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溶けない氷の涙

✻   ✻   ✻

アンは泣くことを禁じられていた。

厳しい両親では無かった。

父も母もアンを叱ったことなどないし、
同世代が欲しがるものはアンが口に出す前に
差し出した。

それでも、泣くことだけは許されなかった。

それには、アン自身に理由があった。

アンの涙は、氷の結晶になってしまうのだ。

その症状が初めて現れたのは、アンがまだ小学校に上がる前の夏のこと。

愛犬が死んで泣き出したアンの頬に一筋、血が流れた。

ギョッとした母がアンの顔をよく見ると、アンの目から零れ落ちた氷が頬を切ったのだった。

原因不明の症状に医者は首を捻るしかなかった。

ただ1つだけわかったのは、

「次こうやって涙を流せば目が凍り、失明してしまうだろう」

ということ。

あまりに恐ろしい言葉に、両親はアンに泣くことを禁じるしかなかった。

泣きたくなる気持ちになっても心を鎮めてやり過ごす。

そもそも泣きたくなりそうなことはしない。

おかげで他の感情も乏しくなってしまったが、高校3年生を迎えるこの年までにアンはその技を習得し、泣きそうになることすらなくなった。


そう、思っていたのに。

アンは久しぶりにピンチだった。

ああ、どうしよう。

みるみるうちに涙がたまり出す。
このままだと私の目は凍るだろう。

絶対に泣くまい、、チョコレートを持った手元に
力がこもる。

木の陰からこっそりのぞくアンの視線の先には、
想いを寄せる彼の姿がある。

はじめての恋だった。

どんな時も冷静沈着で感情をあまり表に出さないアンを、クラスの子は気味悪がり馬鹿にした。

悲しくなり泣かないためになんとか、やり過ごしていたアンだったが、実はかなり堪えていたようで、彼が助けてくれた瞬間に恋に落ちたのだ。

バレンタインの日に、あの時の感謝を伝えよう。

フラれて泣かないために、告白はせずにいよう。

そう心に決めていたのだが、アンも年頃の女の子。

彼と手を繋いで歩く希望をどこかで持ちながら、
彼を帰り道で待っていたのだ。

しかし。

帰ってきた彼の手元には既にピンクのラッピングが施されたチョコレートがあった。

ただ、チョコレートを貰っただけ。
そう思うこともできたかもしれない。

でも、アンは知っている。

チョコレートを見つめる彼の目が熱をもって潤んでいることを。

彼を見つめる自分と、同じ目を彼がしていることを。

感動に震える彼の手に熱がこもったのだろう。

ピンクの袋の中でチョコレートが溶け始め、彼は慌てつつも照れたように笑った。

その笑顔を見たら、アンはもう駄目だった。

硬く、冷たいものが瞼から零れ落ちていく。

痛い…

この痛みは、どこから来るのだろう。
頬か、目か、いや、心か。

落ちた氷が地面で跳ねて、大きな音を立てる。

しまった、彼に気づかれてしまう。

アンは咄嗟に壁を伝いながら逃げ出した。

視界がみるみるうちに狭くなっていく。

ああ、これが最後に見る景色になるんだなあ。

後悔はなかった。

最後が彼の笑顔で良かった、とアンは思った。

彼は、物音の方へ近づいた。

いずれにしても溶けはじめたこのチョコレートを
一刻も早く冷やすために早く帰らなければならなかった。

物音の先で彼は不思議なものを目にした。

氷の結晶が地面に散らばっている。

「なんだ、これ?」
救いあげるとそれはひんやりと冷たい。

家まであと少しある。

大好きなあの子から貰ったチョコレートを溶かさないために、彼は氷の結晶たちをチョコレートの
上にふわりとのせた。

ああ、恋は無情で、きっとそういうものなのだ。

気づかないだけで、知らないだけで、誰かの諦めや苦しみの上で実ることもある。

彼女の失恋の涙で、

彼の恋は守られるのだ。

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