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【新刊エッセイ】岩井圭也|転落へ至る「引力」


転落へ至る「引力」

岩井圭也

 不幸せになりたい、と思いながら生きている人はまずいないだろう。なれるものなら、誰もが幸福になりたいはずだ。

 しかしこの「幸せ」というのが厄介なもので、万人に共通の「幸せ」というものは存在しない。資本主義社会ではお金が「幸せ」を叶えてくれる装置としてみなされがちだが、それも疑わしい。お金があっても不幸だという人はいるし、金欠でも毎日楽しそうに暮らしている人もいる。要は、当人の気の持ちようということだ。

 幸福を追求することは仕事や家庭生活の原動力になるが、過度に追い求めると離れていってしまうのが難しい。「足るを知る者は富む」という老子ろうしの言葉があるように、適度なところで満足しておかないと、逆に破滅への道を歩くことになりかねない。例は、わざわざ挙げるまでもないだろう。大金欲しさに罪を犯したり、名誉のために嘘を重ねる人々。あるいは、業績を上げ続けるために無理をする企業。ちょっとニュースサイトを覗けば、そういう事例であふれている。

 ただし、ニュースでは当人たちがどんな思いで犯罪に手を染めたり、嘘に加担したりしたのかはわからない。内心は他人には読めない。けれど、知りたい。

 私はいつしか、道を踏みはずした人たちの心理を勝手に推測するようになった。あの人にはこんな事情があったかもしれない、この企業ではこんなやり取りがなされていたかもしれない……もちろん、すべて想像に過ぎない。けれど想像してしまうのが小説家の性であり、想像したことは文章に残しておくのが小説家の仕事である。

 気がつけば、転落へ至る短編ばかり書いていた。計六編を書き終えた今思うことは、やっぱり誰もが「幸せ」になりたいのだ、ということである。怠惰や窮乏ではなく、「もっと幸せになりたい!」というまっとうな願いこそが、人を転落へ導く「引力」の正体らしい。

《小説宝石 2024年1月号 掲載》


『暗い引力』あらすじ

わたし、悪くない。ひとりで破滅なんて絶対しない。妻に先立たれ養子の息子と向き合う老人。仕事が忙しい妻を支える気弱な夫。地方の美術館でくすぶり続ける学芸員。倒産や理不尽なリストラで無職となった同級生たち。借金苦から逃れようともがく老女。会社ぐるみで不正を隠蔽する社畜たち。彼らに正論は通じない。ひとつの嘘から、転がりだす悪意の連鎖。強がり、もがき、這い上がろうとする嘘つきたちが最後につかんだものは?

著者プロフィール

岩井圭也 いわい・けいや
1987年生まれ。2018年、『永遠についての証明』で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。2023年、『最後の鑑定人』が日本推理作家協会賞、『完全なる白銀』が山本周五郎賞の候補になるなど、最注目の若手作家のひとり。

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