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コンプレックスについて

complex コンプレックス
[名]
1 精神分析用語。普段は意識していないけれど、強い感情やこだわりがある内容。
2 日本では特に「インフェリオリティコンプレックス」の意味で使われる。劣等感。「コンプレックスを抱く」 
※スマート辞書アプリから引用しました。

自身のコンプレックス

私のコンプレックスは歯です。綺麗で健康な歯並びの良い方の笑顔を見ると、羨ましくなります。20代の頃に矯正した時は自分で言うのもアレですが、本当に顔が整いました。ただ、矯正中は本当に辛かった…食べても喋っても口の中傷だらけ。口内炎は頻繁に出来るし、好きな人とのキスも憂鬱でしたね。結局、夜につけるリテーナーを怠ったがために、歯並びはまた悪くなってしまいました。

「グロテスク」という作品

コンプレックスと言うと多くは美醜や学歴のイメージがありますよね?
数年前に、桐野夏生さんの「グロテスク」という小説を読んだのですが、凡庸な主人公がモンスター級の美人な妹に嫉妬したり、高学歴で優秀な女性がしっかりとした人間関係を作れず、次第に精神が崩壊していく様をこれでもかと生々しく書かれている作品です。
高学歴で容姿にコンプレックスを持ち、スクールカーストの中に身を置いたことのある女性にとっては、内臓をえぐられるようなストーリーだったんじゃないかなと想像できます。

でも私にとっては、ただただ性的描写が気持ち悪くて、その上、上下巻でとにかく長い。何度も投げ出したくなる作品でした。本当に申し訳ないのですが、読み終わったあと、もはやホラーで表紙を見るのもトラウマになってしまい、電子書籍の棚から削除しました(ごめんなさい) ※桐野夏生さんの作品で好きなのは、ハピネスと東京島です!

私がこの作品で共感できるところが何もなかった理由は、単純に自分が高学歴ではなかったし、まわりに憎むほどの美貌を持つ人がいなかったからでしょうか。

私は別に美貌なんて持ち合わせてないけど、自分の容姿は気に入ってます(歯以外)
なので美醜にものすごくこだわり苦しむ方の気持ちは正直に言えば分かりません。可愛いのに整形したり、ニキビ一つも許せないのって、もしかすると自分のアイデンティティと容姿のギャップが大きいからじゃないでしょうか?そして、そのギャップが「いつ生じるか」って結構大事な気がしてます。

「グロテスク」に出てくる佐藤和恵タイプ

高学歴の方は学生時代=若い頃 必死に勉強されたと思います。(中には勉強も美容も器用に出来る超人もいるとは思いますが) 夢叶ってエリートになったら、今度は社会に出て自分と同じような頭脳スペックの人たちの中で容姿をジャッジされることになる。ここからまた、美醜という悪魔のレースの走者になってしまう。それって、思春期の頃に美醜と向き合う事が何らかの原因で出来なかった人たちではないのかな。勉強で時間がなかったり、消極的な性格だったり。あるいはいびつな家族関係だったり。

「グロテスク」主人公「わたし」タイプ

主人公の「わたし」には、姉妹という避けることのできない「モンスター級の美貌を持つ妹"ユリコ"」がいて、常に劣等感を感じている人生でした。だっていくらあの橋本環奈でも、隣にエル・ファニングがいたらどうしたって視線はエル・ファニングに行くと思う(なぜエル・ファニングを隣においたのかは、私が個人的に好きだから) しかも主人公は橋本環奈のような美貌もなく、到底姉妹には見えない容姿だったのだから、毎回向けられる周りからの好奇の目にくるしむ様子はなかなか気の毒に思えました。

美醜へのコンプレックス

今の若い子にとっては、SNSによってある意味ではこの「グロテスク」の主人公と一緒ではないのでしょうか。隣で比較されることはなくても、次から次へと美のコンテツがスマホの画面に映し出され、得体のしれないものと自分を比較し自身でジャッジする。美しく切り取られた一瞬に魅了され憧れを持ち、それはゆっくりと強迫観念という病に姿を変え、いずれ自分への憎悪に行きつく。それが加工された世界だと分かっていても。

若い頃にたくさん劣等感を感じれば良い

出来れば社会人になる前に、劣等感ととことん向き合う時間が取れたらいいと思います。勉強も手につかないほど悩んでもいい。何も自己肯定感を上げる必要なんてないと思うんですよね。「家族に大切にされた子供は自己肯定感が強い」ってなんともご立派な暴言を育児本などでもよく見かけますけど、自己肯定が強い = 善 とか吹聴するのやめてほしいですね。

Complexの本来の意味は「複雑な、複合、入り組んだ」

45年も生きていると、コンプレックスなんてものはまるで感情のしめ縄のようで、むしろ一本筋が通った人間になれたような気さえします。ただし、そのしめ縄を振り回せば誰かを傷つける鈍器になり、そして複雑に絡み合った感情の縄はもう誰にも解くことはできません。でもそのしめ縄をロープにして、いまにも落ちそうな誰かを助け出すことはできるのではないでしょうか。

おわりに

今回は、コンプレックスについて書いてみました。書いている途中で、何故コンプレックスについて書き始めたのか全く思い出せなくなったけど、逆にそれが自分の頭の中の情報を掻き出すいい刺激となりました。

ここまで読んでくださり、ありがとうごさいました!

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