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剛槍は戦場を駆け抜けたのか

ここで問題。
天下三名槍はわかりますか?
愚問ですよね。
「蜻蛉切」「御手杵」「日本号」。
蜻蛉切は2023年の大河ドラマで散々登場していたから、皆さんご存じでしょう。日本号も過去大河ドラマで呑取りエピソードをやったと思う。
問題は御手杵。存外無名な、下総の一豪族・結城晴朝が所有していた名槍。戦国関東はドラマになりにくいし、結城が脚光を浴びるのは家康次男・秀康が養子になってから。それ以前は、好きな人しか見向きもしない。それに結城が日本中の話題をさらうのは、永享の乱と関連する結城氏朝の乱くらいで、時代が大きく異なる。
晴朝は秀康の養父となる人物だから、時代にすれば上杉謙信・北条氏康・武田信玄が「関東三国志」を興じていた頃。北関東も十分に熱かった。北条に抵抗する勢力として佐竹も勢いづいて、この時代は、どういう訳かNHKも信長・秀吉・家康に傾いて見向きしないねえ。

結城という一族は、さかのぼれば源頼朝によって引き上げられて興った小山氏の分家。歴史ある一族です。

槍の話に戻りましょう。
平成26年5月24日に開館した結城蔵美館。結城市の歴史や芸術・文化を発信する場として活用されていますが、御手杵複製品が展示されております。
なぜ、複製か?
それは、ほかの二振と異なり、現物がこの世に残されていない、失われた槍だからです。
クリック ⇒ 案内

御手杵は穂の長さ(刃長)4尺6寸(約139cm)を誇る大槍。

結城家は秀康が養子になることで、やがて松平姓となり結城姓を失います。御手杵も末裔の松平氏に受け継がれました。時は流れ、昭和20年3月10日。東京大久保にあった松平邸の所蔵庫に保管されていた御手杵。東京大空襲の際、なんと焼夷弾が所蔵庫を直撃。鎌倉時代以来の結城氏ゆかりの古文書や重要美術品指定の「式部正宗」など刀剣の多くも、炎に包まれ灰燼に帰したのです。
大東亜戦争は人財だけでなく文化財も奪った。
つい、昭和の頃まで、御手杵は存在していたのです。

2023年は刀剣男子が結城で萌えていたのですね……(,,• •,,)キュン♡

結城に、つい力が入ってしまった……!

どうやら夢酔のルーツ、結城にあるらしいです。
でも、知らぬことが多い。疎遠の故地ということになります。

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