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ギフテッド?:私の自分史⑤(中学校)

こんにちは。どいあやみ。です。
自分史第5弾です。
(だいーぶ期間が開いてしまいましたが、、、)

そのほかの自分史記事はコチラ↓


今回は、中学校編👧
田舎暮らしだったのもあり、
中学受験できる学校は片手で収まるほどしかなく、

多少の紆余曲折はありましたが、
結局地元の公立中学校(まぁまぁがっつりのヤンキー校)に通うことになったのでした。

そんな中学生活をエピソードに分けて書いてみようと思います。
気になったエピソードだけでも覗いていただけるとうれしいです◎

それでは参りましょう!


勉強について

勉強に関しては、正直少し期待していました。
「中学校になれば少しは楽しくなるのでは??」と。

まぁ、結論、そんなことはありませんでした、、、。

中学の授業でワクワクした記憶はほぼありません。

良くも悪くも、ゆるかった部分もあり、
テストの点さえよければ、、内申点は確保されたため、

テストだけがっつりやる
あとはテキトーにさぼる

が私の中で定着していきました。


サボり方を覚える

授業中は、
ほとんどの時間を交換ノートや手紙の執筆に充てていました。

そういったコミュニケーションが好き!なわけではありませんでしたが、
同級生たちと卒なく関係性を維持するためには必要なことでした。

だからといって、書くこと自体にモチベーションがないことには変わりがない、、、

「家での自由な時間に書くのはだるすぎる!!!」と思い、
暇な授業時間をその時間に費やしていたのでした。

<無駄と思える時間>⇒<やらないといけないことの時間>
に変換


テストだけはしっかり

高校進学のために内申点は必須!!!!
という色が非常に強い地域でもあったため、

テスト期間だけは一生懸命勉強をしました。

とはいっても、おおまかな内容はササっと理解できるため、
主に時間をかけたのは、

90点をいかに100点に近づけるか

という作業。

学校のテストって、なぜか10点分くらいは
重箱の隅をつつくような問題が出る、、、

完璧主義、負けず嫌いが強すぎた私は、
テスト期間を、この重箱の隅対策に費やしていました。


もはや「勉強している」という感覚はなく、、、
記憶ゲーム感覚??

新たな知識を得られた!という感覚はほとんどありませんでした。
(とりあえず記憶しているだけだから1週間もすると忘れてしまう)

今考えるとすごーーーく無駄な時間。

(おかげで3年間の内申点は満点でしたが、果たしてそれほど重要なものだったのか)


塾が変だった(たのしかった)

中学校の3年間は親が塾に行かせてくれました。
(今思えば、なんで突然入れたのだろう??
それまで「勉強しなさい」と言われたことはなかった)

この塾がたまたま??私にはとても合っていて
「勉強たのしい」と思える時間でもありました。

よくも悪くも、
厳しく緩い先生が多く、

出来てさえいれば何も言われない。
ちゃんと宿題して、いい成績さえとっていれば、

ゲーセンから塾に直行していても、
「化粧がケバいぞ~。」と言われる程度でした。


評価に関しても、相対的というよりかは絶対的で
「あやみでこの成績はだめ。さぼったやろ」
「周りとおんなじくらいに留めときゃいいやとか思ったらあかん。自分のなかで満足できる数値もってこんと」

など、私のことをしっかりみてくれた上で、
評価をしてくれていたのがなんとなくうれしかった記憶があります。


また、いわゆる全国展開?の塾だったこともあり、
塾内作文コンクールが毎年あって、
いい賞とると、沖縄旅行に招待してもらえる。

中1のころに、ラッキーなことに賞をもらえて、
他の地方の子たち(なんだかすっごく話が合う子が多かった)と、
一緒に時間を過ごせたことも大きな収穫としてありました。


友人関係について

正義感全開

中学校になると、
あからさまに女子内でイジメが始まりました。

今考えるとイジメ漫画並み。
THEなひどいものでした。

週ごとにターゲットも変わったり、増えたり。

はじめのころは、傍観というか
あまり関わらないようにしていましたが、

あまりのひどさにある日我慢ならなくなり、

「それめっちゃダサいで???」
とイジメっ子たちに言葉を吐き捨ててしまったのでした。

まぁ、そこから、、、
すれ違うだけで「死ね」「消えろ」

幸い、そういった勝負事?で素直に屈するタイプではなかったため、
全く傷つかず、、

いじめる側からするとおもしろくなかったのでしょう。
すぐにイジメはなくなっていきました。

ある日、担任の先生(おっちゃん)に職員室に呼ばれ、
「どい、俺のスパイになってくれへんか?クラスの女子の中で起こってること全然わからんねん」
そういわれたことがあります。

なぜだか、すごく腹が立ちました。

都合よく使われる感じがしたからかな?
先生がちゃんとクラスと向き合ってる感じがしなかったからかな?

私の先生嫌いが悪化した1要因です。


心地よい友人の登場

お世辞でも楽しいとは言えない
友人関係がたくさんでしたが、

今思い返すと不思議なこともありました。

お互い普段はそんなこと言うタイプではないのに
「私たちきっと親友だよね」

といえる存在が出来たことです。

一度も同じクラスになったこともなかったのに
いつのまにか仲良くなって、2人で遊んだり、お泊り会したり。

不思議でのだと

その子とは今でも仲良しです。

当時はまったくそんなことしりませんでしたが、
彼女もあるマイノリティ性を持っていることが、大学生のころにわかりました。

なんとなーーく感じる周囲との違和感みたいなところで、
言葉にはしていなかったけれど
分かり合えた部分があったのかなと

今振り返ると思います。

楽しいことばかりじゃなかったけれど、
学校に行っていたのは、そういった存在がいてくれたのも大きいのだと思います。


部活動について

部活動は、まぁ本当に波乱でした。
「音楽」が好きだった私は、吹奏楽部に所属をしたのですが、

部活内での他生徒との衝突が半端なく多い生徒だったと
自分でも思います。(きっと正義感が強すぎるせい)

部活動は書き始めると膨大になってくるので、、、
また「番外編」として書こうと思います。

とまぁ、部活は正直楽しいことばかりではありませんでしたが、
だからといって
「自分の好きなことが出来ないのは悔しい!」
と、

意地でも続けていましたし、
それがある意味学校に行くモチベーションにもなっていました。


まとめ

私の中で中学校時代は、
いろんな意味で子供時代で一番濃い記憶となっています。

周りとの衝突が増えたし、
社会ってなんでこうなんだろうって考えることが増えたし、

でも、それをうまく調整したり自分の中で意味づけたりすることができなくて。

結果として、
自分が持っている尖った部分で他人を傷つけてしまうことも多かった。

その尖った部分が自分の良さでもあったのかもしれませんが、
やっぱり他者を傷つけることには罪悪感が大きく残る。

そんなうまくいかなさに大きく悩んでいた時期だと思います。

それでもなんとか日々を送れたのは、
モヤモヤを話せる人がたくさんいたから。

父母妹、(大好きな)祖母、友人、、

そんな人たちに恵まれていたことには感謝しかないなぁと、
書きながら改めて感じました。


さて、長々と書いてしまいまいたが、


あくまで私のお話なので、
「ギフテッド」だからというお話ではない部分も多々あるかと思います。


ゆるっとした気持ちでお読みいただけていたら幸いです。



さて次回は、高校の頃のエピソードについて綴っていこうと思います。


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それでは。

どいあやみ。

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