エッセイ : 僕の身の周りの高齢化問題 1 自給自足の生活は困難だと思う(農業という仕事を甘く見てはいけない)

3年前、僕は地域のボランティアに近い状態で、仕事柄外回りをしていたので、空き家がその地域にあるか調べていた。
知らない間に空き家になってしまった家は廃屋となってしまう。廃屋を放置しておくと様々な問題が発生することになる。
その地域のお年寄りに聞くと大抵空き家は把握出来るので、後はその場所を確認して定期的に市町村の係りの人に報告していた。

ある時、市内から車で1時間ほどかかる山間の地区に仕事で行くことになったので、お昼休みに空き家があるか調べてみるつもりでいた。
その地区は過疎化が急速に進んでいた地域なので、
たくさんの空き家があるかもしれないと思っていた。

公民館の駐車場しか車を停める所がなかったので、
車を停めて歩き始めた。
すると大手宅配便の軽ワゴン車が来た。そのドライバーの男性はお米の入った袋と野菜の入った箱をある家に届けた。受け取ったのは僕と同年代の男の人だった。
その家は、どうみても農家の家。荷物を受け取ったのがかなり高齢の方ならわかるが、僕と同年代の人
何故? という疑問が湧いた。
他の家にも、そのドライバーの人はお米や野菜を届けていた。僕は、そのドライバーの人に声をかけてみた。その人は僕にこう言った。

「やっぱり不思議に思いますよね。僕も同じです。どうして高齢でもない農家の人たちが米や野菜を届けてもらう必要があるんでしょう?」

僕は、そのドライバーの人にお礼を言った後、歩き始めると、ログハウス風の新しいパン屋さんを見つけた。どうしてこんな所にパン屋さんが出来たのだろう? 僕はパンが大好きなので、お昼用のパンを買うことにした。
そのお店で売られていたパンは天然酵母のハード系のパンがメインだった。そのお店の奥さんが小さな子どもと一緒にパンを売ってくれた。
奥さんはこう言った。
主人が自然豊かな所で手作りのパンを作りたいと言ってここに店を作った。美味しいパンなら評判を呼んで遠くからも買いに来てくれる。また、市内のスーパー等にもパンを陳列させてもらって売っている
僕が、以前は何処でパン屋さんをしていたのですか?と聞くと
主人は企業でエンジニアの仕事をしていました。
子どもの頃からパンが大好きで天然酵母のパンを自分で作るのが趣味だったんです。
主人の作るパンは皆に美味しいと評判で、会社を退職して、ここにお店を作ったんです。また買いに来てください。

僕は自販機でジュースを買い、近くの小さな公園にあるベンチに座って買って来たパンを食べた。
僕はパンの味がにはうるさい。
僕も奥さんもお米よりもパンが好き。いろんなパン屋を巡り、美味しいパン屋さんを見つけるのが、
僕たち夫婦の共通の趣味だ。
僕のそのパン屋さんのパンを食べた正直な感想は、
美味しいと言えば美味しいパン。

僕がパンを食べていると、手押し車を押しながら、
ゆっくりと高齢のおばあさんが歩いて来た。
僕が、おばあちゃん、今日は暑いね。
と言うと、そのおばあさんはニコニコしながら、
ベンチの僕の隣に座り話し始めた。
おばあさんは、何処からここにお嫁に来たから始まり、この地区に住み始めてからの苦労話、旦那さんが5年前に亡くなって1人で生活していること、
お子さん達は都会で働いていて、盆と正月に帰って来てくれるのを楽しみにしていることを話してくれた。そして最後に、肌身離さず持っているというお孫さんたちの写真を見せてくれた。
僕が、可愛いお孫さんですね。と言うと、
おばあさんは微笑んで涙を浮かべた。

僕はおばあさんに、この地区に空き家はあるか、尋ねてみた。
そして、おばあさんから驚くことを聞いた。そして
そんなことが起きているんだと思った。
そのおばあさんは、あるテレビ番組の名前を言い、
その影響だ、と言った。

この地区は家主が亡くなると、子どもたちは住まないため、空き家になっていった。
実際、市町村から過疎化していく地区とされている
ところが、今から10年ほど前から、都会の人たちが空き家を買い取り住み始めた。
その人たちは、退職後あるいは早期退職して、退職金で空き家と田んぼや畑を買い取り住み始めた。
そして皆、都会でずっと生活して来たから、老後は自然豊かな土地で自分たちの食べる物は自分たちで作り生活したいと思っていた。そして、この地区を見つけた。第二の人生を楽しむつもりです、と言ったという。
この地区の人たちは、素人が60近くになって米や野菜を作っても上手くいかないと言ったという。
僕もそう思う。
しかも、その人たちは農業機械を使わず全て手作業で米や野菜を作ると言っていたという。それがやりたかったと。
農業機械は新車よりも値段が高いというのもあるだろうが、その前に、農業という仕事を甘く見てはいけない。

僕の亡くなった父の実家は農家だ。
僕が小学生だった昭和40年代は今ほど農業機械が普及していなかった。農業の多くは手作業に頼っていた。だから子どもたちも農家にとっては重要な労働力だった。
僕は田植えと稲刈りの時は両親と伴に父の実家に行き手伝いをした。自然豊かな時代だったので、田植えの時は、田んぼにいるドジョウを捕まえながら、
稲刈りの時は、イナゴやバッタを捕まえながら手伝いをした。

稲刈りも同じだが、田植えは沼地のような代掻きの田んぼに足を取られながら、稲の苗を2〜3束ずつ
腰を屈めて植えていく。腰をかなり屈めることになるので、10分位に1回背筋を伸ばさないと腰が痛くていられなくなる。素人の人が田植えをしたら、
翌朝、腰が痛くて起き上がれないかもしれない。

今度は畑だ。畑は野菜を作る前に耕さなくてはならない。鋤や鍬で耕すのだが、表面が固くなってしまった畑は、ツルハシでないと耕せない。
耕した後、石を全部拾い取り除く、そしてもう一度耕し、野菜が作れる状態に整える。
六畳の広さの畑をこの状態にするのに、素人の人がやったら丸1日かかると思う。体力のない人は途中で挫折すると思う。

作る野菜だが、1番簡単なのはジャガイモやサツマイモ。種芋を植えて定期的に水をやれば食べきれないほど収穫できる。ミニトマトも同じだ。
だが、普通のトマトは違う。実ってもミニトマトのようなそれなりの味にならない。
ナスは素人には難しい。実らないことが多い。
レタス、キャベツ、白菜、ブロッコリーは苗を植えるだけだが、虫に食われやすい。 
しかも毎日草むしりをしていないと、畑は雑草まみれになってしまう。
農業は大変な仕事だと思う。体力も必要だ。

都会から移り住んだ人たちは、最初は楽しくやっていたが、段々と大変さがわかり、しかも、台風が来れば農作物は全滅することもあり、自給自足を諦めていったらしい。 
結局、農家なのに米や野菜を送ってもらう、という状態になってしまったとのことだった。
本当は都会に戻りたいみたいだが、退職金で買った空き家と田畑を売りたくても、元々過疎化していた土地なので売れない。出て行きたくても出て行かれないみたいだ。

僕はおばあさんにお礼を言って別れた後、一通りその地区を見て回ったが、おばあさんの言った通り、
空き家はなかった。
そして、農作業をしている人は殆どいなかった。
その約1年後、僕はもう一度、この地区を訪れることとなった。


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