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幻想の、悪の共同体|杉江松恋・日本の犯罪小説 Persona Non Grata【第10回】

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文=杉江松恋

 池波正太郎いけなみしょうたろうは日本の暗黒街小説の創始者ではないか。

 この作者には成立が古い順に〈鬼平犯科帳〉〈剣客商売〉〈仕掛人・藤枝梅安ふじえだばいあん〉という三つの看板シリーズがある。揃い踏みをした一九七二年以降三十年以上にわたって三つの大河シリーズを書き続けた。〈剣客商売〉はご存じの通り親子鷹おやこだかの剣豪小説である。

〈鬼平犯科帳〉は長谷川平蔵宣以はせがわへいぞうのぶため率いる火付盗賊改方と兇賊たちとの攻防を軸とするシリーズだが、人が悪事に吸い寄せられていく機構を描いた点が従来の捕物小説とは画期的に異なっていた。この連作の中では盗賊でも心ある者たちが平蔵の誠意に触れて改心し、密偵となる。だが、誘惑に駆られて密偵から元の盗賊へと戻ってしまう者もいる。そうした形で、善悪が単純な二項対立ではなく、誰でも境界を踏み誤るかもしれないということを示したのである。また、真っ当な盗賊は「人は殺めず、女は犯さず、貧しいものからは盗まず」という三ヶ条を守るものだとし、それを破る兇賊を平蔵は「急ぎばたらき畜生ばたらき」の外道として本質的な敵と見做す。盗賊たちを、規則があって秩序が保たれている集団として描いた点もこのシリーズの特徴として明記しておきたい。

 表の社会に法律があるように、裏の世界に生きる者にも守るべき掟があり、取り決めによって利害関係の対比は最小限に抑えられているというのが池波正太郎の書く暗黒街小説である。池波以前にも犯罪者たちを群像として描いた作家はいたし、自らが拠って立つところを語る悪人のキャラクターというのももちろん存在した。にもかかわらず池波作品が際立って感じられるのは、説得力のある設定や命名によって自分だけの世界を作り上げているからだろう。池波によって江戸の暗黒街は規定されてしまった感がある。それは現代劇においても同様で、大藪春彦おおやぶはるひこを始めとする多くの作家がプロ犯罪者集団を描いたが、ほとんどが荒唐無稽なものか、あるいは現実に存在するヤクザをなぞるものであるかで、完全に一から形を作り上げることに成功した者は稀だったのである。池波以降も、一九九六年に馳星周はせせいしゅうがデビュー作『不夜城』(現・角川文庫)で中国人犯罪組織を空想を交えて作り上げるまで、これという例は見当たらない。なぜ池波正太郎はそれを書けたのか、着想の原点はどこにあったのか、ということに私は興味を惹かれる。

〈仕掛人・藤枝梅安〉シリーズで描かれる暗黒街は、〈鬼平犯科帳〉よりもさらに明快に構造的である。〈仕掛人〉とは金を受け取って人を殺す専門業者だ。彼らは野放図に仕事をするわけではなく、〈つる〉と呼ばれる仲介業者からの依頼が無ければ行動は起こさない。蔓になるのは各地における暗黒街の実力者である。この蔓に殺しを持ちかける依頼主が〈起り〉だ。こうした体系によって発生した依頼を受けて普段は鍼医者として生計を立てている藤枝梅安が殺しを行うまでが描かれる。梅安は特定の蔓抱えの仕掛人ではなくフリーランスである。蔓のうちの白子屋菊右衛門しらこやきくえもんとは関係が深かったが、浪人・小杉十五郎こすぎじゅうごろうを巡るいざこざから敵対するようになり、命のやり取りに発展してしまう。

 作者によれば、三シリーズの中で最も書くのに苦労するのが〈仕掛人・藤枝梅安〉だということで作品数も少なく、『殺しの四人』(一九七三年。現・講談社文庫)から絶筆となった未完の『梅安冬時雨』(一九九〇年。同)まで七作のみである。『殺しの四人』には五篇が収められており「小説現代」一九七二年三月号に発表された「おんなごろし」が梅安の登場する最初の作品ということになる。

「おんなごろし」は仕掛人という言葉が初めて用いられた小説ではあるが、殺し屋たちの暗躍する暗黒街小説の最初の作品ではない。藤枝梅安を登場させる前に池波はプロトタイプの作品をいくつか書いており、現在それらは二つの短篇集にまとめられている。『江戸の暗黒街』(一九六九年。現・新潮文庫他)と『殺しの掟』(一九八五年。講談社文庫)である。

 後者には仕掛人という言葉こそ使われていないもののほぼ同じ依頼システムで殺しを行う業者が描かれ、表題作には〈仕掛人・藤枝梅安〉シリーズの常連である蔓の音羽屋半右衛門おとわやはんえもんが登場する。「梅雨の湯豆腐」の主役は、これもシリーズの名脇役であった楊枝職人の彦次郎ひこじろうだし、「殺しの掟」で半右衛門から請け負う西村左内にしむらさないは、ドラマ「必殺仕掛人」メインキャラクターの一人である。そういう意味では、シリーズとは世界観を一にするが、時間軸の異なるもう一つの仕掛人小説と見ることもできる。

 前者に収録されているのは一九六八年から六九年にかけて発表された作品群である。最も古い「殺」は一九六八年十月の発表で赤不動の嘉兵衛かへえという香具師やしの元締が近藤市五郎こんどういちごろうという浪人に〈仕掛け〉ではなく〈暗殺〉を持ちかけるところから話が始まる。詳述はしないが、この殺しの依頼が皮肉な結末を迎えるところが本作の肝で、構造的に菊池寛きくちかん敵討かたきうち小説に似たところがある。恩讐を永遠に引きずることは人にはできないというのが作品の主題だろう。藤枝梅安と長谷川平蔵が作中で出会わないように、池波作品では仕掛人と盗賊は別の論理で動いていて、世界を棲み分けている。だが「殺」ではそれが交錯するのだ。仕掛人の設定が確立される前の作品だからだろう。

『殺しの四人』のあとがきで池波は〈仕掛人・藤枝梅安〉シリーズが好評を博した理由について、梅安や彦次郎たちを描くことで「人間は、よいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらよいことをしている」という主題を強調したためではないかと書いている。殺しの仕事を離れたときの彼らの日常を書きこんだことが功を奏したのではないかと。

 周知の通り原作はドラマ化され、さらに続篇「必殺仕置人」では中村主水なかむらもんどというオリジナルの主人公が生まれて、昼は奉行所の無気力な同心、夜は凄腕の殺し屋という二つの顔を持つキャラクターが以降のシリーズでも継承されていくことになる。極論すると、池波の原作では人間の心は善と悪という二元論で割り切れないという多面性を焦点とするのに対し、ドラマ版は裏稼業の顔という非日常の在り様を持つ者が一般の人に紛れて日常を生きているという仮面性の物語になっていたという違いがあるように思われる。ドラマの制作陣は、池波の原作から主人公設定がもたらすヒロイズムを拾って換骨奪胎したのだ。

 梅安の表の顔は鍼医師であり、仁術を極めることに強い関心を持っている。仕掛人ではなく、医師として生きたいというのが彼の望みなのだ。強いて言えば医学によって病を治すのも、許せぬ悪を消すのも人助けである、と単純化すると実に薄っぺらい人間像になってしまう。この人物の多面性を理解するためにはもう少し時間をかける必要があるのだ。

 梅安が殺しを行う動機は、その対象が人として許せないということだ。時には仕事ではなく私憤から殺意を滾らせることもある。たとえば第二作『梅安蟻地獄』(一九七四年。現・講談社文庫)に収録された「梅安初時雨」だ。この話で梅安は小杉十五郎と共に東海道を上る旅に出る。その際に通った藤枝宿で、自身がそこの生まれであることを十五郎に語るのである。宿場で見かけた富公とみこうという孤児に梅安は自らを投影し、養子にしようかと夢想する。だが、それは果たせずに終わってしまう。不幸な出来事が起きたためだが、それを知ったとき一瞬だけ「梅安の眼に、青白い殺気がただ」よう。人として許せない相手を見てしまったのだ。梅安は「微かにくびを振った」だけで東海道を下り帰る。

 同様の話が他にもある。第三作『梅安最合傘』(一九七七年。現・講談社文庫)所収の「殺気」である。梅安は若い頃、京の嵯峨野さがので生まれたばかりの我が子を捨てようとする女を目撃したことがあった。その行為が許せず、赤子を拾って梅安が駆けよると、女は「恐ろしい悪魔の手から逃れでもするように」逃げ去ったのである。十五年が経って、そのおたかという女が江戸で生きていることが判明する。笹屋ささやという菓子舗の内儀となっており、貰い子ではあるが一人娘の母親でもある。いまだ子捨てという行為を許せないでいる梅安は、そのおたかという女をどうするか。現在の彼女は母親であり、一人の女として平和に、誰にも危害を及ぼすことなく暮らしているのだ。それを殺すべきなのか、否か。その決断によって梅安の倫理観がどのようなものかが浮き彫りにされるのである。危うい均衡の取り方をする好篇で、常盤新平ときわしんぺいとの対談では池波もお気に入りであることを明かしている(『新 私の歳月』所収。一九八六年。講談社)。

 人殺しはどこまでいっても行為としては悪である。人助け云々は単なる粉飾に過ぎない。梅安はそうした欺瞞を背負った主人公なのだが、シリーズ・ヒーローになったために読者から疑いの眼を向けられることはなくなった。単発作品の『夜明けの星』(一九八〇年。現・文春文庫)の主人公・堀辰蔵ほりたつぞうはそうした庇護から無縁の存在だ。父の敵を追い続けるうちに辰蔵は、はずみで煙管キセル師の源助げんすけを斬ってしまう。そのため敵討ちをして帰藩することを諦め、暗黒街に身を投じて仕掛人になるのである。物語のもう一方の主人公は源助の遺児・お富で、天涯孤独になった彼女の人生を作者は追っていく。闇の住人である辰蔵と陽の当たる場所で育っていくお富はまったく別の世界に生きているのだが、ある一点で二人の軌跡が交わることになる。その出逢いに向けて書かれた物語だ。
『夜明けの星』は池波が絶対に書かなければならない仕掛人小説であった。辰蔵は梅安の陰画と言っていいだろう。表の世界を捨てて闇に生きることを選択した者の運命を象徴する存在が辰蔵なのである。シリーズを続ける以上梅安に背負わせるわけにはいかないものを池波は辰蔵に託したのである。

 改めて『夜明けの星』を再読して思ったことは、物語構造が股旅ものに酷似しているということだった。股旅ものは現在ではまず顧みられないジャンルで、確立者は長谷川伸はせがわしんである。というよりも、股旅ものを書くことを自らの文学的課題として真に受け止めた唯一の存在が長谷川伸だったと言ってもいい。

 家が没落したために貧しかった長谷川は、土工など職人仕事を経たあとで「都新聞」記者となった。在職中から執筆活動を始め、一九二五年に専業になる。最初に目覚ましい成功を収めた作品は一九二八年に発表した戯曲『沓掛時次郎』(『瞼の母・沓掛時次郎』ちくま文庫他所収)である。後に何度も上演、映像化されることになる長谷川の代表作で、主人公は旅人の博徒、つまりやくざだ。

 ある親分に一宿一飯の世話になった時次郎ときじろうは、喧嘩の加勢を頼まれて、土地の博徒である六ツ田むつた三蔵さんぞうを斬る。だが、やくざたちが三蔵の妻子であるおきぬと太郎吉たろきちまで殺そうとするのを捨ておけず、加勢を止めてその者たちを倒す。その恩義に感激した三蔵がいまわの際に頼んだのを受け、時次郎はおきぬと太郎吉の守護神と化すのである。おきぬとの間には恋情が芽生えるが、時次郎は決して彼女に触れようとはしない。死んだ三蔵への義理もあるだろうが、自身がやくざという汚れた身の上であることが第一の理由だ。やがておきぬは亡くなり、太郎吉を連れて時次郎は去っていく。

 映画評論家・佐藤忠男さとうただおの『長谷川伸論』(一九七五年。現・岩波現代文庫)は、この作家を取り上げた中では出色の評論である。同書において佐藤は、長谷川が股旅もので登場させた主人公の心理が非常に屈折したものであることを明らかにしている。時次郎がおきぬに対して純潔を貫くことに表れているが、彼の中には「自分は女一人すら仕合わせにできないほどにやくざな男である」という自責の念がある。にもかかわらず「自分はあわれな女を救う立派な男でありたい」という強い責任感も彼の中には同居しているのである。佐藤によればそれは長谷川が、父親のために没落した家を復興する強い家父長でありたいという願望を抱えていたためだという。

 時次郎がやくざなのは、現実を映した姿というより、卑下しなければならない立場に主人公を追い込むための物語上の処置なのである。股旅ものは近世から近代初期に存在したやくざたちの生態を写し取った、つまり歴史的遺構の創作だと思われがちである。だが実は、作品内で描かれる彼らの生態や文化は長谷川によるまったくの創作なのだ。「お控えなすって、手前生国と発しますは」という名乗りの仁義はやくざ映画でおなじみのものである。だが、時次郎を始めとする長谷川作品の主人公たちはこれを行わない。股旅ものが舞台・映像になる際に付け加えられた演出なのである。では、いったい長谷川はそうした架空のやくざ文化をどこから着想を得て作ったのかといえば、若い頃に体験した土工の世界なのである。当時の土工の中には流れ職人も多く、親方子方のような疑似家族社会の中に自らを投げ込むことを自身の修業ととらえる者もいた。そうした文化をやくざの世界に転用して書いたものが、長谷川の股旅ものなのである。

 一九二三年、東京市浅草区聖天町しょうでんちょうに生まれた池波正太郎は小学校を卒業後、十二歳で日本橋兜町にほんばしかぶとちょうの株式仲買店に入り、その小僧として十代を過ごした。十代の終わりごろから物書きになりたい希望を持っていたが、一九四四年に二十一歳で横須賀海兵団に入ったこともあって、敗戦までは実績といえるほどのことは残していない。一九四七年に読売新聞社主催の演劇文化賞脚本部門に応募した「南風の吹く窓」が佳作になるが、このときの選考委員の一人が長谷川伸だった。翌一九四八年に長谷川の門下生となり、主として新国劇の戯曲を書くようになる。一九五四年に初めて書いた現代小説「厨房キッチンにて」(『夢の階段』所収。現・新潮文庫)を長谷川に読んでもらったところ、「小説でもやってゆけるよ、もっとも努力次第だが……」(『青春忘れもの』。一九六九年。現・新潮文庫)と励まされ、意を強くして執筆をつづける。一九五六年に発表した初の時代小説「恩田木工」(後に『真田騒動』と改め同題短篇集に収録。現・新潮文庫)は直木賞候補にもなる。そこからの活躍は改めて書くまでもないだろう。

 池波にとって長谷川は物書きとしての自分を作ってくれた、文字通りの恩師なのである。大学卒ではなく、働きながら小説家になる道を模索したという若き日の体験も共通項が多い。間違いなく師の作品は学ぶつもりで熟読しているはずであり、「長谷川伸の世界」(『味と映画の歳時記』所収。一九八二年。現・新潮文庫)では『沓掛時次郎』他の諸作についての深い理解の程がわかる。その中に師と交わした会話が引用され、長谷川が自作をやくざ礼賛だと攻撃する評論は誤読だと一笑に付していたことが明かされている。

 その門下生である池波が、単なる自身のロマンティシズムの対象として暗黒街を設定したとは考えにくい。長谷川は自身の価値観を作中人物に代表させようと考えたが、そのまま書けば身勝手な願望充足になることは百も承知で、架空のやくざ共同体を創造して、その境遇に身を落とした人間を描いた。同じように池波の暗黒街も、法の埒外にいる者をそのまま登場させたのでは物語が成立しないため、主人公たちの思想を活かすための論理を優先しながら、一から設計・構築していったのではないだろうか。「おんなごろし」の前に書かれた諸作群はその模索のために必要だったのである。

 おそらくは、長谷川作品を土台にフランス・ギャング映画の要素を加えることで成立したのが池波の江戸暗黒街ではないか。そう考えるのは、梅安と彦次郎、小杉十五郎らの強い結びつきが仕掛人小説の軸になっているからで、信義を重んじる者たちと、利害のためには仲間も売ろうとする外道という対立構造は、たとえばジャック・ベッケル監督『現金げんなまに手を出すな』などを連想させるものがある。池波が稀代のシネマディクトであり、『現金に手を出すな』の主演俳優であったジャン・ギャバンを敬愛していたことを考えると決して無理な連想ではないと思うのだが、現時点では確かな証拠がないため、あくまでも仮説ということにしておきたい。

 もう一点書いておかなければならないことがある。前出の『長谷川伸論』の佐藤による指摘である。「義理と人情を秤にかけりゃ」という歌の文句にあるように、しばしば対立するものと見なされがちな義理と人情であるが、これは本来一体で切り離せないものだったはずだ、と佐藤は書く。つまり一宿一飯のように恩を受けることで成立する義理と、親方子方の関係から家族のそれを模すようにして生まれる人情とは一致して然るべきであったと。その在りうべき形が破壊され、義理を果たすために人情を無視しなければならない状況が生まれる。そのときに唯々諾々と上に従うのではなく、たとえば受けた盃を返すなどし、かつ自身を一段と不幸な状況に追い込むなどして、つまり意地を張って人情を優先するのが股旅ものの主人公なのである。

 この佐藤説を〈仕掛人・藤枝梅安〉に当てはめてみるとおもしろい。蔓の依頼で人を殺すという大義名分は、梅安にとっての義理なのである。それが悪人を許せないという人情と一致しているとき、梅安は問題なく殺しの任務を遂行することができる。小杉十五郎を巡って白子屋菊右衛門の命に彼が逆らったのも同じことだ。小杉十五郎に対する信義という人情と、白子屋への義理は背反したのである。「殺意」で梅安が取った行動の意味も、この文脈に照らし合わせると理解しやすい。自分は暗黒街という社会に属する一員ではあるが、同時に意志によって動く一個人でもある。その相克の結果が行動として描かれるのが〈仕掛人・藤枝梅安〉シリーズなのではないか。社会を背負う個人という犯罪小説としての構造が、この作品を他に類例のないものにしている。

《ジャーロ No.89 2023 JULY 掲載》


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