をとりまく状況に不利益になると嫌だから
ここでは公開を差し控えます。
世界の風向きが柔らかくなったら、こんな催しにまた参加したいです。