忘れられない恋物語 ぼくたちの失敗 森田童子 3 好きな男の心のなかにいる女を追い出す

香奈恵さんは横浜に着くと、最初に港の見える丘公園に僕を連れて行ってくれた。

「鈴原君、オフコースの秋の気配の最初を歌って。」
「あれがあなたの好きな場所 港が見下ろせる小高い公園。」
「ファンの間ではね、それがこの港の見える丘公園だと言われているの。山下公園に行こう。」

僕は香奈恵さんと山下公園のベンチに座った。

「鈴原君、何を見ているの?」
「海や船。僕は海のない長野県に生まれ育ったからこういう景色は殆ど見たことがない。」
 
香奈恵さんは僕の左腕に頭をもたげて右手で僕の左手を握った。

「鈴原君の心のなかには、まだ茉莉子さんがいる。
怒っていないから安心して。女って男と別れて、好きな男が出来て付き合い始めると、前の男のことなんて心の中から消えてしまうの。でも、男って違うんだってね。その茉莉子さんが教えてくれた。男はそういう女が10人いたら10人背負って生きてるのが男だ、って。茉莉子さんは男のそういうところが可愛いと言った。私の友達は男って未練たらしい、と言った。私は許せないと思う。」

香奈恵さんが僕の左手を握った手に力が入った。

「鈴原君、茉莉子さんが心の中にまだいることに、
私は怒っていないからね。まだ私と付き合い始めて1ヶ月しか経っていないし、男ってそういうものだと知ってる。でも私は鈴原君の心の中にいる茉莉子さんが気に入らない。私は1年以上も男と同棲していたから、友達に香奈恵は二十歳でもう使い古しだと言われた。確かにそうかもしれない。でもだからこそ、鈴原君を茉莉子さんよりも満足させられる自信がある。茉莉子さんは小柄で細い人、スタイルはいいかもしれない、でも、バストもお尻も私の方が大きくてセクシーな身体をしている。そして何よりも、茉莉子さんは鈴原君に冷たかった。私は決してそんなことはしない。鈴原君に尽くし続ける。」

香奈恵さんは話し出そうとする僕の口に人差し指を当てて止めた。

「鈴原君、私が言ったことに何も答えちゃダメ。
私が言ったことを心の中に閉まっておいて。」

ふたりで横浜の街を歩いた。お洒落な街、異国情緒が漂う街、こんな街で生まれ育っていたとしたら、
自分は今とは全く違う人間になっていただろう、と思った。
中華街のなかを歩いた。お昼近かった。

「鈴原君、何か食べたいものある?」
「小籠包って食べたことないんだよ。」
「小籠包ね。美味しいお店があるの。行こう。」

その店は中華街の外れにあった。中華料理店と言うよりも大衆食堂に近いと思った。
熱々の小籠包は美味しいと思った。香奈恵さんに言われ、小籠包に刻んだ生姜をのせタレをつけて食べると、格段に美味しくなった。
小籠包を食べた後、ふたりで中華おこげを食べた。

「鈴原君、私、鈴原君に協力してもらってサッシを取り換えたら、あの部屋を出て行きたい。そして、
鈴原君と一緒に暮らす。いいでしょ?断らないで。
私は鈴原君といつでも一緒。鈴原君のことは私が何でもやるの。」

僕は生まれて初めて、女の人に対して少し怖さを感じた。
そしてまた、池袋駅を出た時見た茉莉子さんと一緒に歩いていた男の人のことを思い出した。
あの男の人は、こういう怖さを何回も乗り越えている、そう思った。
自分は逃げないと思った。香奈恵さんを正面から
受け入れようと思った。

「いいよ。今から少しずつ引っ越しの準備をして行こう。僕も手伝うよ。」
「ありがとう・・ごめんね、泣いちゃって。」

帰りの電車のなかで、香奈恵さんは言った。
「大学を卒業するまで、子どもは出来ないように気をつけようね。愛し合えなくなっちゃうから。
鈴原君、愛してる。鈴原君の心の中から、茉莉子さんを追い出す。鈴原君を茉莉子さんから自由にしてあげる。」


つづく






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