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順風満帆でなかった時代

こんばんは
お盆最終日いかがお過ごしでしょうか。
さてさて今日は、タイトルを変更してみました。
今日の話は色々な方に知って欲しく、
目に止めていだだけるといいなという想いです。
これから、noteで記していきたい方向性というか、核となる部分になる話となります。

就職、結婚。人生の第2章スタート

私は大学卒業後、新卒で地元の大手商社に就職することができました。


就職で100社以上落ちた私ですが…
本社の目の前に住んでいたことが(恐らく)
採用担当者の目に留まったようでした。

内定後すぐアルバイトで雇われ、
大学卒業後と同時に、
そのまま新卒採用となりました。

その後、支店配属となり、
金融事業部で、窓口業務をおこなっていました。
配属先は小さな店舗のため人数が少なく、
仕事内容も多岐にわたりました。


2年目で大学時代の先輩である夫と結婚しました。
同期や友達のなかでも1番に結婚。(24歳)

私は自分が少し不幸なタイプだと思ったいたので、すぐに結婚するなんて思ってもいませんでしたね、、、
乗り遅れるタイプか一生独身かと…汗


家事に仕事にバタバタと目まぐるしい
新婚生活がはじまりました。

甘くなった新婚生活


結婚前から妊活のようなものをおこなっていたのですが、結婚して1年経っても、
子供に恵まれませんでした。(トータル2年)

そこで、産婦人科指導のもと、
タイミング法を半年間行います。
それでも出来ませんでした。
不妊治療の専門院を紹介され、たずねます。
田舎なため、希望者が多いからと3ヶ月待ちで
ようやく入れました。
まだ若いから…と最初の産婦人科でも、
次の専門病院でも言われ、先生からも当時は
あまり相手にされていませんでした。
(専門病院では、順番待ちの場合、
高齢の方を優先されてしまいます)


そこで検査しますが、中々原因は分かりません。
主人にも…と検査を促しますが、
俺は大丈夫!!の一点張り。

原因不明での、タイミング法もある程度おこなってしまったので、次のステップである人工授精を
すすめられるのでした。


人工授精というのは、自宅で男性側に採取してもらったものを、病院へ持っていき、
女性の体内へ入れるというものでした。

処置自体は、30分程度で終わるところもあり、費用も2万円ほどでした。(当時の記憶ですが…)


病院に朝イチ採取したものを持参し、
午後から再度病院へ行き、処置を行う予定だったのですが、病院から午前中のうちに電話がかかってきました。
土曜出勤日で、慌てて病院へ向かうと、
先生から衝撃の一言でした。

自然妊娠は100%できません。


ご主人の採取したものには精子が入っておらず、
0です。と伝えられました。

無精子症という診断でした。


これは100人に1人くらいおり、睾丸内で作られているけど、出てこない人と、全く体内で精子が存在しないタイプと、2種類いるということ。
男性不妊専門のクリニックが、あるから紹介しますと言われました。
もう、頭が真っ暗になりました。
体内で精子が存在しなければ、私達は子どもを授かることは出来ないのです。
養子縁組?ずっと夫婦2人…フラフラしながら帰宅し、夫は伝えました。
気づけばちょうど、結婚2年目の頃でした。

その頃、私の周りでは結婚ラッシュ。
SNSやLINEでの結婚や妊娠の報告が相次ぎました。
仕事場も田舎であったため、
子供はまだ?と、
常連のお客様から毎日のように聞かれることも多かったです。

仕事も追い詰められる日々

一方、仕事は…というと、10年目のベテランの先輩が出産、育児のため辞めてしまい、4年目にして自分達が1番上になってしまいました。
私と1期上ですが、学歴や年齢は1つ下の同僚と私。定時上がりで仕事をせず、上司からも見放された何も出来ない3つ上の先輩が1人。
そして右も左も分からない、新人さんが1人。
私は窓口のトップとして、所謂、課長代理のような仕事を受け持つ事になりました。
(ちなみに他の支店で、同じポジションの方は、全員もちろん10年以上勤務する大ベテランの方)


仕事も多忙ながら、上司の思いつきにより早朝7時から業務改善ミーティングがあり、毎日数字を詰められ、毎朝話し合いが、おこなわれるようになりました。
朝から詰められる日々。笑


残業も20〜21時頃まで毎日ありましたし、
お昼ご飯を1ヶ月食べれず痩せてしまい、
私は心も体もボロボロになっていきました。

同じく一緒に頑張ってきた同僚も不正出血があったり、体調を崩しながらもなんとか乗り越える日々でした。

長くなってきたので、
一旦、切りたいと思います。

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