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理想と現実(不妊治療編)

こんばんは。
前回、第一回目の顕微授精をおこなったお話しでした。
今回は結果編になります。
数年前のことを思い返しながらなので、
断片的にはなりますが、、、
書いていきたいと思います。

すぐできると思ってた

若いし、特に悪いところは見当たらないし、
我が家は男性側の不妊だし、、、
顕微授精すれば一発で上手くいくんじゃないか…
そんな期待がありました。

しかし1回目の結果はダメでした、、、。
泣きましたね、かなり泣きました。
期待値が大きかっただけに、
ダメージ大きすぎました。
何がいけなかったのか。
鍼灸がいけなかったのか
ゆっくり過ごしたのが逆にいけなかったのか

とにかく自分を責めました。
2回目。
2回目は土日だったので、
そのまま近くのホテルを取り、
夫婦でのんびりホテルステイ。
美味しい食事をして、
移植後は乗り物に乗らず、
ゆったり過ごしてみたり。
それもダメ…
3回目。
子宝に良いという神社へお参りへ。
それでもダメでした、、、。

ちなみに仕事はこの間に部署異動していました。
楽な仕事にせっかく回していただいたにも関わらず、昔の上司から頭を下げられ(部長クラス)、
再び金融事業部へ舞い戻り、
さらには未経験の仕事をするハメになりました。
せっかく残業なしの契約社員だったのに、
毎日残業が始まりました。
人員不足の人助けです。
困ってる人がいると助けずにはいられない
お人好し?かもしれないです。

仕事が楽しくなる

仕事がストレスになるかと思いきや、
正社員ではないため、無理な営業回りやノルマが無いため、ほぼほぼ人助け残業な日々。
責任あるポジションでもなくなり、まわりに
頼れる人も多く、ストレスは激減しました。
仕事が楽しく、治療の傍らの息抜きになり、
この頃ようやく顔の吹き出物がなくなりました。

きっと仕事のストレスや重圧だったのでしょう。
心と体が繋がっていることを身をもって感じました。

治療が一時中断、、、

4回目の移植前のことです。
ちょうど熊本地震があり、
私が住む福岡でも震度5レベルの地震や余震がありました。
それにより、駅の高層ビルに入っていた
クリニックが地震の損害により治療の中断を余儀なくされます。
時間だけがすぎていき、結果が出ない…
暗い暗いトンネルの中を歩いているような時期で
この頃は本当に辛かったです。

ついに追い込まれる私

ほどなくして、治療が再開しましたが、
4回目の移植も撃沈。
残るは最後の受精卵となりました。
もう試すものはほぼ試しました。
市のヨガ教室にも週に1回通い始めました。
飲み会が多い職場だったので、
お酒はよく飲んでいました。
ご飯は自炊、お昼はお弁当でした。
お金も足りなくなり、お互いの両親に
援助を求めながらなんとか5回目の移殖を
迎えました。

23歳(24歳になる年)に結婚し、
気づけば28歳になっていました。
一番に結婚したのに、周りは既に
2人目、3人目がいる家庭も多かったです。
(同僚とか、親戚とか)


最後の受精卵の移殖。

願いを込めて。
お腹に話しかけました。
勝手に名前を付けて。
最後は特に何もしませんでした。
神に祈るのみです。

判定の結果は、、、?


判定日。
結果は陰性でした。
再び私は泣き崩れました。
涙が枯れてカラカラになるくらい
とにかく泣きましたね。
偏頭痛に襲われ、
あぁリセットも間近だ…と確信しました。

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