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古本屋になりたい:5 マルシャーク「森は生きている」前編

 小学校の1、2年生まで、教室は1階にあった。3年生になって初めて2階の教室になると、少し大人になったような気がした。

 階段に近いところから1組、2組、3組。
 始業式の朝は、廊下に貼り出してある表で自分のクラスを確認した。私は1組で、2年生まで仲の良かった子とはクラスが離れてしまったのが、少し残念だった。

 新しい教室の後方のロッカーには、すでに名前のシールが貼られていた。本当にこのクラスで合ってるんやと、少し安心して、ランドセルや上履きの袋を放り込む。
 そのまま席には着かずに、2年生までも同じクラスだった子や、顔は知っているけれどあまり喋ったことのない子たちと、何となく落ち着かない気持ちのまま、数人で塊になって教室を出て、渡り廊下を渡り、体育館へ向かった。

 体育館では、すでにクラスごとに列が出来始めていた。
 大体の背の順で並んでいるようなので、これまでも後ろの方だった私は自然と列の後ろの方に並び、前後の人と背を比べあって並びを入れ替わったりした。

 私たちの小学校では2年ごとにクラス替えがあった。3年生にとっては、初めてのクラス替えだ。
 列からはみ出して後ろを振り返ったり、前の子の背中を突いたり、背伸びして前の方を覗いたりして、みんな落ち着かないのが、後ろの方から見ている私にも分かる。
 背の順に並び終わっても、3年生のざわざわはなかなか鎮まらなかった。
 それは初めてのクラス替えを前に緊張しているから、というだけではなかった。

 体育館の前方には、新しい担任の先生たちが、ずらっと並んでいた。
 児童たちの方を向いて並んでいる先生の顔触れと並びを見て、よっぽど鈍い子でない限り、3年生ほとんど全員が嫌な予感に襲われていた。

 先生たちはみんなニコニコしていた。
 右から4人め、ちょうど私たちの列の真ん前にいる女の先生も、ニコニコしていた。おかっぱ髪、化粧っけのないちょっとふっくらした顔に細い垂れ目、裾の細くなった紺のジャージにポロシャツ。

 S先生や…。

 去年6年の担任やったから、次は1年とちゃうん?

 まさか、3年の担任なん?

 怒ったら怖い、しかもすぐ怒ると、新1年生以外の全校児童に知られているS先生が、自分たちの目の前に立っている。
 3年生が鎮まらないのも無理はなかった。

 静かにー!と注意されて、私たちはようやく口をつぐみ、不安な面持ちでのまま始業式に臨んだ。
 校長先生の挨拶のあと、新しくこの小学校に赴任してきた先生たちが紹介されて、始業式は進んで行った。

 よく、誰も叫び出さず、おとなしくクラス担任が発表されるの待ったものだと思う。
 大袈裟に思われるかもしれないが、真っ赤な顔をして鬼の形相で怒り狂っているS先生を見たことのある私たちは、とんでもない2年間が始まる予感に慄いていたのだ。

 いよいよ担任が発表される。教頭先生がマイクを受け取って、壇上に上がった。
 1年生は先日入学式を終えているので、2年生から順に発表になる。私たちは2年生なんかどうでも良かった。去年と同じ先生が引き続き担任なのだから。

 さらっと簡単に2年生の担任の名前が発表されて、さてお待ちかねの3年生だ。教頭先生がちょっと嬉しそうなのは気のせいか。

「3年1組、…S先生!」

 ええーっ!イヤや!

 遠慮のない声がいくつも上がった。

 名前を呼ばれたS先生は満面の笑顔で、一歩前に出た。

 ざわざわどころかキャーキャーと大騒ぎになって、また、静かに!!と注意された。完全には鎮まらないまま3年2組の担任が発表され、ええー、いいなー、と私たちは隣のクラスの幸運を羨んだ。 
 本気で嫌だと思う気持ちと、先生に対して嫌だとか怖いとか最悪だとかを、大っぴらに言えるのが面白いという気持ちと、両方があった。

 *

 噂通り、また私たちが実際目にしたことのある通り、S先生はとにかくよく怒った。ヒステリックに、理不尽によくキレた。何が原因で先生が怒り出したのかは、あまり覚えていない。

 怒りのあまり児童の頭を叩いてしまい、怒りすぎた、と反省して涙を流し、私をぶって、と言い出した時には、教室が静まりかえった。初めてのドン引き、というやつだった。

 自分が発案したクラブ活動に志願者がいないと涙をこぼしたこともあった。 

 ある時は「でもしか教師」という言葉を教えてくれた。教師にでもなるか、教師しかなるものがない、としかたなく教師になる人がいる、それは自分のことだと、言うのだ。

 どう考えても、小学校の先生としては相応しくない人だった。

 教師どころか、大人としてどうなのかと思うほどで、当時よく問題にならなかったものだ。実際、親たちは厄介な先生が担任だと思ったそうだが、大ごとにはしなかったのだろう。
 S先生は2年間私たちの担任だったし、私たちが5年生になった時には、また、新しい3年生の担任になっていた。

 良くないところしかないような、教師失格のようなS先生だったが、私には印象深い、今でもいちばん思い出す先生でもある。

 後編へ続く→

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