「裸のムラ」|稲田豊史・ミステリーファンに贈るドキュメンタリー入門〈語っておきたい新作 #05〉
文=稲田豊史
「父」の強い意向のせいで「子」が翻弄され、ときに傷つく。今回の本文で言及した『新世紀エヴァンゲリオン』の父(碇ゲンドウ)と子(主人公:碇シンジ)の関係がそれだった。いわばその構図を石川県という〝ムラ〟に見出したのが、『裸のムラ』だ。
本作には3組の「父」と「子」が登場する。撮影当時、現職知事で全国最長の7期目を務めていた谷本正憲知事(父)と県職員たち(子)。インドネシア出身の妻との結婚を機にイスラム教徒となった松井誠志(父)とその次女(子)。車中で生活するバンライファーの中川生馬(父)とその娘(子)。
谷本知事はわかりやすく強い父権を振りかざす。谷本の会見中、脇に控える男性職員は常に顔をこわばらせて緊張しているし、議会がはじまる前には谷本の席に女性職員がまるで儀式のように「水」をうやうやしく運んでくる。職員一同が谷本に絶対忠誠を誓っている(ように見える)場面も映る。
とはいえ本作が切り込むのは、監督の五百旗頭幸男が前作『はりぼて』で告発したような「地方政治の劣化」ではない。鍵は、その石川県内で暮らすイスラム教徒一家やバンライファー一家の生活描写だ。
松井はイスラム教徒になる契機となった妻にすべてを捧げる生活を送っている。〝ムラ〟でのイスラム教徒に対する偏見や同調圧力に違和感を表明し、妻の手厳しい日本社会批判も甘んじて受け入れる。当然ながら、谷本が振りかざすような強い父権や男根主義はまったく見られない。
バンライファーの中川は、〝ムラ〟的な組織や土地に縛られるのを嫌う帰国子女にして、6社の広報をリモートで請け負うフリーランス。服装も心も働き方も自由な、麗しきノマドライフ実践者だ。
こう聞くと、旧時代的な谷本を悪者に据え、多様性や自由を自ら実践しようとする松井一家や中川一家に現代的な希望を見出すドキュメンタリー……と思いきや、そうでもない。
松井の次女は取材陣に心を開いてくれない。学校で相当つらい目に遭っていた(遭っている?)ようだ。石川県という〝ムラ〟で、ハーフのムスリム少女が生活することの過酷さは想像するに余りあるが、父は娘を庇護しきれていない。
中川は娘に「毎日日記を書く」という中川家独自の義務を課している。娘はそれが苦痛だが、父である中川の前でその意思を表明することができない。中川は「日記の次は英語をやらせたい」と言うが、娘の表情は曇っている。
谷本にも松井にも中川にも、「父」としての理想と信念があり、それを日々実践している。しかしその理想と信念に「子」が翻弄される構図を、本作は残酷にえぐり出す。わかりやすい悪者は出てこない。谷本ですら、政治という大きなシステムの中で「そうふるまうこと」を強要されているであろうことも示唆される。
「父」とはなんなのか。そこに予想外の角度から切り込んだ野心作だ。
《ジャーロ NO.84 2022 SEPTEMBER 掲載》
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