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イマジナリーアックス:第一話

イラスト:カガヤケイ

あらすじ

 ガチゲーマーで陰キャ独身会社員の松倉奏太まつくらそうた(29歳=彼女いない歴)は、大人気2D対戦格闘ゲーム『イマジナリーアックス』にハマっており、女性プロゲーマー、オリィンの生配信を毎回楽しみにしている。

 ひょんなことからその『イマジナ』とコラボした脱出ゲームに参加することになり、一人の風変わりな女性、須波汐理すなみしおりと出会う。彼女もまた『イマジナ』に精通しているようだが、どこか風変わりで……

 この出会いが奏太の生き方を、暮らしを、ゲームとの向き合い方を、そして運命を変えていく!?

252文字

第一話

奏太「行きます! 行きます!」
剣「お、珍しく乗り気だな。どうした? まっくら」
 俺は松倉奏太まつくらそうた。29歳。剣さんをはじめ、親しい先輩・友人からは“まっくら”と呼ばれている。松倉という音の響きからまっくら。黒い服を着がちだからまっくら。性格的に暗いからまっくら。暗いっていうか、単にゲームが好きなだけなんだけどな。
 ウチで独り、コンビニで買ったざるそばを食べていたところ、電話がかかってきた。
奏太「『イマジナリーアックス』とのコラボなんですよね。あの『イマジナ』の」
剣「ああ、その通りだ。あの『イマジナ』だ。めっちゃメジャーなゲームだよな。俺だって知ってる。よし決まりだな。今度の土曜。池猫駅東口、寝込み猫像前集合な」
奏太「ありがとうございます。楽しみです」
 剣さんは大学時代の3学年先輩だ。ボランティアサークルに迷い込んだ俺は、剣さんになぜか可愛がられた。彼は誰とも分け隔て無く接することができる、コミュニケーションのおばけみたいな存在だ。おまけにモテる。俺とは正反対な性格だな。大学卒業後、広告代理店に勤めていて交友関係は広い。メッセージではなく電話をかける俺の周りにはあまりいないタイプの人種だ。時折、こんな風に遊びに誘ってくれる。飲み会や合コンのような会はお断りすることも多いが(そういう場所は苦手だ)、今回の『イマジナリーアックス』とコラボしたリアル脱出ゲームの誘いには二つ返事で乗ることにした。決め手はやっぱり『イマジナ』だ。
 『イマジナリーアックス』略して『イマジナ』は大ヒット中の2D対戦格闘ゲームだ。俺が今一番ハマっているゲーム。映画化されることも発表されたばかりだ。
 キャラクター全員が斧を使って戦う。斧っていうのは何というか、野蛮なキャラやいわゆる雑魚キャラ、知性の劣ったキャラが使いがちだが、このゲームはそんなステレオタイプな考え方を打ち砕いてくる。
 きこりや山賊はもちろんのこと、貴族もいれば、少女もおねえさんもいる。人語を扱う動物や、亜人種(頭だけが鳥だったり)までいる。時の旅人なるキャラもいれば、準神じゅんしんという神に準ずる存在まで登場する。オタク心をそそりますな。そのキャラ数は現時点で32人(体)、今後も随時キャラクターが追加予定だ。
 おっともうすぐ21時半。ざるそばを食べきり、PCのブラウザで、とあるサイトへアクセスした。 

オリィン「こんばんはー! 今日も『イマジナ』やっちゃうぞー!!!」
 よく通る高い声。心地よい。
 月曜、金曜の21時半は、動画配信者オリィンのゲーム実況を欠かさず観ている。
 オリィンは顔出しNGのようで、いつも西洋甲冑の兜をかぶっている。女戦士トラフマーの出で立ちだと一目でわかる。
 オリィンはWGO(World video-Game Organization)世界電子遊戯機構、公認のプロゲーマーでもある。プロと言っても、普通に会社勤めもしているようだ。


オリィン「今日は、時の旅人・スナフロンを初めて使ってみまーす!」
 お、今日スナフロンか。この間追加されたキャラで皆気になっている。俺もちょっとさわったけどすぐ諦めたなあ。
オリィン「何だこのジャンプ軌道…… あー、おー、くせが、くせが強いなー…… ちょっと歩くスピードは遅めだね……
 ポテンシャルを引き出せれば強いんじゃないかなー。あー、え、何何何何、投げキャラなのー? あー意外ーーー!」
 ははは。おもしれー。リハーサルとかで一応使ってるんだろうけどな…… 見せ方がうまいな。誰もが感じるリアクションだ。まさか、スナフロンが投げキャラとは見た目からは想像できないよな。
オリィン「ちょっと技コマンドと技名確認するね。えっと、この波動コマンドのバリア技が『顔としての他者』で、昇竜コマンドの対空にもなる空中投げが『エポケーの達人』。で、レバー1回転の投げ技が『黄昏色の喜劇』か、スナフロン面白いな」
 技名がおしゃれ。外見は、あの往年のアニメの、あのキャラをモチーフにしている、と誰が見ても明らかなのがいい。勝利時の台詞、『泥水もそのままにしておけば、きれいな水になるよ』っていうのが印象的だ。それと制作者の遊び心なのか、233分の1の確率でレア台詞に差し替わる。ネットで少しずつ公開されている。『哲学? ああ、頭がいいと思い込んでいる人が語り散らすオルタナでしょ』とか、『君もそう。僕たちはこの世のお客さんさ』とか『誰かをあんまり崇拝しすぎると、ほんとうの自由は得られないよね』とか……
オリィン「はいっ、ということで今日はここまで、またオリィンとゲームしようねー。まったねー!!!」
 あー面白かった。時間があっという間に過ぎたな。サイコーだな、オリィンは。俺の憧れの存在だ。オリィンみたいな人とお付き合いできたらさぞかし楽しいだろうな、と“恋人いない歴=年齢”の俺は妄想する。
 月曜は週のはじまりで、ブルーな人が多いから元気づけるため。そして、金曜夜は陽キャやリア充が活発に活動するから、陰キャ度の高い我々ゲーマーにも憩いをもたらしたい、という意図があるそうな。わかってるね。


 土曜日の池猫駅はいつもの如くごった返している。寝込み猫像前で剣さんを待つ。程なくして、剣さんともう一人が到着する。
シゲル「おぅ、まっくら。元気か。何年ぶりだ」
奏太「あ、シゲルさん。おひさしぶりです」
 シゲルさんは、大学の一学年上。同じサークルで知り合った大切な先輩だ。剣さん同様、皆から慕われている。裏表のない性格がいいんだろうな。
剣「今日6名な。残りは現地合流」
奏太「えっ訊いてないです(シゲルさんが来ることも……)」
 ビルとビルの合間を進みながら話す。
奏太「そんな多いんですか?」
剣「エントリー条件は、6人1チーム。男女混成。そういうルールなんだ」
奏太「男女混成って」
シゲル「んだよ、まっくら、知らなかったのか」
奏太「はい…… そういうこと先に言って欲しかったです。心の準備が」
シゲル「はは、あいかわらずだな。奥手のまっくらには荷が重いか。はは。気にすんな。俺がいるだろ」
奏太「……」
 この自分の性格を呪う。ゲームに没頭しているからこうなのか、こうだからゲームに没頭するのか、あるいはその相乗効果なのか、誰もが剣さん、シゲルさんのようにふるまえるわけじゃないんです。残り3人って誰なんだろう。どんな人なんだろう。
剣「決して人数合わせでまっくらを呼んだわけじゃないから。それだけは言っておく。脱出ゲームだってゲームの一種だろ。俺の近くで最もゲームの得意なやつと言えばまっくらだ。やるからには勝ちたいからな。期待してる」
 そう言って、声なく涼しく笑う剣さん。
 ゲームの得意なやつ、か。確かに、格闘ゲームのシステムを確立したとされている「ストスト(ストリート・ストレンジャーズ)」の頃からやってるしな。ゲーセンでも連勝して、人だかりができることもしばしばだ。それなりの自信がある。他のことはまるで駄目なのだが、格ゲーには。
 剣さんは多少でもこんな自分を頼ってくれているのだろうか。悪い気はしない。が、ビデオゲームと物理的なこの手のリアルゲームは本質から違うのではないか、とも感じている。
 歩くこと5分。オレンジ色のこのビルが脱出ゲームの会場のようだ。多くの参加者がエントランスに詰めかけている。脱出ゲームのファンなのか、それとも俺と同じように『イマジナ』目当てなのか、そこまでは分からない。
 そんな中、女性が手を振ってこちらに駆け寄る。

夏「剣クン、こんにちは~」
剣「おう」
 彼女は俺のほうを向いて、
夏「坂宮夏さかみやなつでぇ~す。なっちゃんでいいよ~」
 ……金髪ストレート。瞳が緑がかっている。カラコンだろうか。ノースリーブ。すらっとしたスタイルだ。ごてごてっとしたネイルが目立つ。俺の生活範囲にはいない人種だ。
 鼻の下を伸ばしたシゲルさんが横から身を乗り出して
シゲル「はじめまして、なっちゃんよろしくねー。シゲルでいいよー!」
夏「シゲっち、よろしくぅー」
シゲル「お、シゲっち、それもいいねー」
.. なんだなんだ…… このノリは俺にとって完全アウェイだ。いたたまれない。早速帰りたくなってくるが、『イマジナ』の手前踏みとどまる。

夏「で、黒い服の君は?」
奏太「あ、え、ま、松倉奏太っていいます」
夏「ソータ、よろですぅ~」
 右手を耳のあたりまで挙げる夏さん。
 首だけを少し前に出して挨拶を返す。
剣「夏はこう見えて、医者なんだ」
シゲル・奏太「えっ!!」
 人は見かけによらないってこのことか。
夏「えっ、って何。こういう精神科医がいてもよくない?」
 夏さんはそういって笑い飛ばす。言われ慣れているな、そんな印象を持った。
シゲル「それにしても、さすが剣さんっすね。人脈広いなー」
剣「まあ偶然だよな」
 夏さんの後ろにいた女性がゆっくりと声を発する。
アキ「アキです。よろしくお願いします」
 髪を後頭部でかちっと固めにまとめている。一重で切れ長の目をしている。夏さんとは対照的に清楚で大人しい印象を受ける。
シゲル「よろしく!」
奏太「よろしくお願いします」
シゲル「これで5人か。あと一人いるよね?」
夏「シオリ、そろそろ来んじゃね?」
 噂をしていると、その一人が申し訳なさそうに駆け寄ってきた。駅とは逆の方向からだ。
シオリ「(はぁはぁ)遅くなりました(はぁはぁ)」

 リュックタイプの白いギターケースを背負ったその女性は肩で息をしている。
 目鼻立ちがはっきりしていて美人だと思った。ただどこか影を持っていると感じられるのはなぜだろう。夏さんもアキさんも可愛いのは間違いないが、その二人には無い特別なたたずまいがあった。夏さんのように明朗でもなければ、秋さんのような清楚さとも違う何か。それが何なのか、初対面の俺にはよく分からなかった。
夏「おつかれー、シオリ。時間も時間だし、エントリーだけ先にしよっか」



 何とか時間内にエントリーを済ますことができた。
 会場に入り、少し待機するようアナウンスがあった。
シゲル「シオリちゃんって言ったかな」
汐理「……須波汐理すなみしおり
 黒髪。セミロングが少し揺れる。表情はほぼ無い。ギターケースを背負っているところを見ると音楽関係の仕事をしているのか、それとも単なる趣味か。
 目を奪われたのは、白いTシャツのロゴだ。胸の部分を横断するように“Imagnary Ax”と独特のフォントで記されている。イマジナのグッズならたいてい知っているが、あんなの売ってたっけな。見たことないな。それにしても胸がデカい。目のやり場に困るとはこのことか。どうしてもその豊かな胸、じゃなくてそのロゴに目が行ってしまう。やっぱりそのデザインは見たことが無い。盗み見るような感じになっていなければいいのだが……
夏「汐理は出版社で、校正の仕事してる」
シゲル「コウセイってのは?」
夏「文章の誤りや不備を正すことだよね。集中力、緻密さが求められる」
シゲル「ほぉー。俺の苦手なやつだわ」
剣「シゲルって営業続けてるっけ?」
シゲル「はい。不動産営業っす。タワマンも扱ってるから、紹介するよー」
剣「今、営業すんなよ」
シゲル「あ、すいやせん」



 会場内のBGMがひときわ大きくなり、その後フェードアウトしていく。照明が落とされる。
 中央の壇上、マントをまとった男性をスポットライトが捉える。
支配人「ようこそ、『イマジナリーアックス~呪われた館~』へ。私は支配人のゲルトシュライバーです」
剣「はじまったな」
奏太「あ、あの人、ゲルトシュライバーって設定なのか」
シゲル「誰だ、そのゲルトシュラスコってのは」
奏太「ゲルトシュライバー! 『イマジナ』のキャラの一人で、空間魔法使いですよ。強すぎるために先日調整が入りました。ゲームバランスの調整です。最近の格ゲーだとよくあることです」
シゲル「まっくら、さすが、詳しいな」
汐理「あの調整は不当だと思います」
 急に須波さんが話し出した。
汐理「ゲルトはあのままでよかった、というのがあたしの考えです。対処法はいくらでもあるんです。そのことにみんな気づいていないだけです。このままではゲルトは最弱ですよ」
夏「あー、はじまったね。ハハっ。汐理はね、ゲームのことになるともう、こうだから」
 口の前に手を持ってきて、くちばしをパクパクさせるような仕草をする。
剣「おい、ルール説明がはじまるぞ……」
奏太「でも須波さん、最弱にはならないでしょー。だって、第一空間魔法のコマンド知ってます? レバー下2回とKですよ。調整入って当然です」
汐理「なんでそう考えるのですか。『イマジナ』にはアックスリアクターシステムがあるでしょ! 全キャラ共通で。このシステムを有効に活用すれば」
奏太「僕だってAR(アックスリアクターの略)ぐらい知ってますよ! それなりに使いこなしているつもり……」
 別チームの冷ややかな視線を感じる。
シゲル「ちょっと何言ってんのかわかんねーな。おい、静かにしたほうがいいんじゃねえか、まっくらと汐理ちゃん、それ後でいいだろ」
係員「お客様。今は私語厳禁でお願いしたいのですが」
 女性係員が駆け寄り小声で諫める。
汐理「第四空間魔法については発生14フレームから28フレームに変更です。あれでは実践で使えませ……」
係員「もしルールに従って頂けないのでしたら、退場していただかなければなりません」
剣「人数が欠けるとチームはどうなるのですか?」
係員「あなたがリーダーの平剣様ですね。6人男女混成チームでのエントリーは確かに済んでおりますため、欠員しても問題ありません。4名でお楽しみいただけます。まあその分攻略には不利になりますが」
奏太「……剣さん皆さんすみません。また連絡します」
汐理「……失礼します」
 俺と須波さんは非常ゲートから会場を後にした。
シゲル「ったく、そんなむきになることはねーよなー。ゲームごときで。ねぇ、なっちゃん」
夏「だよね~。……まあでもね……」
剣「……(ここまで上手くコトが運ぶとはな。俺の予想を超えてきたな)」



 そのビルの地下一階、『イマジナリーアックス』コラボカフェへ入店した。
 店内の壁や床、天井に至るまで、キャラクターのポスターが所狭しと貼られている。一番奥の席を取った。須波さんは背負っていたギターケースを下ろす。俺たち以外に、2組ほどの客しかいない。おそらくイベント終了後には、押し寄せて満席になるのだろうと予測した。
 メニュー注文カウンターで、俺は“ベラシュテルンの黒き血”という名の濃厚なコーヒーを、須波さんは“ミルヒの収穫祭”と名付けられたミックスジュースを注文した。桃とバナナの香りが広がる。俺も、須波さんも黙りつつ、それぞれの飲み物に口をつける。気まずいような、いたたまれないような空気があたりを埋め尽くす。異様な時間が流れた。
 お互い飲み物を半分程度飲んだあたりで、須波さんが俺の飲み物を指しつつ、ふいに口を開いた。
汐理「……ベラ、使うんですか……」
奏太「ベラはサブキャラとしてちょっとだけ」
汐理「あたしもです。結構テクニカルで使っていて楽しいです」
 楽しいです、とは言いつつも、須波さんは眉一つ動かさない。
奏太「確かに…… 西洋くノ一。面白いキャラですよね。爽快感がある。
……あ、さっきはごめんなさい」
 思わず謝ってしまった。
汐理「……ん? あのことですか、本当にやめてもらいたいです」
 そう言って“収穫祭”を少し口にする。俺も“黒き血”を一口。
奏太「好きなゲームのことになると黙っていられなくて……」
汐理「ん ……え、ああ…… そのこと。それは謝ることではないと思います」
 きっぱりした物言いだ。彼女は続ける。
汐理「むしろ、夏たちや、この脱出ゲームを楽しもうとしている他のチームにこそ謝ったほうがいいのでは」
奏太「あ、ああ。そうかもしれない、です」
 正論かもしれない。 ……ただ、他に謝ることって何かあったかな。
 それにさっきの口論めいたやりとりについて、須波さんは何とも思っていないのか。俺が気にしすぎってことか。もう一口“黒き血”を飲んでみる。とにかく苦みが強い。できればミルクを使いたいのだが、“設定”上それは置いていないらしい。
汐理「あたしもあなたも思ったことを伝えたのですから。それでいいでしょう」
奏太「あ、ま、そうですね」
 視線が自然と下に行く。人の目を見て話すのが得意ではない上に、初対面の女性、それも美人さんということもあって、伏し目がちになってしまう。
汐理「人の胸、ジロジロ見るの、癖なんですか」
奏太「(あー、謝るってこっちのことかー)あ、いやっ、違う違う違います。そ、そ、その……」
 見てない見てない。まあ見てはいるけど、見てないんだ。
汐理「あたしの場合は、隠すに隠せませんし、慣れてますけど…… やめたほうがいいと忠告しておきます」
奏太「あっ、えっ……ごめんなさい…… でっ、でも違うんです。そのTシャツに書かれたロゴ。“Imaginary Ax”って入ってますよね。見たこと無いな、と思って」
汐理「ああ、これ」
 ロゴの部分を両手で引っ張り確認する。一瞬表情をゆるめた。が、すぐ真顔に戻った。
汐理「これ、売ってないです」
奏太「非売品? レアものですね。かっこいい書体・デザイン。独特で」
汐理「…………」
 ん、返事が無い。俺、なんか変なこと言ったかな。それとも彼女なりの間の取り方なのかな。
汐理「……お腹が空きました。ちょっと注文してきます」
 そう言って、席を立ち、注文レジへ向かった。気づけば、“ミルヒの収穫祭”は既に空になっていた。
 俺は席の傍らに置かれたギターケースを見ていた。この人、ギター弾くのかな。音楽はよく知らないけど、エレキとアコースティックがあるよな。どっちなのだろう。いや、もしかして、これってベースギターも入るものなのかな。ベーシストの可能性もあるか。
 出版社で校正の仕事、けっこう忙しいだろうに。そんな中時間を割いて、音楽も、そして、『イマジナ』もやってるのか。
 番号の書かれたアクリル製の立て札を持って須波さんは戻ってきた。
汐理「出来上がったら届けてくれるらしいです」
奏太「何頼んだんですか」
汐理「……」
 あれっ、また無言。これも訊いたらまずいことなの?
奏太「ギターやるんですね?」
 俺はケースを指差して訊ねてみた。会話に困っていたのもあるし、何より気になっていたので思わず切り出した。
汐理「……」
 須波さんはちらっとケースのほうに目を配った。ただそれだけだった。答えたくないことには答えないという徹底した強固な意志ともとれるし、あるいは、何かを隠しているのかもしれない。
 大人になるにつれて、相手や社会に対して「合わせる」ことを学ぶはずだけど、須波さんはそのあたりの価値観が違うのだろうか。よく言えば周囲に流されないタイプだが……
汐理「アックスコード、交換しませんか」
 須波さんのふいの一言に、口にふくんでいた“黒き血”を吹き出しそうになった。意図せず、ブルーティゲ・ラッヘ(ドイツ語で「血の復讐」の意。自身の血を吐き出すベラの主力技)を須波さんにお見舞いするところだった。
 アックスコード。それは『イマジナリーアックス』公式のIDシステムだ。そのコードの交換者(アックスメイト)同士なら直接対戦が可能になる。ウェブに接続した環境下であれば、原理的にはいつでもどこでもバトルを始められる。内向的な俺は、大学からのゲーム仲間と会社の後輩の二人としか交換していない。
 対戦だけでなく、SNS的な機能も有しており、「投てき」というフリー投稿機能(その投擲内容はイマジナユーザーなら誰でも閲覧可能)や「個人間投擲」という、2者間での直接のメッセージも可能となっている。
奏太「あ、いいですよ」
 こんな巨にゅ……じゃなくて、イマジナに熱い思いを持っている人とコード交換できるなんて、思ってもいないことだ。正直嬉しい。凄く嬉しい。だが、感情を隠してしまうこの性格。もっと自分をさらけだしてもいいのかもしれないのだが……
 須波さんも俺も、スマホの専用アプリを開きQRコードを読み合う。
店員「お待たせしましたー。“わんぱくムートの晩餐会(肉の盛り合わせプレート)”、“ジョルジュの活火山クグロフ(ストロベリーソースのかかったジャンボクグロフ)”そして、“天才犬ノイマーンのカルシウムドリンク(牛乳)”でーす」
 テーブルの上が皿で埋め尽くされた。それにしても食べるなー。まるでミルヒじゃないか。
汐理「まるでミルヒじゃないか、って思ってますよね」
奏太「えっ!」
汐理「図星ですね。大食いと言えばミルヒです。『イマジナ』やってればそうなります。ただあたしは、アルプスの牧場で働く少女ではありませんし、無尽蔵のスタミナなんて持ち合わせていません。もちろん身の丈を超えるサイズの斧を振り回すことも」
 そう言って、少しだけ笑うも、すぐに元の表情に戻る。時間にして1秒ちょっと。俺はその笑顔がずっと続けばいいのにと強く思う。
汐理「……いただきます」
奏太「それにしてもコラボメニューの種類多いですね。……そのノイマーンのコラボって、それは?」
汐理「低脂肪乳ですね。単なる」
奏太「思い切ってますね。それにしてもノイマーンはストーリー設定が素敵だと思います」
汐理「本当にそう思います。伝説の斧戦士・サンドロスが生前に愛を注いだ天才ドーベルマン。そして、ご主人様の形見の斧・サンドロスの斧を咥えて戦う。彼は、ノイマーンはサンドロスの復活を心から信じているのですよ……」
 そう言って、少し涙ぐむ須波さん。じょ、情緒大丈夫かな?
奏太「いいですよね…… リーク情報では、そのサンドロスが今後参入するらしいですよ。楽しみだなー」
汐理「…………」
 えーっ! ここもまた反応無しのパターンなのか……
 ……それにしてもよく食べるなー。もうすぐ食べ終わるぞ。
奏太「……それにしても店内少しずつ混み出してきましたね」
汐理「脱出できたチームから、こちらに流れてきているのかもしれない」
奏太「それにしても剣さん達ちょっと遅くないですか。4人だと不利なんですかね、攻略に」
汐理「脱出できない、なんてことないですよね」
奏太「ははは。まさかー」



▼汐理
 入浴を経て、ドライヤーで髪を乾かす。意識的にまばたきをする。少し長めのまばたき。呼吸を数える。便せんと万年筆を机に置く。そうしてあたしはいつものように書き綴る。

【あきらへ
 あたしは元気だよ。

 校正の仕事にもまあまあ慣れてきたかな。なかなか骨の折れる仕事だけれども、どうにかこうにか続けてる。

 今日の話をするね。「脱出ゲーム」に行ってきた。『イマジナ』とのコラボだよ! だから行ってみることにしたの。そもそも脱出ゲームって何なのだろう。自ら、脱出せねばならない状況に身を置いて、脱出しようとすることを楽しむゲーム。
 6人でチームを作ってエントリーをしたけど、諸々あって、あたしと、“まっくらさん”こと松倉さんの2人は「退場」になっちゃった。その後、コラボカフェでコラボメニューを食べたいだけ食べたの。脱出ゲームはできなかったけど、あたしの目当てはコラボカフェだったから。夏たち、ごめんね。
 4人で挑んだ結果は、エントリーチーム28組中、26位だったって。みんなへとへとだった。口々に、「イマジナの知識があったほうが絶対に有利」、「イマジナの中身を知らないためにゼロから考える必要があって、時間がかかりすぎた」、「2人が抜けたのは大きな痛手」って言ってたな。

 そうそう、あきらが試作したロゴTシャツ、まっくらさんが気にかけてたよ。ボツにしなくてもよかったかもね。

 今日はここまで。それではまた】

(つづく)



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