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「”友だち”なんて。」と思ったいたあの頃の私へ。


過去の自分に教えてあげたい。
私には今、「友だち」がいるよ。と。

今回は、ある1人の友だちとのことについて書いてみようと思います。

振り返ってみると、
私の友だちへの感覚はこの10~20年で大きく変わっているなと。

これから先、どう変わっていくかはわからないけれど、
”今”の私の感覚を"自分のために"言語化してみることにします。


「友だちなんて」と思っていた私


子どもの頃から、「友だち」との距離感がわからなくて困ってきました。
いや、困っている状況にすらはっきりと気づけていなかったというのが正しいのかもしれません。

イジメられていたわけではないし、
女子がグループをつくるようになる頃には、ちゃっかり1つのグループにも属していました。

けれど、「友だち」という感覚が
わかるような、わからないような、、、。

何だかふわふわとしていて。

一人ぼっちで目立たないために。
1日を大きな事故なく過ごすために。
友だちという存在を据え置くことはしていたものの、
(なんかえらそうな表現ですね、、、ごめんなさい)
めっちゃほしい!!!友だち!!!
という感覚はあまりなかった記憶があります。

そして、他者とのコミュニケーションは、つかれる、、、。
「こんなこと言っていいのかな?」
「今この人何考えているのかな?」
などいろいろ考えてしまう、、、。


そんな他者との関係に、
なんの意味があるのだろうか。


他者に興味が深く湧かなかった、
そして、他者とのコミュニケーションにおいて色々考えてしまう
私は、人間にまるで興味がなくなっていて、、。

「大学にいったらサルか魚の研究をするんだ」
すっかりそんなことを考える人間になっていました。
(もちろん生物が好きという面もあったけれど。)


「友だち」感覚の転換

そんな私の友だち感覚が大きく転換したのは、
大学時代のサークル同期との関係性でした。

大学になっても、相変わらず、
波風立たない友達関係を築いていた私。

そんな私にも
なんとなく他の子たちよりも中が良い友達
が出来ました。

しかしある日、

「あなたはいつも私との間に壁をつくっている。私は仲良くなりたいのに、あなたはそう思ってないように感じる」

と端的に伝えられたのでした。


私はすごく衝撃で。

理由はシンプル。


・ストレートで率直な言葉だった。
 (たいていの人は言葉にしないのだと思う)
・めちゃめちゃ図星だった。


仲良くなりたいと思っていないわけではない。
けれど、確実に「壁」はつくっていた。

それまでそれが常だったから、
当たり前のように「壁」を用意していたのだ。

そう改めて気づかされてました。

私は意を決して、当時持っていた感覚を友人に共有することにしました。


そのうえで、私は一歩踏み出すことを決意。


そこから、壁を取っ払う努力を、少しずつ少しずつ、、。

そこから、5年くらい?もう経ったかな。

これでいいのかな?こんなコミュニケーションでいいのかな?
不安になることはいちいち誰かに相談したりして、、、


未だに壁を100%取っ払うことができたかは自信がないけれど、

自分なりに納得のいく、
私のコミュニケーション方法が
なんとなく確立されてきたなぁと

感じることが出来始めています。


それに伴って、
「友だち」の感覚も。少しずつ分かるようになってきました。

「友だち」について触れられている私


そんなこんなで、
「友だち」という話題をブログ書けるほどに、
「友だち」という言葉や感覚をかみ砕くことができた私ですが、、


きっかけは、受動的で
言ってしまえばラッキー。


人に恵まれている。


そう片づけてしまえることなのかもしれません。
それをなにをそんなに偉そうに我が物顔で書いているのだと思われるかもしれません。


でも、そんなラッキーな自分を「自慢になってもいいや」と思って文章に綴れるほど、


今の私の中には確実に「友だち」の感覚がある。


得られないと思っていたものがある。


その感覚を得られたことは、
私にとってとても幸せだし、


自分にとってとてもうれしい
自分の成長なのだと思う。


まだまだ、失敗することもあるのだろうけれど、


丁寧に。前向きに。
人とコミュニケーションをしていける人間でありたい。



さて、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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現在私は、当事者会、メンター家庭教師などなどの活動をしております。
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では。


どいあやみ。






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