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仕事になった習い事

先日に続き「習い事」

突然イベント出展となった為、何かを披露しなくてはいけくなった。

友人が代々木のearthdayに出展側として申し込み、なんと初申し込みで当選してしまい突如参加メンバーを募る!
と、のことだったからだ。
当人は以前からアクセサリーを制作していたので、出し物に困ることはなかったが、わたしは誰かに披露できるものがまったくなかった。
慌てて何が出来るだろうかと、その友人と話しているうち「占い?」

占い…。
人を占うことができるだろうか。
また、わたしは誰かに占ってもらったこともなかった。

友人曰く「1day講座とかあるから大丈夫だよ」とカジュアルに誘ってくる。
1dayだったらなんとかできるかな、と思い、わたしもカジュアルに1daytarot講座に申し込むことにした。
探してみると「一日で習得できるタロット」「今日からあなたもヒーラー」など、時間を要せずに習得できるくらい圧縮した講座が山盛りあった。

その中から自宅の近くで行っていたtarot教室に申し込んだ。

先生は女性。
わたしを見るなり「〇〇〇に行ったことありますか?」と、都内2店舗くらいしかない雑貨屋の名を訪ねてきた。
「はい、あります」と応えるとー
「わたしそこであなたを見たことあって、なんだかわからないけどよくお顔を覚えているの」と。

…???え?
まじですか。
なんだか奇遇というか、初手を掴むテクニックだったのかわからないけど。
覚えのない再会から始まったtarot講座。
tarot占いもやってもらったこともない、tarotカードすら見たこともないまま
tarotカードも先生に用意してもらっていた為に、その時初めて全カードの絵柄を見ることになる。
意味だって、歴史だってまったく知識なし。

先生が封のしてあるtarotカードをバックから取り出し、封を開け、中に入っていたtarotガイドブックを取り出してこう言った。
「これ見ながら占う、占い師を育てようと思ってないから破棄しますね」と。

「え?待って下さい!本当に生まれて初めてtarotに触れるので無いと困ります!」と言うと。
「大丈夫。本を読みながら占うんだったらあなたの意味がないじゃない」
「でも…」
「大丈夫よ。見ればわかるから!」
なんだかわからない恐怖感と、信用していいんだろうか。と、思考が停止するような緊迫感。
やっぱり1日で習得なんて乱暴すぎたかな。
そう思いながら、こころが閉じかけながら講座は始まっていく。

tarotの世界観、流れ、ストーリー性は10分くらい教えてもらえた。
ここからだ。
恐怖のスパルタ実習。
その時初めて知ったけど、tarotカードは総数78枚。
それを全部一枚一枚見ながら、どう思うか語ってくれという指示。
最初のtarotのストーリー性を思いながらも、自分なりの解釈を伝えていく。
ちゃんと先生も熱心に聞いてくれ、観察こぼれを拾いながらアドバイスしてくれる。
恐らく休憩を入れて6時間くらいはあったと思う。
息の詰まる緊張感と集中力が混ざり合いながら、一通り流れもつかみ、自分なりの見方や解釈、理解がやんわりと出来るようになっていた。
最後はスプレッドを組み、先生の質問を占ったら講座終了。

心臓が縮まるほと緊張し、これまで習得時間で脳は疲労困憊。
果たしてできるだろうか、もう出来なかったらそれまでだ。
と、半ば諦めモードでtarotの展開と相談内容を読み解いてみた。
(わたしの場合は、やる気よりも諦めモードで脱力していた方がやりやすいようだ。)
面白いもので生徒と先生の立場逆転みたいな絵図。
今までピシッと教え、アドバイスしていた先生が、相談者としていろんな質問や悩みみたいな事を言い出した。
相談内容は超個人的な内容だった為に、初占いにしては洗礼的な衝撃を受け展開図を考察する。

先生は「そうよね。わたしもそうだと思うし、やっぱりそうしようと思う、ありがとう!!」と可愛い笑顔でわたしに感謝を送る。

「大丈夫よあなた、わたしいま安心したし、あなたに対してなんの不安も持ってない」と言ってくれた。
「ほんとですか!?」
「イベント出展が決まってるって言っていたから、わたしも何時になく厳しく接したけど、よく頑張ったなって思ってる」
「本当に今日はお疲れさまでした。何か不明なことや質問があったら、また連絡頂戴」

そうやって1日体験講座は終了し、代々木earthdayのイベントを迎える事になる。
緊張しながらも「10分1,000yen tarotleading」と手書きの貼り紙を作り、テーブルに張り付けてお客を待つ。
多種多様な出展者や来場者、舞台に上がるダンサーやパフォーマー。
初めてのお客さんってどんな人だろう。
わたしのところに来てくれるだろうか。
一人も来なかったらどうしようと、不安になりながらも会場や出展者さんたちの出し物や品物をチラチラと覗いていた。

暫くすると大学生風の男の子が「お願いします」と、わたしの目の前に座りじっと見つめてきた。

お客第一号さまだ。

慌てながらも、相談内容をメモに書きながらtarotをきる。
並んだカードを見ながら、相談に沿って話していく。
男の子はうんうんと頷きながら、顔を下げたままうつむいたまま。

こわい。
なんの様子なんだろうこれは…と、不安になりながらも時間いっぱいleadingする。

大学生の男の子は「仰る通りで言葉がでませんでした。ありがとうございます。父とゆっくり話してみます」とお代を置き、会釈して帰っていた。
どうやら泣いていたようだった。
この時初めて、まったく知らない人の家庭の様子や、親子の関係性、家庭毎によっての常識の違いなどを理解した。

全世界、同じ常識で繋がっているようで、それは錯覚であること。
それぞれの正義や快、不快を誤魔化しながら、不和が起こらないように努めあっていること。
楽に生きてる人は、もしかしたら居ないのかもしれない。
そんなことを考えながら空いた席を見つめて居たら、次から次へと人が並び始めた。
恋愛、結婚、お産、仕事、家庭、セカンドライフ、自立や趣味。
人生で初めて自分が窓口となり、まったく知らない人たちの人生模様を垣間見ることになった。
大なり小なり悩みや、迷い、違和感や、答えを探しながら自分の居場所を作っている。
1日講座で詰め込み学だったけど、それを通してたくさんの人達に出逢い、少なからず、転機のきっかけとなれたのかもしれない。
お昼休憩を30分ほど取った後は、終了時間19時くらいまでだったと思うけど、それまで長蛇の列は無くならずひっきりなしに鑑定する流れになった。
それまでトイレ休憩もなし。
閉園となるので、鑑定できなかった人達にはお断りを入れ、わたしは代々木公園のトイレまで全速力で走った。

無事にイベントは終わった。

帰りは友人たちと軽い打ち上げを行い、また抽選通ったら出展しよう!とイベント参加、知らない誰かに逢う喜びを経験できた。
生憎、それから応募数は多数で抽選漏れ。
一回鑑定した方から個人的に連絡を貰うようになり、友人、知人の紹介により、今ではそれが仕事となっている。

あれから17年ほど月日は流れている。
突発的な友人の頼み事から、ありがたいことにフリーランスへと転身できた。
いろいろと計画立てることも重要だと思う。
だけど脱線してみることで、人生の新しい選択肢と出逢うこともある。
遊びごころ、ちょっとやってみようかな、自分で責任とれる範囲で。
と思えることだったら、その流れに乗ってみると、自分では用意できなかったチャンスに合流できるかもしれない。

人生はなまものだ。

動けば動く。
触れば反応する。
待つばっかりでは退化していく。

そんなことを学ぶことができたイベント出展と、1day tarot講座。
あの時のスパルタ先生、感謝ですm(_ _)m

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