好きにならなくてもいい

信用していた人からの思いがけない一言。青天の霹靂。なんでこんな事を言うんだろう。

ずっと信じてきたのに。頭の中がそのことで一杯。何も手につかない。その人の良いところも知っているのに。悲しみなのか怒りなのか、好きだったのにどんどん嫌いになっていく。

そんな自分を自分が益々嫌いになる。その人のことも嫌いで、その人の事を好きになれない自分のことがもっと嫌いになってくる。

その人を嫌いになっている自分が嫌だから、一生懸命その人の良いところを探す。自分の本音を受け止めず頭でキレイに収めようとすると、より心が背を向ける。

自分の心をコントロールすればする程自分のことが嫌いになっていく。

冷静に考えればどうでも良いこ事とわかっるのに日常が暗くなっていく。ほとほと疲れたのかもしれない。お手上げ状態。

その人の事を好きになろうとするのをやめた。
『私はその人の〇〇な所が嫌い。』なのだ。
もう、それでいい。と思えた。

すると、心が軽くなった。
その人の一部に関して、嫌いなのだと認めた時、ようやく自分の中に自分の居場所をみつけられた様な気がした。私はずっと自分をジャッジしていたんだ。【嫌いな感情は良くないと・・】

『人は自分の鏡』と言われる。
私はきっと、自分に完璧を求めていたのだろう。人が傷つくような言い方をしてはならないと。
その人も、おそらく傷つけようとしたつもりはない。ただ、私の知らなかったもともと持っていた別の側面が見えただけにすぎない。

そして、私自身も相手の良き所に目を向けられると思ってたが、『嫌う』という自分にとって望ましくない自分の一面を見ることになったに過ぎない。

自分にも相手にもキレイでいる事を求めていただけだった。

表現や捉え方は千差万別。全てキレイにはおさまらない。だから、その時自分が感じた感情を自分だけはそのまま受け止めてあげられたら、相手の事にももっと寛容になれるのかもしれない。

愛とはきっと、好きなところも嫌いなところも認める事なんだと思う。自分の事も相手の事も全部愛せたらいいと思う。

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