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毓子

作品名:りゅう
制作年:2022

 中国には『りゅうせいきゅう』という、龍が九つの子を産んだ伝説がある。それぞれ容姿も性格も異なり、みな違った活躍を見せたが、ついぞ龍にはなれなかったという。言及された書物によって彼らの名前も異なっており、詳しいこともよくわかっていない。もともと古くからこの語は存在し、たとえ兄弟であってもそれぞれに違うことを指す際に使われていたようである。
 龍の子として産まれながら、親のような龍になれずに育った九つの存在たち。はたして彼らは出来損ないなのだろうか。そもそも親は、みな立派な龍に成長することをしんから望んでいたのだろうか。子もまた自身が龍になる未来を、しんから夢見ていたのだろうか。ただ龍の子として産まれたということが、どれだけ彼らの存在そのものに干渉しるのだろう。

 龍は産まれたそばから龍であり、どのように育とうとも龍は龍である。親はもとより子にとってもそれは自明のこと。大事なのはどのような龍でありたいのか――その想いだけである。純粋に湧き上がってくるその想いをはぐくんでいくことで、龍は成長する。そだてるのでもそだつのでもない。はぐくむのだ。くくむように親は子のすることをただただ見守り、子は子で想いを自ら温めていく。温めるとは温存のことばにあるように、大切にすることを指す。

すべては、愛

 本作品に描かれた渦は、そんな龍の子を表現している。よく見れば渦の中心にりょうがんおがむことができよう。しかし描いたのはそれだけではない。はぐくむの通り、はねで優しくつつみ込むようなしんしょうをもそのデザインの中に取り込んでいるのである。周囲の柔らかな色は光であり温もりであり、眺めているだけでどこかなつかしい気分になる。それはたいないにいたころの記憶にほかならず、途端に渦は赤子の姿として映る。否、卵内のひなでも種にきざした芽でも同じであろう。すべてがいまここに存在し、すべてが優しい羽ではぐくまれているのだ。ひっきょう、すべては愛なのである。

愛と龍と人の合字。中央にしっかりと『人』の字が見える。

 源龍図には『たつのこ』の作品が確認されている。現在のタツノオトシゴのようなデザインで描かれており、『かんさんさい』の【かい】の項目に材を取ったと考えられている。古くからタツノオトシゴは安産のお守りに使われており、龍子の画もそのご利益にあやかろうとする人たちの間で特に人気の作品だったようである。またオスが持ついくのうと呼ばれる袋で数百のぎょを育てることから、弟子を抱える職人の家にもよく飾られていたという。子であれ弟子であれ、男女問わず人を育てることは自らを育てることにほかならない。本作品もはぐくむことに縁のある人のもとに渡っているそうである。すべては愛であるから、当然の流れといえよう。


委ねる芸術家

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