小泉八雲「茶碗の中」もまた、読後の想像を喚起させる……|新保博久⇔法月綸太郎・死体置場で待ち合わせ【第6回】
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【第十六信】
法月綸太郎→新保博久
/「藪の中」から「茶碗の中」の方へ
新保博久さま
前回は夢野久作「瓶詰地獄」リスペクトで手紙の一部をスキップしましたが、ようやく第十三信の「暫定的結論」と第十五信の「改訂版」を拝読。「藪の中」の東京タトル商会版の英訳で、武弘がTakehikoになっていたという逸話がツボにはまったので、メインディッシュに取りかかる前に、福永武彦とバークリー『毒入りチョコレート事件』について少しだけ寄り道をしておきましょう。
実は創元推理文庫版『完全犯罪 加田伶太郎全集』の解説を書いた時は、探偵小説マニアの作者だから当然『毒チョコ』(私もこの略称は避けたいのですが、原題に寄せて『ポイチョコ』と呼ぶわけにもいかず、新保さんに追随します)を読んでいるはず、という思い込みにとらわれて、うかつにも高橋泰邦訳の東都書房版がまだ出ていなかったことを失念しておりました。新保さんの指摘を受けて、泥縄式に福永氏のエッセイをさらってみたものの、『毒チョコ』の感想らしきものは見当たりません。サロン型の多重推理形式を「完全犯罪」の参考にしていたら、その趣向に触れずにはいられないと思うのですが、あるいは四人のゴルフ仲間がアマチュア探偵気取りで推理を競うロナルド・ノックス『陸橋殺人事件』(一九二五年、早川書房→創元推理文庫)に触発されたのでしょうか?
とはいえ、福永氏は『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』(早川書房→現在は創元推理文庫で入手可能)の「百番目の傑作の方へ」(「EQMM」一九五九年六月号)の回で、ジュリアン・シモンズ選「サンデー・タイムズ・ベスト99」を紹介しながら、「アントニイ・バークリイも『毒入りチョコレート』より『試行錯誤』がいい人もいよう」と書いているので、一九六二年の東都書房版より前に『毒チョコ』を読んでいたのは確実でしょう。
そういえば、江戸川乱歩『海外探偵小説作家と作品』(早川書房)の「バークリー」の項には、「代表作と云われる『毒入りチョコレート事件』も未読である。この後者をまねた日本人の作が、昔『新青年』にのって問題になったことがあり、私などは、そのために、そのもとの作『チョコレート事件』を邦訳してほしいという気持を失ってしまい、原作を読む気もなくなっていたほどである」(昭和三十一年六月新稿)という記述がありましたね。「毒殺六人賦」のせいで『毒チョコ』の完訳が遅れたようにも読めますが、もしそうならずいぶん罪作りなことをしたものです。戦後の乱歩がアイルズ『殺意』を持ち上げる一方、バークリー名義の長編の紹介に消極的だったのは、戦前のトラウマが尾を引いていたからかもしれません。
それはさておき。
新保さんの「藪の中」の真相、特に第十五信の「改訂版」は予想以上に「創作」の色が濃くて驚いたのですが、死霊説にはそそられるものがありますね。というのも、それが作中ルールを踏まえた特殊設定ミステリの解法になっているからで、作品の構成上、読者は死霊の存在を否定できない。先行する「暫定的結論」には、「だがこれは小説に登場しない第四の人物を措定しなければならないので、作品解釈としては無理がある」という注釈がありましたが、その裏をかくように武弘の死霊が「第四の人物」を兼任するのは、コロンブスの卵みたいな妙案です。とりわけ矢の本数の食い違いと多襄丸の落馬の理由を「死霊に追いかけられたから」と解するのは、WHY(なぜ?)の謎に注目した「論理のアクロバット」の好例といっていいでしょう。
ですが「改訂版」で一番面白かったのは、特殊設定ミステリに食傷しているはずの新保さんから、超自然的なホラー要素を逆手に取った〝特殊設定ど真ん中〟の発想が出てきたところでした。ここで調子に乗って「嫌よ嫌よも好きのうち?」などと口走ると、昭和のセクハラ親父みたいになりますが……(以下自粛)。
新保さんの「藪の中」熱に当てられたようで、私もうかうかしてはいられません。芥川龍之介がどういう意図で矢の本数を増減させたのか、『今昔物語集』の原話に当たって弓矢に関する記述を確認してみました。新保さんも書かれているように、「藪の中」の元ネタは巻二十九第二十三「具妻行丹波国男於大江山被縛語」なのですが、弓矢の扱いに関して、芥川は原話に変更を加えています。
元ネタのほうは、太刀を帯びた若い男が旅の夫婦連れを呼び止めて、自分の太刀(陸奥国産の名刀)と夫の弓を交換しようと持ちかける。名刀に目がくらんだ夫は男に弓を譲り、さらに相手に乞われるまま、矢を二本渡してしまう。山奥に入ると若い男は受け取った矢を弓につがえ、交換した太刀を捨てろ、言うことを聞かないと射殺すぞと脅して、丸腰になった夫を杉の木に縛りつける……という筋書きです。
みすみす弓矢を手放した夫の間抜けさには呆れますが、多襄丸がいきなり武弘を力ずくで組み伏せる「藪の中」と比べると、同行者を油断させ自由を奪う段取りとしては原話のほうが理にかなっている。むしろ芥川の再話で矢の本数が減っているのは、このへんのやりとりが影響しているのかもしれません。
ところが原話を読み進めていくと、弓矢の件以上に気になることが書いてある。ラストに「賊は女の着物を奪わなかったので立派だが、人里離れた山中で初対面の相手に弓矢を渡した夫の愚かさはどうしようもない」というコメントが添えられていることです。ポイントは賊が妻の着物を奪わなかったという点で、盗賊が着物を奪う/奪わないという手口の相違が、作中の別の証言に引っかかってくる。別の証言というのは――いや、その説明をする前に、また少し回り道をしなければなりません。
実は今回の返信に取りかかるまで詳しく知らなかったのですが、「藪の中」には巻二十九第二十三「具妻行~」以外にも、芥川が参照した『今昔物語集』の原話があるらしい。同じ巻二十九に収録された第二「多衰丸調伏丸二人盗人語」と第二十二「詣鳥部寺女値盗人語」の二編がそれです。付け焼き刃で補足しておきますと、『今昔物語集』の巻二十九は「本朝(日本)世俗部・悪行」篇と題して盗人譚を多く集めており、「具妻行~」以外に芥川が再話に利用した第二「多衰丸~」と第二十二「詣鳥部寺~」もその例外ではありません。芥川の構想の跡をたどるために、続けて三つの原話を読んだわけですが、これらの盗人譚と「藪の中」を突き合わせると、隠れていた別の構図が見えてくる――ような気がしてきたのです。
まず第二十二「詣鳥部寺~」から見ていきましょう。これは題名から察しがつくように「藪の中」の〈放免の物語〉の最後の段で、多襄丸の余罪として語られた「昨年の秋鳥部寺の賓頭盧の後の山に、物詣でに来たらしい女房が一人、女の童と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業だとか申して居りました」というくだりの元ネタです。
『今昔物語集』の第二十二は女の童を連れて鳥部寺に詣でた人妻が、元放免の雑色(下男)に寺内で犯され着物を奪われたというもの。原話の記述で目を引くのは、二人とも殺されずにすんだものの、色欲を満たした賊が袴(下着)だけ残して、主従の着物まで持ち去った行為を「あさましい」と批判していることでしょう。一方、次の第二十三では、若い男が妻の着物を奪わなかったことを「立派だ」と評しているので、『今昔物語集』の編者には明らかに両者を対比する意図があったはず。言い換えれば、芥川はあえて多襄丸の犯行手口を参照元の原話どうしが食い違うように仕立てているわけです。
でも、これだけでは何のことやらわかりませんね。隠された構図をあぶり出すために、もう一本補助線を引いておきましょう。
第二十二のラストには見逃せない記述があって、「その男はもとは侍であったが、盗みを働いて獄に入り、後に放免(*)になった」というのです。芥川がこの話を作中に取り込んだのは、放免という語に引き寄せられたからではないでしょうか。〈放免の物語〉の中には、鳥部寺の強姦犯が「放免」だったという情報は出てきませんが、『今昔物語集』の原話と「藪の中」を併せ読むと、多襄丸と彼を搦め取った男のいずれも「放免」であるという仕掛けが浮き上がってくる。これが芥川の狙いだったような気がするのです。
*ただし、歴史学者の喜田貞吉が「社会史研究」誌に発表した「放免考」(大正十二年七・八月、ちくま学芸文庫『賎民とは何か』所収)によれば、「これらは同じく放免と呼ばれていても、検非違使庁の下部の放免ではなく、いわゆる雑色男となっていた放免囚である。そしてやはり放免と呼ばれていたのだ。すなわち放免とは前科者ということで、必ずしも庁の下部に限った名称ではなかったのだ」とあるので、「藪の中」で多襄丸を捕縛した放免とは、同じ言葉でも意味が違うようですが。
それを踏まえて、今度は巻二十九第二「多衰丸調伏丸二人盗人語」を読んでみます。多衰丸と調伏丸という二人組の盗賊にまつわる逸話で、「藪の中」の多襄丸という名前はここから取ったというのが定説のようですね。原話のほうは、蔵破りの常習犯・多衰丸はたびたび逮捕・投獄されたが、相棒の調伏丸は神出鬼没でその正体も不明であった、という週刊誌の風説記事みたいな内容です。ただし原文の途中に脱落があるらしく、具体的なエピソードが欠けているため、二人の関係はよくわからない。芥川がわざわざこの物語を選んだのは、作中の肝心な箇所が抜けていることによって、想像力を刺激されたからという見方ができるかもしれません。
もう一歩踏み込んで、想像(妄想)をふくらませてみましょう。繰り返しになりますが、新保さんは第十三信の「暫定的結論」の中で、「だがこれは小説に登場しない第四の人物を措定しなければならないので、作品解釈としては無理がある」と書いています。しかし「藪の中」と『今昔物語集』の原話を二重写しにして読み込めば、作中で証言している放免を「第四の人物」、すなわち多襄丸の隠れた共犯者・調伏丸(仮称)に当てはめることができる。相棒の調伏丸が逮捕されなかったのは、放免として警吏の側にいたからで、神出鬼没・正体不明とされた理由も同じです。「藪の中」事件では、あらかじめ多襄丸と示し合わせて密かに三人の跡をつけていた可能性が高い。藪の陰から武弘を不意打ちして、杉の木に縛りつけたのは調伏丸でしょう。多襄丸と真砂が現場を去った後、自分の正体を隠すために武弘を殺害、縄をほどいたのも彼のしわざだとすれば、三人の証言の食い違いにもそれなりに筋が通ります。
その後、二人の盗賊は何らかの理由で仲間割れし、調伏丸は放免として多襄丸を逮捕、武弘殺害の罪も相棒になすり付けたのでしょう。それだけではありません。手口の相違に注目すると、鳥部寺に詣でた女房を犯し、主従の着物を奪って逃げたのも調伏丸の犯行だった疑いが濃くなります。〈多襄丸の白状〉の中で、「あなた方は太刀を使わない、ただ権力で殺す、[……]どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう」とうそぶいたのは、仲間を裏切って証拠をでっち上げ、すべての罪を着せたのが権力の手先となった放免=調伏丸であることをほのめかしているのではないでしょうか?
こんなふうに『今昔物語集』の原話を引き合いに出すのは、狡いかもしれません。ただ「多衰丸調伏丸二人盗人語」の原文に脱落があるのは偶然でなく、「藪の中」の構成にも何らかの影響を及ぼしているという見方はけっして強引ではないでしょう。リドル・ストーリーとは趣が異なるにせよ、原話に空白の部分が存在するために、不完全な物語に想像を働かせる余地が生じるからです。
原話に空白の部分があって、題名に「~の中」が含まれるといえば、小泉八雲「茶碗の中」もそうですね。いま手元に本がないので確認できませんが、新保さんが第十三信で触れていた紀田順一郎編『謎の物語』にはちくまプリマーブックス版、ちくま文庫版の両方に平井呈一訳で収録されているはずです(編集部注、ちくま版では「茶わんのなか」、他に「茶わんの中」と表記される場合もありますが、本連載では引用文中を除き「茶碗の中」に統一します)。
物語のあらましは、茶碗の水に浮かんだ若い男の顔――気味悪く思いながらぐっと飲み干した関内という武家の部屋へ、その夜、水に映ったのと同じ顔の若衆が訪ねてくる。幽霊と断じて小刀を向けると、闖入者は壁を抜けて消えてしまう。翌晩、若衆の家来と称する三人の男が訪ねてくるが、関内はいきなり大刀を抜いて飛びかかり、客を目がけて左右に斬りかかった。男たちは隣家の土塀のきわへさっと飛びのき、影のように土塀を乗り越えて……。
「――ここで、この話は切れている。これから先の話は、何人かの頭のなかにあったのだろうが、それはついに百年このかた、塵に帰してしまっている。[……]わたくしはむしろ、関内が幽霊を嚥んだそのあと、どういう次第になったかは、おおかたの読者の想像にまかせておいた方がよいように考える」(平井呈一訳)
八雲の怪談も原話を未完の物語として読者に提示し、読後の想像を喚起させるというスタイルで書かれており、これも一種のリドル・ストーリーにほかならないと思います。ところが、八雲の解釈に真っ向から異議を唱えた作品があることは、新保さんもよくご存じでしょう。赤江瀑の短編「八雲が殺した」(一九八四年、長編『海峡』とともに第十二回泉鏡花文学賞を受賞した短編集の表題作で、現在は創元推理文庫『魔軍跳梁 赤江瀑アラベスク〈2〉』に収録)がそれなのですが、ちょうど話が佳境に入ったところで、またしても紙数が(――ここで、この手紙は切れている)。
二〇二三年三月十七日
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【第十七信】
新保博久→法月綸太郎
/欠け茶碗の欠片を探して
法月綸太郎さま
つらつら考えるに、特殊設定ミステリの隆盛は日常の謎への反動というより、両者は地続きという御説のほうが正論ですね。実社会での経験に乏しい若手作者が小説を書こうとして、唯一知悉する学園物か、自分の身のまわりに材を得る日常の謎系を扱うのと、知らない世界を無理して描くより、いっそ舞台ごと自分で創ってしまえばいいと考えるのは同じ根でしょう。異世界転生テーマが濫用されるのもそれで理解できます。特殊設定は、勿体ないが(というほどでもない)使いよい、ということで、私も「藪の中」の第四の人物に意識せずして特殊設定を用いていたようです。
この往復書簡はどういうふうに展開してゆくか、明確なヴィジョンもなく船出しましたが、学生時代から作品を発表し、ほとんどそのまま専業作家になってしまった芥川龍之介に行き着いたのは、ある意味で必然だったのかもしれません。芥川が実社会の体験不足を補うべく、今昔物語集やキリシタン文献、海外文学など文献を旺盛に摂取咀嚼して作品化していった軌跡は、日常の謎や特殊設定を描いたともいえるのですから。異世界ファンタジーである「河童」(一九二七年)はもとより、汽車で乗り合わせた少女がなぜ煤煙が入るのにも構わず窓を開け放つのかという「蜜柑」(一九一九年)も日常の謎を扱っていると言えなくもありません。
さて、「藪の中」の第四の人物を放免(角川文庫版『藪の中・将軍』付録の宮島新三郎の同時代評では「ほうべん」と呉音でルビが施されていますが、無罪放免の「ほうめん」と識別させるためでしょうか)とする法月さんの妄説(?)もすこぶる興味深い。加田伶太郎「完全犯罪」になぞらえるなら、坂田刑事が犯人ということになりますね。盗賊上がりで国家警察パリ地区犯罪捜査局の初代局長にまで昇りつめたフランソワ・ヴィドックほどではないとしても、一人二役で逮捕を免れようとするのはブラウン神父譚の「奇妙な足音」さながらです。調伏丸ならぬ〝蝙蝠丸〟と異名を捧げたくなる。
福永武彦氏が『深夜の散歩』で『毒入りチョコレート事件』に触れているとのご指摘にも恐れ入りました。いま手元にある『深夜の散歩』は五度目の刊行になる創元推理文庫版ですが、ひとつ前のハヤカワ文庫JA版には書名索引がついていたので、横着せずにそちらを参看すべきでした。しかし福永氏は『毒チョコ』より『試行錯誤』のほうを買っているように読めますね(もっともクロフツは『坑木会社の秘密(製材所の秘密)』は知らないがと言いつつ、嫌いなはずの『樽』などを推していたりしますが)。
創元ライブラリでも、ピエール・バイヤール著『シャーロック・ホームズの誤謬 『バスカヴィル家の犬』再考』(二〇〇八年原刊、一一年初訳)が文庫化されたばかりです。コナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』(光文社文庫ほか)といえば、舞台となるダートムアに出張して来ているホームズに、ロンドン警視庁のレストレード警部が「署名なしの逮捕状持参す」(日暮雅通訳)と返電してくる場面が第十三章にありますが、このunsigned warrantというのはホームズが電報で要求したものなのでしょう。この段階でホームズはレストレードに犯人が誰か教えていないし、そもそも逮捕状にサインすべきは検事ですよね。検事のサインも、逮捕すべき相手も書いてない逮捕状なんてものがあるかしら。全訳のあるベアリング=グールドの〈詳註版 シャーロック・ホームズ全集〉(ちくま文庫←東京図書)やオックスフォード大学版〈シャーロック・ホームズ全集〉(河出書房新社→文庫版は註を抄録)でも、この語に注釈はしていません。これは、正式書類などなくても容疑者をあっさり屈服させられるもの――つまり拳銃を持って来いとレストレードに言いたくても、電報にあけすけに書けなかっただけではないでしょうか。
それを日暮さんに申し述べたら、まだ誰も指摘していない新発見かもしれないと言われました。まさか。日暮さんもご存じないということは、レスリー・クリンガーの注釈本にもないに違いありませんが、百年以上、イギリス本国だけでなく世界中のシャーロッキアンがあとに草も生えないほど研究し尽くしていて、同人誌も含めれば新説かどうかなんて誰にも判定できません。私程度が思いつくレベルのことは、誰かがとっくに発表していそうなものです。「藪の中」の仮想解決も独自に考えたつもりではありますが、先例があることは免れません。
「藪の中」問題もいいかげん切り上げ時ですね(しかし、ここから「茶碗の中」へ行くとは思わなかった……)。赤江瀑「八雲が殺した」も、ラフカディオ・ハーンの「茶碗の中」と、下敷きとなった『新著聞集』の巻五第十奇怪篇「茶店の水椀若年の面を現ず」との比較検討を発端とし、そこから新たな物語を紡いでいました。作中で指摘されているように、ハーン(八雲)は原話の描写をふくらませるいっぽう、二箇所、重大な削除を施しています。
(八雲というのは、日本に帰化するにあたってハウンに漢字を宛てたものだったのですね。知っていたはずなのに、すっかり忘れておりました。小泉は夫人の姓。雑誌「幻影城」編集長だった島崎博氏も同じシステムで、島崎氏の博は本姓の傅に字形の似た名前にしたらしいです)
ハーンが削除したのは若衆の家来たちが、「(主人が)思ひよりてまゐりしものを、(貴殿は)いたはるまでこそなくとも、手を負はせたるはいかがぞや」と難詰するセリフと、彼らはそれきり再訪してこなかったという結末です。すなわち、関内が飲もうとした茶の表面に見知らぬ若衆の顔が生霊のごとく出現したのはなぜかという、時系列的には怪異の発端となったはずの動機の部分と、事件の決着を示す部分で、ハーンは原話の頭と尻尾を切ってしまいました。原話でも、いつ若衆が関内を見初めたのか説明されないのですが、そこはいかようにも察しのつくことで、リドル・ストーリーでなかった原話が削除操作によってリドル・ストーリーに変じてしまったのは、たいへん珍しい例でしょう。
「茶碗の中」は「通俗ばなしの原話にもはるかに及ばない不出来の作になった」との酷評は、「八雲が殺した」のヒロイン村迫乙子の見方であり、赤江氏の意見ではありますまい。比較文学研究者の牧野陽子氏が言うように、「(「茶碗の中」は)原話よりハーンの再話作品の方がはるかに緊迫感があって不気味であり、恐怖感の漂う仕上がりになっているといえよう」(二〇一一年刊『〈時〉をつなぐ言葉――ラフカディオ・ハーンの再話文学』新曜社。この章の原型は一九八八年十二月「成城大學經濟研究」の紀要論文「ラフカディオ・ハーン『茶碗の中』について」)といった評価に、赤江氏の立場も近いのではないかと想像されます。紀田順一郎・東雅夫編『日本怪奇小説傑作集』(二〇〇五年、創元推理文庫)全三巻でも「茶碗の中」がトップを飾っています(トップであるのは年代順だからですが)。
『怪談』(二〇二二年、KADOKAWA)をあえて直訳調で訳した円城塔氏によれば、「ハーンがどの程度日本語を聞き取り、話すことができたかはよくわからない。(中略)記された日本語の読解についてはおおよそ、できなかったと考えられている。素材の収集はほぼ、妻小泉節子からの聞き取りによったと言われている」(訳者あとがき)らしい。
「ともすると、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、日本の文献を読み漁りそれを流麗な日本語で記したと思われていることがあるのだが、当然そんなことはなかったのであり、彼は書物を前にした妻の語る日本の話を、日本語と英語を交えたやりとりを通じて自らの体に通し、それを英語読者へ向けて英語で記した」
あいにく「茶碗の中」は原短編集では死去直前の『怪談』(一九〇四年)でなく『骨董』(一九〇二年)の一編なので円城訳には含まれていません。だいたい日本では八雲怪談は雑駁に『怪談』と総称されていますが、小林正樹監督の映画「怪談」(一九六五年)のオムニバス四話のうち原作が『怪談』に収録されているのは第二話「雪女」と第三話「耳無し芳一の話」だけで、「和解」(では怪談っぽくないためか「黒髪」と改題されています)は『影』(一九〇〇年)、全体を締めくくる「茶碗の中」は前述のとおりです(映画は作者自身が怪異に襲われて終わるメタ構造なのでしょう)。
小説「茶碗の中」におけるハーンの削除改訂は不注意・不用意のせいではなく、原話の男色臭が洗い流されているのは、ハーンが「英米ヴィクトリア朝の読者層に対する倫理的配慮からか、他の怪談の再話においても原話に少しでも悪趣味と思われる所があれば、注意深く削った」(牧野陽子、前掲書)結果であるのは異論のないところでしょう。同時代人であるオスカー・ワイルドがそのためにレディング獄舎に囚われ、悲惨な後半生を送るもとになったことなどを考えれば、筆禍にどれほど用心しても、しすぎることはありません。『雨月物語』ちゅうBL小説であるとの解釈も有力な「菊花の約」もハーンはリライトしていますが(そもそも上田秋成のが中国ダネなのでダビングを重ねたことになる)、菊花に英語でもそういうニュアンスがあるのかどうかともかく、ハーンは「守られた約束」(Of a Promise Kept)と題しました。
「茶碗の中」がなぜ削除改訂されたかは議論の余地ないところでしょうが、関内を追及に来る武士たちの名前にまで変更を加えた理由は見当もつきません。ハーン旧蔵の『新著聞集』写本によれば松岡平蔵、岡村平六、土橋久蔵(「八雲が殺した」や『〈時〉をつなぐ言葉』、また柴田宵曲『続 妖異博物館』では土橋の名を文蔵と読んでおり、いかにも久の字は文と見えなくもない)となっていて、若衆の配下その一その二その三でもいいような人物にフルネームを与えているのも面妖ですが、ハーンは彼らをMatsuoka Bung, Tsuchibashi Bung, and Okamura Heirokuに変えている。三人のうち二人のファーストネームが同じなのは単に間違えたのか、あるいはトゥイードルダムとトゥイードルディー的な不気味さを醸させようとしたものでしょうか。たぶん初訳である田部隆次訳「茶碗の中」(一九二六年。青空文庫で公開)では松岡文吾はハーンの変更に合わせて漢字に置き換え、土橋は『新著聞集』に遡って久蔵、ハーン邦訳のスタンダードとなった平井呈一訳もこれを踏襲しています。順番以外に変更のない岡村平六を除いて、近年の上田和夫訳(一九七五年、新潮文庫)と平川祐弘訳(二〇一四年、河出書房新社)は「松岡文吾、土橋文吾」、牧野陽子訳(一九九〇年、講談社学術文庫)は「松岡文五、土橋文五」とそれぞれ訳したものです。ハーンが名前を変えた理由について、法月さんは何かお考えがありますか。
怪談において、怪異の起きる由来はナニナニの祟りだとか説明するのがゴシック、説明抜きに怪異だけ読者に提示するのがモダンホラーだと、都筑道夫説を大雑把に解釈しておくなら、ハーンは若衆の動機を伏せることで、ゴシックだった原話をモダンホラーに作り替えたとも言えるでしょう。こういった論旨は、途切れた第十六信の続きで法月さんが予定しておられたのを先回りしてしまったかもしれませんね。
少し角度を変えましょう。江戸川乱歩に「祖母に聞かされた怪談」(一九六〇年。講談社版江戸川乱歩推理文庫第六十巻『うつし世は夢』/平凡社ライブラリー『怪談入門』所収)という随筆があります。そこに紹介されている話の内容がハーンの「むじな」にそっくりなのに、乱歩は一言もそれに触れていません。どころか、ロング・ブックガイドとも言える随筆「怪談入門」(平凡社前掲書/光文社版江戸川乱歩全集第26巻『幻影城』所収)は古今東西の怪奇小説を語っていながら、ハーンも小泉八雲も名前すら出てこない。「祖母に…」では、エリザベス・フェラーズの推理小説『私が見たと蠅は言う』(ハヤカワ・ミステリ文庫)のヒロインが昔、同じ内容の怪談を読んだことから、東西に共通の怪奇譚が存在していることを興がっているばかりです。乱歩蔵書にも八雲の著作は、明治時代に訳された『怪談』が一冊あるきり。ほとんど読んでいなかったのでしょうか。乱歩にまつわる解けない謎の一つです。
乱歩は同性愛に関心があることを隠しませんでしたが、「恋愛に結びついた怪談は、西洋にも東洋にも非常に多い。(中略)男女の恋愛ではないが、上田秋成の「菊花の約」と、幸田露伴の「対髑髏」などが忘れ難い感銘を残している」(「怪談入門」)とも述べています。しかしそれがハーンによって「守られた約束」にアダプテーションされていることには知らん顔です。あれほど同性愛文献に関心を寄せていたのに。
都筑道夫もまた、ハーンを語ることがそれほどありませんでした。怪談の書き手として、いつも挙げていたのは岡本綺堂と内田百閒ですね。普通にハーンに親しむには、平井呈一訳を介するのが簡便でしたが、平井氏の訳業を買っていない都筑氏は敬遠してしまったのかもしれません。
誰にも翻訳できない難物と言われていたドロシー・L・セイヤーズの『ナイン・テイラーズ』を仕上げて名声を高めた平井氏ですが、その訳本を読みとおすことが出来なくて、浅羽莢子訳のお蔭でようやく味わいえた私も、平井訳への偏見が拭えないようです。しかし、兄の国語教科書に載っていた「耳なし芳一の話」で興味を覚え、偕成社のジュニア版日本文学全集で買い求めた『怪談』(一九六五年)はご多分に漏れず平井呈一訳でした。ずいぶん傷んでいますが、手放しかねている一冊です(手放そうにも状態が悪すぎて棄てるしかないでしょうが)。なかでも「茶碗の中」が際立って印象に残っているように、リドル・ストーリーという概念を知らなかった小学生だったのに、読み終わって宙ぶらりんに取り残されたような不安感は、普通の怪奇物語を読んだときの怖さ以上に強く刷り込まれたようです。ハーンが結末を削り、原話とは異なりリドル・ストーリーに仕立てたことは意外な読者を育てていたと言えるかもしれません(大した読者でないのがカナしい)。
さて、どうにか書き終えたところでお茶でも飲むとしましょうか。
二〇二三年三月三十一日エイプリルフール・イヴ
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【第十八信】
法月綸太郎→新保博久
/蝙蝠やクラリモンドは吸血女
新保博久さま
前回は尻切れトンボの投げっぱなしで、不調法をお詫び申し上げます。いただいたお返事は論旨の先回りどころか、「八雲が殺した」とハーンの再話(削除改訂)のポイントをきちんと押さえたうえに、牧野陽子氏の著作までご教示くださり、お礼の言葉もございません。関内を追及に来る武士たちの名前の変更に関しては、都筑道夫の小泉八雲評価とあわせて、本信の後半であらためて触れることにしましょう。
それはさておき、のっけからまた余談なのですが、芥川龍之介はおよそ百年前、大正八年(一九一九年)三月に実父・新原敏三をスペイン風邪(インフルエンザ・パンデミック)で亡くしているのですね。自らも三度スペイン風邪に感染して病床に臥し、
胸中の凩咳となりにけり
凩や大葬ひの町を練る
といった句を詠んだそうです。幸いにして私は新型コロナウイルスに未感染ですが、この往復書簡が「ジャーロ」で始まった二〇二二年七月は、オミクロン株による第七波のまっただ中でしたから、先行き不透明で「唯ぼんやりした不安」を抱えた手紙のやりとりが芥川に行き着いたのは、別の意味でも必然だったような気がします。
それにしても「学生時代から作品を発表し、ほとんどそのまま専業作家になってしまった芥川龍之介」という寸言は、かつて「実社会での経験に乏しい若手作者」としてデビューした自分にとっても、なかなか耳の痛いコメントでありました。「唯一知悉する学園物か、自分の身のまわりに材を得る日常の謎系を扱うのと、知らない世界を無理して描くより、いっそ舞台ごと自分で創ってしまえばいいと考えるのは同じ根でしょう」という指摘にも思い当たるふしがありますが、それでもやはり、知らない世界を取材して描くより、舞台ごと自分で創ってしまうほうが効率がいい、という発想にならないのは、一九六〇年代生まれの限界(?)なのかもしれません。
実社会とフィクション(ミステリ)の関係も、昔ほどシンプルには語れなくなってきたようです。日常の謎がお仕事ミステリ流行の呼び水となり、学園異能バトルの延長線上に就活サバイバル小説があるとすれば、虚実の狭間にもっとねじれた相関関係が生じることもありうるでしょう。たとえば近年ネタにされることの多い「マナー講師による謎ビジネスマナー」の乱立は、特殊設定ミステリの隆盛とシンクロしているのではないか? 「飲み会でお酌をする際、徳利の注ぎ口は〝縁の切れ目〟を想起させるので使わない」とか、「稟議書などのハンコは、隣の上司にお辞儀をするような角度で押す」とか、大喜利みたいな謎マナーが本当に幅を利かせているかどうかは別として、この種の呪術的発想は「実社会での経験に乏しい若手作者」がこしらえた異世界の特殊ルールと大差ないように見えるからです。
というのは、もちろん冗談ですけれども……、二月に出たばかりの限界研編『現代ミステリとは何か 二〇一〇年代の探偵作家たち』(南雲堂)に収録された宮本道人氏の白井智之論「特殊設定ミステリプロトタイピングの可能性」のようなマニフェストを読むと、あながち冗談とも言いきれなくなってくる。宮本論文の元ネタになった「SFプロトタイピング」という概念は、「未来を考える際にフィクション作成を土台にする手法」のことで、「日本では特に二〇二〇年代に入ってからビジネス業界で注目を集めるようになり、様々な企業が事業開発や新人研修などに取り入れるようになった」そうですし、特殊設定ミステリの隆盛も、出版業界が求めるコンテンツビジネスやマーケティングを織り込んだ世知辛いものでしょう。むしろ空洞化が進む実社会のほうが、様式化された異世界や学園(カースト)物のマンネリズムに色目を使っているような気さえするのです。
なんだか辛気臭くなってきたので、話題を変えましょうか。「藪の中」の第四の人物を放免とする妄説は、第十四信でちらっと名前の出た福永武彦の某作(「完全犯罪」ではありません)から連想したものです。福永の趣向とは若干ニュアンスが異なるのですが、詳しく書くとネタバレになりますので、雰囲気だけお察しください。それはそれとして、調伏丸ならぬ〝蝙蝠丸〟という異名は渋いですね。私もだいぶ頭をひねったのですが、いい語呂合わせが思い浮かばなくてパスしてしまったのです。もし機会があれば、どこかで使わせてもらってもいいですか?
さて、第十六信のラストで「茶碗の中」を持ち出したのはその場の思いつきで、何か深い考えがあったわけではありません。新保さんも意外だったようですが、その後いろいろ資料を読んでいくうちに、「藪の中」という作品に思いのほかラフカディオ・ハーンの仕事が影響していることを知って、自分のほうがびっくりしているところです。その報告も兼ねて、もう少し「藪の中」とその周辺について書かせてください。
ここまで「藪の中」については、主に『今昔物語集』との関係を重視してきましたが、新保さんが第十七信で「今昔物語集やキリシタン文献、海外文学など文献を旺盛に摂取咀嚼して作品化していった軌跡」と記しているように、芥川の文学的視野は日本の古典だけに留まらない。第十三信で言及されたウィリアム・モリスによる「ポンチュー伯の息女」の英訳や、アンブローズ・ビアスの短編「月明かりの道」(『アウルクリーク橋の出来事/豹の眼』小川高義訳、光文社古典新訳文庫に収録)といった作品の影響はつとに指摘されてきたところです。
それだけではありません。渡辺義愛氏の論文「『藪の中』の比較文学的考察」(「上智大学仏語・仏文学論集」第十三号に収録、一九七九年)によれば、「藪の中」の構成はイギリスの詩人ロバート・ブラウニングの長詩「指輪と本」The Ring and the Book(1868― 69)を下敷きにしているらしい。これはブラウニングが十七世紀末のローマで起こった殺人事件の裁判記録を素材に「劇的独白」という表現形式を用いて書き上げた詩で、渡辺氏は複数の先行研究を引きながら、「一つの事件をめぐり、たがいに相反する証言が、数人の証人の独白という形式で展開される手法は、あきらかに芥川の作品の場合と同工異曲である」と論評しています。
ところが、そもそも芥川がどうして「指輪と本」に注目したかというと、まず東京帝大文科大学講師として招かれたラフカディオ・ハーンの英文学講義が元にあって、芥川はその講義録(一八九八~一九〇二年)をまとめた選集Appreciation of Poetryを愛読し、とりわけ第五章「ブラウニングの研究」に刺激を受けたからだというのです。その講義の中でハーンは「指輪と本」の登場人物について、「これらの人々を創り出すことは、二百年前の死人を墓から呼び出すこととほとんどおなじくらい不可思議なことで、これこそほんとうの交霊術である」と述べているそうで、「藪の中」の死霊の独白という着想もそこから来ているのではないか、という見方が出てくる。こうした見方の当否については、〝中野のお父さん〟こと北村薫氏の意見も聞いてみたいところです。
以下も渡辺論文からの孫引きになりますが、「いっぽうハーンは、解説のなかで、当時の東京に殺人事件が発生した場合を想定し、新聞の報道はどれもこれも事件の一面しか伝えず、事件が法廷にもち出されたとしても、加害者と被害者のほんとうの秘密は十中八九永久にわからずに終るであろうと述べ、そのことは、人間の判断が必然的に不完全なものであること、また、事実の真相に疑問の余地がない場合でさえも、ほんとうの動機やほんとうの感情を絶対確実なものとして知るのは至難のわざであることを証明している、という教訓をひき出している」とあります。こうした教訓は、ポーが「現実の謎」と格闘した「マリー・ロジェの謎」を連想させますが、ハーン自身も来日前の一八七四年、米国シンシナティの新聞社〈インクワイアラー〉に入社、「皮革製作所殺人事件」を追及した記事が大反響を呼び、事件記者として名を上げたことがある。
そういえば、前掲の牧野陽子氏の紀要論文「ラフカディオ・ハーン『茶碗の中』について」には、「恐怖の要素の色濃い短編の描き手としてハーンは時にエドガー・アラン・ポーと比べられるが、ハーンはポーと異なり、人間の内に潜む病的な異常心理を解したり描写したりすることは決してなかった。ポーと同じように生みの親との縁薄く、不幸な幼年時代を送りながら、ポーとは逆に、家庭に愛情をそそぎこみ、か弱いもの、小さなものに温かく心を通わせた」という註が付してありました。「藪の中」と「茶碗の中」を通して、ポーと小泉八雲がつながるというのも、なかなかオツなものですね。
さて、ハーンの仕事と「藪の中」のミッシング・リンク探しとなると、十九世紀のフランス作家テオフィル・ゴーティエの短編「カンダレウス王」(『吸血女の恋 フランス幻想小説』小柳保義訳、現代教養文庫に収録)も見落とすことができません。リディアの王カンダレウスは王妃の美しさを誇るあまり、腹心の衛兵隊長を寝室にしのばせて裸体を見るように強制する。それを知った妃は激怒し、のぞき見た隊長に自殺するか王を殺すか、二者択一を迫った、というのが大まかなあらすじです。
俗に言うNTR(寝取られ? 寝取らせ?)の元祖みたいな小説ですけれども、「あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらい」という真砂の台詞(多襄丸の白状)は、この短編に由来するものでしょう。先の渡辺論文にも「このあらすじが物語るように、Le roi Candauleにおいてカンドール王、衛兵隊長ジジェス、および王妃ニシアのあいだに存在する一種の三角関係は、『藪の中』において、武弘、多襄丸、および真砂のあいだに成立する三角関係に酷似している。[……]それに芥川自身、高校時代にゴーチエのLe roi Candauleを読み、『藪の中』執筆当時、もう一度読みかえしたことをはっきりと認めている」という指摘があります。
ところが、このゴーティエを日本に紹介したのが、やはり小泉八雲なのですね。ハーンは来日前の一八八二年、フランス語の短編集を英訳した『クレオパトラの一夜およびその他の幻想的な物語』を自費出版、その中に「カンドール王(英題)」King Candaulesも含まれていました。若き芥川はハーンによる英訳を入手してこれを読み、同書に収められた「吸血女の恋」を「クラリモンド」という題で翻訳(一九一四年)しています。
小泉八雲の鑑賞眼を通して「指輪と本」「カンダレウス王」という英仏二つの素材を活用しているわけですから、「藪の中」とハーンの関係は見かけ以上に深いものだと言えるでしょう。だからひょっとしたら、芥川は「茶碗の中」へのオマージュとして、「藪の中」という題名を付けたのかもしれません。
さて、そこでようやく冒頭の課題に戻ってくるわけですが、「乱歩にまつわる解けない謎」はさておくとして、都筑道夫がハーン/小泉八雲に対して妙に冷淡だったのは確かです。新保さんが仰るように、平井呈一の訳業を買っていなかったせいもあるでしょうね。還暦を迎えてからの文章ですが、「ミステリマガジン」(一九八九年一月号~二〇〇二年九月号)に連載された『都筑道夫の読ホリデイ』(フリースタイル)でも、あちこちで思い出したように平井訳への不満を漏らしている。〈平井氏訳本〉の小泉八雲『心――日本の内面生活の暗示と影響』(岩波文庫)に触れながら、「訳文の日本語は、たしかにすぐれている。/だが、怪奇小説の翻訳となると、ちょっと困ったものだと思う。ヴォキャブラリイの豊富さでは、近ごろの翻訳家の比ではない。けれども、そのつかいかたが、きざっぽい。いや、きざを通りこして、嫌みというべきだろう」(「新しい骨」一九八九・五)とか、かなりきついことを言っています。
とはいえ、小泉八雲の作品に無関心だったかというと、そういうわけでもなさそうです。たとえば同じ『読ホリデイ』の「明るい闇」(一九九〇・一〇)の回では、ハーン来日百年を記念して出版された平川祐弘編の講談社学術文庫版『怪談・奇談』について、かなり踏み込んだ感想を書いている。晩年の文章だからといって軽視できないのは、それが翻訳論――しかも「日本語(古文)→英語→日本語」というレアケースに関する考察であり、「あくまで必要なのは、八雲の英語なのである」と言いきっているからですね。
というところで、懸案の「茶碗の中」の作中人物について、「ハーンが名前を変えた理由について、法月さんは何かお考えがありますか」というご質問ですが、それに答えるのは現在の私の手に余ります。そのかわりに、ちゃっかり都筑氏の感想を引いておきますと、「ハーンの怪談奇談は、自由訳というより、創作訳というべきかも知れない。そこに意味があるのだから、あくまで八雲の文章に、忠実であるべきなのだ。たとえば八雲が、ひとつの名前、古歌の解釈などを間違えていても、それは訂正すべきではない。間違いのまま翻訳して、訳注かなにかで、八雲の誤解を、読者に知らせればいいのである」(同右)ということになります。
どうも今回は他力本願で、長い引用ばかりになってしまいましたが、毒を食らわば何とかで、さらにもう一つ追加しておきましょう。同じ回の後半で、都筑氏はOf a Promise Keptという原題を「菊花の約」と訳した編集方針にも疑問を呈している。理由はその次に「破られた約束」Of a Promise Brokenという作品が続くからで、「Keptのほうは、上田秋成の作品からとったストーリイで、その原題を訳題にしたわけだ。[……]この一篇だけをのせるなら、それでもいいだろうが、ふたつならべるとなると、話はちがう。Brokenのほうを『破られた約束』としたら、前者は『守られた約束』にしなければ、八雲の意図に、反するのではなかろうか」と釘を刺しています。こういうところに着目するのが、翻訳者/雑誌編集者だった都筑道夫の面目躍如と思うのですが、新保さんはいかがでしょう?
都筑氏の著作リストを見ていると、『悪夢図鑑』(桃源社、都筑道夫ショート・ショート集成1、一九七三年)の中に「即席世界名作文庫/第二十二巻 ハーン集 怪談」というタイトルが含まれています。『やぶにらみの時計』で再デビューを果たした直後、「ヒッチコック・マガジン」(一九六一年二月号)に発表したショートショートのようですが、あいにく収録本を持っていなくて、どんな内容かわからない。毎回お願いばかりで恐縮ですけれども、ご教示いただけると幸いです。
二〇二二年四月十四日
(次号、第十九信につづく)
付録Ⅰ
「茶碗の中」小泉八雲
(田部隆次訳)
読者はどこか古い塔の階段を上って、真黒の中をまったてに上って行って、さてその真黒の真中に、蜘蛛の巣のかかった処が終りで外には何もないことを見出したことがありませんか。あるいは絶壁に沿うて切り開いてある海ぞいの道をたどって行って、結局一つ曲るとすぐごつごつした断崖になっていることを見出したことはありませんか。こういう経験の感情的価値は――文学上から見れば――その時起された感覚の強さと、その感覚の記憶の鮮かさによってきまる。
ところで日本の古い話し本に、今云った事と殆んど同じ感情的経験を起させる小説の断片が、不思議にも残っている。……多分、作者は無精だったのであろう、あるいは出版書肆と喧嘩したのであろう、いや事によれば作者はその小さな机から不意に呼ばれて、かえって来なかったのであろう、あるいはまたその文章の丁度真中で死の神が筆を止めさせたのであろう。とにかく何故この話が結末をつけないで、そのままになっているのか、誰にも分らない。……私は一つ代表的なのを選ぶ。
*
天和四年一月一日――即ち今から二百二十年前――中川佐渡守が年始の〓礼に出かけて、江戸本郷、白山の茶店に一行とともに立寄った。一同休んでいる間に、家来の一人――關内と云う若党が余りに渇きを覚えたので、自分で大きな茶碗に茶を汲んだ。飲もうとする時、不意にその透明な黄色の茶のうちに、自分のでない顔の映っているのを認めた。びっくりしてあたりを見𢌞したが誰もいない。茶の中に映じた顔は髪恰好から見ると若い侍の顔らしかった、不思議にはっきりして、中々の好男子で、女の顔のようにやさしかった。それからそれが生きている人の顔である証拠には眼や唇は動いていた。この不思議なものが現れたのに当惑して、關内は茶を捨てて仔細に茶碗を改めてみた。それは何の模様もない安物の茶碗であった。關内は別の茶碗を取ってまた茶を汲んだ、また顔が映った。關内は新しい茶を命じて茶碗に入れると、――今度は嘲りの微笑をたたえて――もう一度、不思議な顔が現れた。しかし關内は驚かなかった。『何者だか知らないが、もうそんなものに迷わされはしない』とつぶやきながら――彼は顔も何も一呑みに茶を飲んで出かけた。自分ではなんだか幽霊を一つ呑み込んだような気もしないではなかった。
同じ日の夕方おそく佐渡守の邸内で当番をしている時、その部屋へ見知らぬ人が、音もさせずに入って来たので、關内は驚いた。この見知らぬ人は立派な身装の侍であったが、關内の真正面に坐って、この若党に軽く一礼をして、云った。
『式部平内でござる――今日始めてお会い申した……貴殿は某を見覚えならぬようでござるな』
甚だ低いが、鋭い声で云った。關内は茶碗の中で見て、呑み込んでしまった気味の悪い、美しい顔、――例の妖怪を今眼の前に見て驚いた。あの怪異が微笑した通り、この顔も微笑している、しかし微笑している唇の上の眼の不動の凝視は挑戦であり、同時にまた侮辱でもあった。
『いや見覚え申さぬ』關内は怒って、しかし冷やかに答えた、――『それにしても、どうしてこの邸へ御入りになったかお聞かせを願いたい』
〔封建時代には、諸侯の屋敷は夜昼ともに厳重にまもられていた、それで、警護の武士の方に赦すべからざる怠慢でもない以上、無案内で入る事はできなかった〕
『ああ、某に見覚えなしと仰せられるのですな』その客は皮肉な調子で、少し近よりながら、叫んだ。『いや某を見覚えがないとは聞えぬ。今朝某に非道な害を御加えになったではござらぬか……』
關内は帯の短刀を取ってその男の喉を烈しくついた。しかし少しも手答がない。同時に音もさせずその闖入者は壁の方へ横に飛んで、そこをぬけて行った。……壁には退出の何の跡をも残さなかった。丁度蝋燭の光が行燈の紙を透るようにそこを通り過ぎた。
關内がこの事件を報告した時、その話は侍達を驚かし、また当惑させた。その時刻には邸内では入ったものも出たものも見られなかった、それから佐渡守に仕えているもので『式部平内』の名を聞いているものもなかった。
その翌晩、關内は非番であったので、両親とともに家にいた。余程おそくなってから、暫時の面談をもとめる来客のある事を、取次がれた。刀を取って玄関に出た、そこには三人の武装した人々――明かに侍達――が式台の前に立っていた。三人は恭しく關内に敬礼してから、そのうちの一人が云った。
『某等は松岡文吾、土橋久藏、岡村平六と申す式部平内殿の侍でござる。主人が昨夜御訪問いたした節、貴殿は刀で主人をお打ちになった。怪我が重いから疵の養生に湯治に行かねばならぬ。しかし来月十六日にはお帰りになる、その時にはこの恨みを必ず晴らし申す……』
それ以上聞くまでもなく、關内は刀をとってとび出し、客を目がけて前後左右に斬りまくった。しかし三人は隣りの建物の壁の方へとび、影のようにその上へ飛び去って、それから……
*
ここで古い物語は切れている、話のあとは何人かの頭の中に存在していたのだが、それは百年このかた塵に帰している。
私は色々それらしい結末を想像することができるが、西洋の読者の想像に満足を与えるようなのは一つもない。魂を飲んだあとの、もっともらしい結果は、自分で考えてみられるままに任せておく。
※テキストは青空文庫版「茶碗の中」より。
付録Ⅱ 原話
「茶店の水椀若年の面を現ず」
天和四年正月四日に、中川佐渡守年礼におはせし供に、堀田小三郎といふ人まいり、本郷の白山の茶店に立より休らひしに、召仕の関内といふ者水を飲けるが、茶碗の中に最麗しき若年の顔うつりしかば、いぶせくおもひ、水をすてて又汲むに、顔の見えしかば、是非なく飲みてし。其夜関内が部屋へ若衆来り、昼は初めて逢ひまゐらせつ。式部平内といふ者也。関内おどろき、全く我は覚え侍らず。扨表の門をば何として通り来れるぞや。不審きものなり。人にはあらじとおもひ、抜きうちに切りければ、逃げ出たりしを厳く追かくるに、隣の境まで行きて見うしなひし。人々出合ひ其由を問ひ、心得が足しとて扨やみぬ。翌晩関内に逢はんとて人来る。誰と問ば、式部平内が使ひ松岡平蔵、岡村平六、土橋文蔵といふ者なり。思ひよりてまゐりしものを、いたはるまでこそなくとも、手を負はせるはいかがぞや。疵の養生に湯治したり。来る十六日には帰りなん。其時恨をなすべしといふを見れば、中々あらけなき形なり。関内心得たりとて、脇指をぬききりかかれば、逃げて件の境まで行き、隣の壁に飛びあがりて失ひ侍りし。後又も来らず。
(明治二十四年『新著聞集』巻五、第十奇怪篇所載)
《ジャーロ No.88 2023 MAY 掲載》
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