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まずは芥川龍之介「藪の中」に分け入ってみると……|新保博久⇔法月綸太郎・死体置場で待ち合わせ【第5回】

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〈リドル・ストーリーに答えはあるのか?〉
「真相」は追いかけるほど、蜃気楼のように逃げていく……?


* * *

【第十三信】
新保博久→法月綸太郎
藪をつついて謎を出す

法月綸太郎のりづきりんたろうさま

 今年もよろしくお願いします。

 特殊設定ミステリと日常の謎――対照的なようでも実は同じコインの裏表にすぎないとは、第十二信で仰せの通りながら、しかし裏と表とでは正反対だと、強弁するのも野暮やぼなこと。昨今の特殊設定の持てはやされぶりが、それ以前の日常の謎流行への反動ではないかと私が申したのも思いつきにすぎなくて、それほど信じているわけじゃないんです。

 ところで、「昨今では、人の死なないミステリ、特に日常性の中の謎、などといったタイプの作品に出会うと、もうそれだけでうんざりする――ことが多い」って、これ、誰の言葉だと思いますか(私じゃありませんからね)。

 もったいをつけるほどでもない、北村薫きたむらかおる氏の最初のエッセイ集『謎物語』(一九九六年初刊。現創元推理文庫)の一節なんです。氏が日常の謎ミステリの中興の祖ともいうべき存在だったのは言うまでもありません。「この手があったか」と再発見を喜ぶかのように、澤木喬さわききょう若竹七海かわたけななみ加納朋子かのうともこ倉知淳くらちじゅん光原百合みつはらゆりら諸氏がデビュー当初この系譜で名乗りをあげ、それらの作品が当初もっぱら東京創元社から刊行されたため、北上次郎きたがみじろう氏は〝創元派〟と名づけましたが、別に一出版社の専売特許ではない。それでも何か名称が必要なほど潮流が侮れなくなってきた結果、〝日常の謎〟という用語を提唱したのは、ひょっとしたら私だったかもしれません。その記憶が仮に正しいとしても、何か名称が欲しくて曲もなく表現したにすぎず、命名者の栄誉を自慢するほどでもないでしょう。さて、北村氏が『空飛ぶ馬』でデビューしたのが昭和から平成に改元されたばかりの一九八九年、前掲の引用を含むエッセイが発表されたのが「小説中公」一九九五年七月号。さっき並べた作家たちは追随者群のなかでも優等生ですが、『空飛ぶ馬』から数年後にして、中興の祖みずから食傷するほどになっていたようです。

 北村氏は先の引用に続けて、もはや日常の謎系作品に接しても、「坂口安吾さかぐちあんごの『アンゴウ』を初めて読んだ時のような、胸の震えを覚えることは、まずない。わたしだけではなく、そういう読者が増えているのではないか、と思う」。安吾はもちろんミステリの専門作家ではありませんが、横溝正史よこみぞせいし高木彬光たかぎあきみつの戦後初期傑作に比肩する『不連続殺人事件』はじめ一連の推理作品を書いてきて、個人全集ではいわゆる安吾文学・探偵小説・評論随筆というふうに別建ての巻にされるのが通例でした。従来、一般文学編に収録されてきた「アンゴウ」(四八年。カタカナ表記になっているのは暗号・暗合・安吾のトリプル・ミーニングだかららしい)の存在を、北村氏は探偵小説以外も含めて全作品を読破中だった安吾ファンのミステリクラブ員に教えられたそうですが、戦前デビュー作家に限定していた創元推理文庫版〈日本探偵小説全集〉の『坂口安吾集』(八五年)で推理畑に植え替えたのはお手柄でね。安吾の文壇出世作となった「風博士」(三一年)を変格探偵小説だったことにして、戦前からの探偵作家の仲間扱いしたのですが、そんな離れ技をするまでもなく、二十六歳の安吾青年が探偵小説と銘打って発表していた、安吾全集にも未収録の知られざる短編「盗まれた一萬円」(三三年)が最近発見され、「新潮」二〇二三年一月号に再録されたばかりで、出来はともかくこちらを収録すれば済んでいたはずだったんですね。もし北村氏が「アンゴウ」を探偵小説史に正統的に位置づけるために〈日本探偵小説全集〉全十二巻の企画を推進したのだったとすれば、自分が殺した一体の死骸を戦死者の山に紛れ込ませるため故意に負けいくさを起こしたというような、チェスタトン的発想で楽しかったんですが。

 この〈日本探偵小説全集〉の『名作集1』(九六年)に芥川龍之介あくたがわりゅうのすけ作品は、「その諸作の中で、探偵小説として最も優れているのは、これだと思う。万華鏡に人の心を入れて、ころころ転がし、覗くような作品」として「藪の中」が選ばれています。

 いっぽう翻訳家の宮脇孝雄みやわきたかお氏は評価が辛く、「私はミステリのショートショート(分量は二十枚ちょっと)として「藪の中」を読んできたので、最後の証言がオチになっている(つまりあれが真実)と考えているのだが、芥川にしては切れ味が鈍く、そのために幅広い解釈の余地を残してしまった、ということではないか。同じ月の別々の雑誌(大正十一年新年号)に、「藪の中」を含めて作品を四編も発表しているので、時間の余裕がなく、推敲が足りなかったのではないか、とも考えている」(カッコ内は原文)

「藪の中」は巷間こうかんいわれているような真相不明のまま終わる小説ではなく、はっきりした結末があると宮脇氏がとなえるエッセイ、「「藪の中」は藪の中か?」(「フリースタイル」二〇二二年春号)を読んで私は仰天しました。二〇二〇年に邦訳刊行された話題作、イーアン・ペアーズ著『指差す標識の事例(上・下)』(創元推理文庫)――うっかり大作に手を出して出られなくなると困るので私は読んでおりませんが――は、十七世紀にオックスフォードで起こった殺人事件を四人の人物が語る形式だそうです。その内容が食い違うそれぞれのパートを訳者も四人で分担して、そのひとり宮脇氏はあとがきで、西洋版「藪の中」であると書きかけ、誤解をおそれて思い留まったらしい。『指差す標識の事例』は最後の語り手の証言で真相が明らかになるが、氏の見解では「藪の中」もそれと同じなのに、そうは受け取ってもらえない蓋然性がいぜんせいが高いということで。

「……英米の怪奇小説を乱読し、死霊が真相を語る話がけっこう多いことも知っていたであろう作者(芥川氏)が考えた、それなりに単純な話だったのではないか、というのが私(宮脇氏)の解釈である」

 西洋怪談にも通暁つうぎょうした宮脇氏がそう言う以上、たぶんその通りなんだろうと思った私が、仰天したのはその主旨にではありません。そう言ったのが宮脇氏でなかったなら、同じ意見を読んでもそんなに驚かなかったでしょう。

 大学を卒業させられて、その場しのぎにせよ阿堵物あとぶつの必要から、あれこれ考えた企画の一つに福永ふくながアンソロジーというものがあったのです。福永武彦たけひこ氏がかつて加田伶太郎かだれいたろう(「誰だろうか」のアナグラム)という匿名(と、フクナガダを並べ換えた船田学ふなだがく名義)の短編ミステリ集『加田伶太郎全集』が文庫化された際、厚くしないためか伊丹英典いたみえいてん助教授(これもmeitanteiのアナグラム)が探偵役を務める八編に絞られて、非シリーズの二編(と船田名義のSF)が削られたのを残念に思っていました。で、その二編「女か西瓜か」「サンタクロースの贈物」がそれぞれリドル・ストーリー、クリスマス・ストーリーだったので、それらを表題に、ほかの作家の類縁作品と併せて、福永氏を編者に迎えてのアンソロジーに発展させられないかと思ったのです。

 結果、クリスマス・アンソロジーだけ河出書房新社に引き受けてもらえたものの、福永氏は病気療養中とて、再録も表題に用いるのも了承するが編者は引き受けかねる、出来上がりを楽しみにしているとハガキで返信されたといいます。あいにく版権の許諾交渉に手間取り、季節商品なので出版までに一年延引し、その間の一九七九年に福永氏が亡くなってしまう痛恨事があったのですが、曲折あったアンソロジー『サンタクロースの贈物』は実質的な編者であった私の名義に替え、つい一昨年末、四十二年ぶりに文庫化されたというのも余談。

 元版の刊行準備中、北村薫氏の後輩にあたる(と後で知った)ワセダ・ミステリクラブの新OBたちが、誰かの家で顔を合わせれば当然一献(どころか二献三献)傾けたうえで知識見識を競うように、まあゲーム感覚ですね、こんなのもあると収録候補作品を教えてくれたりしたものです。法月さんや京大推理研の人々のあいだでも、似たような局面はあったのではないでしょうか。おかしみが現在の読者にどれほど通じるか、リドル・ストーリーとして皆川正夫みながわまさお氏がフレドリック・ブラウンの「熊の可能性」(創元SF文庫『未来世界から来た男』所収。東京創元社版〈フレドリック・ブラウンSF短編全集〉第四巻では「クマんにひとつの」)を挙げると、なるほどあれはリドル・ストーリーだとか、一種の大喜利状態ですね。そういうとき居合わせていた宮脇氏から、「藪の中」はどうかと言われて意表を突かれました。あれが、ストックトン「女か虎か」に代表されるリドル・ストーリーの仲間だとは当時、誰も考えもしなかったのですから。「女か西瓜か」や五味康祐ごみやすすけ「柳生連也斎」など、本文に書かれていなくとも作者の胸中に正解が用意されているものも含めて、イエスかノーか、二択が基本と思っていました(モフィット「謎のカード」のように何が何やら分からなくとも、立派にリドル・ストーリーなのですが)。さらに関口苑生せきぐちえんせい氏が「檸檬れもんか爆弾か」と挙げたのですが、さすがにそれは違うだろとも。

 それ以前、慶応義塾大学推理小説同好会がまとめた『推理小説雑学事典』(一九七六年、廣済堂出版)は約八十五のコラムのうち一つをリドル・ストーリー紹介に充て、エリン「決断の時」、ペロウン「穴のあいた記憶」、エリスン「最後の答」、ブラッドベリ「町みなが眠ったなかで」や、先に掲げた国産品も挙げていますが、「藪の中」には触れていません。石川喬司いしかわたかし氏の『SF・ミステリおもろ大百科』(一九七七年初刊。講談社文庫版では『夢探偵』と改題)でも「リドル・ストーリー」に一章、割かれているものの「藪の中」は無視されています。いま、ちくま文庫版『謎の物語』(二〇一二年)の紀田順一郎きだじゅんいちろう氏の編者解説を見ると、元版(一九九一年)と違って翻訳物に限っていますが、その編者解説には「日本のリドル・ストーリーとしては、周知のように芥川龍之介の「藪の中」(一九二一)がある」と述べられ、今世紀に入って意識が変わったようです。インターネットで「リドル・ストーリー」を検索しても「藪の中」に触れていないほうが珍しいくらいですが、それらのコンテンツは大半、二〇〇〇年以降に書かれたものと思われます。

 そういう共通認識が定着していなかった一九七〇年代、「藪の中」をリドル・ストーリー扱いしてもいい可能性に気づかせてくれた宮脇氏みずから、リドル・ストーリーではないと断言したのですから、自分の親から「お前はうちの子じゃない」と言われたくらいびっくりした(大げさか)のも無理からぬところでしょう。


 さて、半ば学生気分の抜けない談笑に私たちが興じていた一方、佐野洋さのよう氏と結城昌治ゆうきしょうじ氏の間でも「藪の中」をめぐる遣り取りがあったといいます。同じ話題が、エッセイ・シリーズ十二冊目で佐野氏の遺著となった『推理日記FINALフアイナル』(二〇一二年、講談社)で連載の終期に二度、七か月おいて出てきて、一九七八年か八八年かリドルのことになっているのですが、大要は同じで、大岡昇平おおおかしょうへい氏いわく「藪の中」を真相不明の小説とするのは誤り、推理作家が読めば唯一無二の真相が分かるはずだと書いているのを佐野氏は読んだそうです。そんなところへ結城氏が、大岡氏は専門の推理作家の意見を聞いてみたいらしいから、一緒に考えようじゃないかと電話で誘ってきた。佐野氏が手を着けないうちに再度電話があり、結城氏は自分はもう解いたので早く答え合わせをして、一緒に大岡氏に見せようと催促したそうです。佐野氏はまず「藪の中」をじっくり再読したかったものの、手許てもとに本がないから買ってこなければならない、「それが多少億劫でもあった」。そのうち大岡氏の訃報ふほうに接し、計画はうやむやになったと。

 しかし、佐野氏の書庫には「藪の中」があったはずなのです。氏自身、収録作家の一人で全巻所持していたに違いない東都書房版〈日本推理小説大系〉の、第一巻『明治大正集』(一九六〇年)に収められていたのですから。それ以前にも芥川作品の一部をミステリと評価する試みはあったのですが、「藪の中」が選ばれたのはこれが初めてです。また、変格ミステリ作家クラブのアンソロジー『変格ミステリ傑作選【戦前篇】』(二〇二一年、行舟文庫)にも「藪の中」が採られて、夏目漱石なつめそうせき「趣味の遺伝」ともども「我が国のミステリ史を辿る上ではずすわけにいかない。事実はひとつではない。あるいは事実はひとつに収束しない。この簡潔精緻せいちに組みあげられた百年前の立論は、今なお――いや、厖大ぼうだいな情報が多層多重に交錯する今だからこそ、ますます重みを増しているのではないかと思う」と、選者の竹本健治たけもとけんじ氏はコメントしました(この本には横溝正史「蔵の中」も収録されていて読み比べるのに便利なものの、芥川とは題名が似ているだけで特に関連はなさそうです)。さらに翌年、文庫版〈探偵くらぶ〉の芥川龍之介集『黒衣聖母』では、日下三蔵くさかさんぞう氏の編者解説には各編の解題めいたことは何も書かれていませんが、年代順でないのに「藪の中」が最後に置かれて真打ち感を発揮しています(当往復書簡では、岩波版全集に基づくこの光文社文庫版をテキストにしました)。

「推理日記」で「藪の中」の話柄が連打される五年前、上野正彦うえのまさひこ氏が法医学見地から「藪の中」の真相を推測する一章を含む『「藪の中」の死体』(新潮文庫版では『「死体」を読む』と改題)が刊行されていて、いかにも佐野氏が興味をもちそうな新刊だったのに見逃されていたらしい。そうした事どもをお知らせしようと思いつつ、氏が電子メールを受け取れる環境にあるかどうか自信なく、当時まだ還暦前の若造(!)が気軽に電話するのも躊躇ためらわれ、筆不精の身は放置してしまいました。もし連絡して結城氏の提案が実現していれば、両氏それぞれの回答が読めたものをと、ちょっぴり後悔します。ちょっぴりだというのは、できあがる回答はたぶん、「芥川龍之介を弁護する」(一九七〇年発表。中央公論社版〈大岡昇平全集〉第十三/『文芸読本 芥川龍之介』河出書房新社)で大岡氏が披瀝ひれきした説(過程は異なるが上野正彦説、宮脇説も結論は同じ)と大同小異だっただろうと予想するからです。

 真相をあぶりだそうとすると武弘たけひろの自殺説が有力なのですが、恩田陸おんだりく氏は「「『藪の中』の真相」についての一考察」(二〇一〇年発表。ちくま文庫『土曜日は灰色の馬』所収)で多襄丸たじょうまる犯人説を採っており、女ごころの謎がテーマだという意見もある「藪の中」の真相当てコンペティションに参戦している女性が少ないせいもあって傾聴に価するでしょう。分量的に最も豊かで示唆しさにも富んでいる大里恭三郎おおさときょうざぶろう氏の『芥川龍之介――『藪の中』を解く――』(一九九〇年、審美社)は武弘の妻が犯人と結論しています。その「真砂まさごという名前には、真犯人の〈真〉の意味が込められていたのではないか」ともいいますが、私は盗賊が重要な役割を果たす点から石川五右衛門いしかわごえもんを連想し、その辞世ともいわれる歌を「石川や浜の真砂は尽きるとも世に悪女の種は尽きまじ」ともじったような気もします(真砂は、芥川が不倫相手と密会した深川ふかがわにある待合の屋号に由来するとの指摘もあるそうですが)。石川といえば、夫婦の苗字が金沢かなざわであるのも暗示的でしょう。

「藪の中」の元ネタが『今昔物語集』巻二十九第二十三「具妻行丹波国男於大江山被縛めをぐしてたんばのくににゆくをとこおほえやまにしてしばらるること」だというのは周知のことですが、もともと芥川の友人作家がこの物語に注目して、自身の創作に利用するつもりだと芥川に話したところ、先に「藪の中」を書かれてしまい、自分は断念しなければならなくなったそうですね。「純潔――『藪の中』をめぐりて――」(一九五一年発表。中央公論社版〈瀧井孝作全集〉第四巻/角川書店版〈芥川龍之介全集〉別巻所収)では、穏やかな調子に包みつつも憤懣ふんまんをぶちまけています。とはいうものの、早くも大正七(一九一八)、八年ごろ書かれたらしい芥川の手帳に、「――心中 かけ落ちの途中 女rapeさる 男を殺す Story beyond the sea French Mediæval legend」(手帳2 見開き24)とあり、これはウイリアム・モリスが英訳した“The History of Over Sea”の一編の骨子をメモしたネタ集の一つらしい。その作品が富田仁とみたひとし氏が推測するように「ポンチュー伯の息女」だというのは、集英社版〈世界短篇文学全集〉第五巻「フランス文学/中世~18世紀」所収の邦訳を見ると原型バージョンであるせいか、駆け落ちではないし、夫殺しも未遂に終わっていて食い違うものの、「藪の中」の真砂を思わせるのは確かです。これを脳裏に何年も蓄えていた芥川が、瀧井孝作たきいこうさくに「使える」と示教された『今昔物語集』の一エピソードとスパークしたのだとすれば、真砂犯人説が濃厚になります。

「藪の中」は短い七つのパラグラフから構成され、ト書きめいたものが若干挿入されるものの、物語は誰かしらのモノローグでのみ進行します。その細目は、①検非違使けびいしに問われたる木樵きこりの物語(註、以下②~④は、「検非違使に問われたる」を省略、また①②④⑦の「物語」は初出誌では「話」、③は「答」)②旅法師たびほうしの物語③放免ほうめんの物語(註。放免とは、罪を許された犯罪者で下級警吏にスカウトされた者)④おうなの物語⑤多襄丸の白状⑥清水寺きよみずでらきたれる女の懺悔ざんげ巫女みこの口を借りたる死霊(=武弘)の物語、です。物語というのは談話という程度で、フィクションという意味ではありません。「証言」というほうがしっくりきますが、たぶん明治維新以後に造られた熟語なので、平安朝にはふさわしくないのでしょう。しかし「多襄丸の白状」に二度も出てくる「瞬間」は平安朝でも使ったんですかね。

 ①は死体発見の模様を伝え、②は事件が起こる前に男が女を馬に乗せて平和に旅していた姿の目撃証言、③は多襄丸を捕縛した警吏の手柄話、④は女の母親で、娘は真砂、婿は金沢武弘と、ここでだけ名前が明かされ、⑤~⑦は当事者たち、⑤は真砂を犯し、武弘の所持品を奪い取った盗賊、⑥は真砂、⑦は口寄せされて降霊した死後の武弘がそれぞれ語ります。最大容疑者・強姦被害者・殺人被害者のトリオですね。三人が皆、我こそ武弘をあやめたと主張(武弘自身なら自殺)するのは、さながらクリスチアナ・ブランドの『ジェゼベルの死』(ハヤカワ・ミステリ文庫)で、「藪の中」を入れ子式に「羅生門」で包んだ黒澤明くろさわあきら監督の『羅生門』(一九五〇年)をブランドも観ていたのかなと思いましたが、四九年の発表でした。

 って、実は映画『羅生門』を私は観てないんですけどね。名作の誉れ高いだけに、うっかり俳優のイメージを刷り込まれて、芥川だけを頼りに謎解きする邪魔になりかねないと、この機会に観ることもしておりません。まあ、先行研究をさんざ学習して自分も謎解きに参加するとしたら、後出しジャンケンでしかないんですが。面白かったのは⑤⑥⑦のうち誰が本当のことを言っているか(つまり誰が犯人か)を超越して三人とも嘘つき、木樵りが犯人だというもの。殺人者は冒頭から登場すべしが持論のヴァン・ダイン先生が随喜の涙を流しそうですが、さすがにこれはない。そして、劈頭へきとうに現れる遺留品なのに、それきり出てこない櫛。旅法師が見たとき武弘の征矢そやは二十本余あったというのに、多襄丸がつかまったら十七本しかなく、法師の観察が正しいとすれば何本かはどこへ行ったのか?

 私が見た限り、この二点については誰も明快な解釈を下していなかったので、正答に行き着けないまでも少し考えてみました。その回答は封じ手にしてお渡ししますね。法月さんも謎解きに参加してくださるなら、引っぱられるといけませんし(それほど大した答案ではない)。私にとっては真相がどうこうというより、芥川龍之介は真相を用意していたのか、それとも読者の想像に任せて何も考えていなかったのか、それが「藪の中」最大のリドルです。さて、封じ手は開くや開かざるや? 〝決断の時〟ですよ。

二〇二三年一月二十一日

「藪の中」の真相に関する暫定的結論
新保博久

 多襄丸の、特に凌辱りょうじょく後の行動説明は信憑性しんぴょうせいに乏しい。「藪の中」事件での役割がどうあれ、余罪によって死罪は免れそうにないので、せめて格好をつけようとしているだけではないか。自分と二十合以上、斬り結んだ武弘を称賛しているようでも、それをたおした自分はもっと偉いと言いたいのだろう。実際は、女性の移動用に使われる優しい馬も乗りこなせないで落馬するような、情けない男である。

(しかしこの落馬は、放免が推測しているだけなので疑問が残る。藪から粟田口あわだぐちへ向かう途中、新たな敵と出会い、矢を数本、射かけたが、相手にボコボコにされたのを隠すため落馬を装ったとも。だがこれは小説に登場しない第四の人物を措定しなければならないので、作品解釈としては無理がある。)

 矢の減数は、男性性の象徴の劣化であり、女性性を象徴する櫛がのこされていたことと対偶関係が認められる。

 櫛については、「中世には、櫛を投げて離縁の徴とした例もある(吾妻鏡・建長二年六月二十四日。――)」(秋山虔あきやまけん編『王朝語事典』二〇〇〇年、東京大学出版会より、鉄野昌弘てつのまさひろ執筆「櫛」の項)。真砂が、亡き武弘に訣別けつべつしるしを送ったともいえる。しかしむしろ、これから櫛を必要としない、すなわち剃髪ていはつして尼になり、余生を武弘の菩提ぼだいを弔って過ごす決意表明ではないか。

 武弘は妻を護りきれなかった自責、また妻や盗賊から被った侮辱から立ち直れず、自害に至った。

 真砂は真砂で、夫の眼前で凌辱されたことで二重の恥辱を覚え、男どもを二度でも殺したいものの、多襄丸は逃げ去って追うのも難しく、夫を二重に殺すしかない。しかし非力なので、死ね死ねと強い暗示を掛け、武弘を自殺に誘導した。それが自身の手で殺した幻想を生んだ――と考えれば、真砂と武弘の双方が武弘を殺した自覚をもって不審がない。

 二度殺すために自害した夫の傷口をさらに刺してもらいたいところだが、一刀ひとかたなの傷しかない(木樵りの証言)ので却下。願望による妄想と解する。

 凶器を抜き去ったのは真砂。あまりに体裁の悪い経緯を隠蔽するため、自殺を他殺に見せかけたかった。

 芥川は、『今昔物語集』の原話で、凌辱された妻は夫の不甲斐ふがいなさをなじるが、結局そのまま旅行を続ける安易なハッピーエンドを嫌い(盗賊も逃げて捕縛されない)、このように改作した。

 雑駁さっぱくながら、以上を暫定的結論とする。


* * *

【第十四信】
法月綸太郎→新保博久
「藪の中」の真相は「完全犯罪」の中にあり?

新保博久しんぽひろひささま

 第十三信が届いてからまもなく、北上次郎氏の訃報に接しました。つい先日(十一月十八日)、第十二回アガサ・クリスティー賞の贈呈式で、モニター越しとはいえご挨拶したばかりだったのに(私は京都からリモート参加)、あまりにも突然で言葉もありません。今年のクリスティー賞の選考はますます責任重大になりますが、天上の北上氏に叱られないよう、しっかり務めていかなければ……。R.I.P.

 さて、気を取り直して「新潮」に再録された坂口安吾「盗まれた一萬円」の方へ、少し寄り道しておきましょう。私事で恐縮ですが、その昔、筑摩書房版『坂口安吾全集06』(一九九八年)の月報に「フェアプレイの陥穽」という安吾論を寄稿したことがあるからです(『謎解きが終ったら 法月綸太郎ミステリー論集』講談社文庫に収録)。まだ怖いもの知らずだった当時の私は、安吾がデビュー直後に発表したファルス(道化、笑劇)論と戦後の探偵小説論を比較しながら、「両者はジャンル論としてそっくりな双子のような構造を備えており」「『合理』と『不合理』という言葉を入れ換えるだけで、ほとんど同じような内容になってしまうような書き方がされているのだ。このことは安吾の中で、探偵小説とファルスが裏表のないメビウスの帯のようにつながっていたことを示す」と声高に主張しておりました。若書きのせいか、ムダに肩に力の入った文章ですが、自分の考えにはわりと自信があったのです。そういうわけで、二十六歳の新鋭だった安吾が「笑劇としての探偵小説」(大原祐治おおはらゆうじ)を発表していたことを知り、四半世紀ぶりに誇らしい気分になったことを告白しておきます。

 興味深いのはこの短編に、佐藤春夫さとうはるお「家常茶飯」(「新青年」大正十五年四月号)の影響が見られることでしょう。タイトルから想像できるように、これは〝創元派〟、もとい〝日常の謎〟の御先祖様みたいな作品で、茶本ちゃもとという素人探偵もどきの男が周囲で起こる些細ささいな謎を次から次へテキパキと解決していく。推理というよりコント風の読み味ですけれども、「坂口安吾デジタルミュージアム」の「作品解説」(七北数人ななきたかずと)によれば、「少年時代からポーや谷崎、芥川、佐藤春夫らの推理系短篇を好んで読んだ安吾だが、中学卒業から1年後、東洋大学入学直前に発表された佐藤の『家常茶飯』を、当時感心して読んだ作品として紹介している(『不連続殺人事件』正解発表時の選後感想)」といういわく付きの短編です。

 ネタが割れないように、安吾自身の感想を抜き書きしておきましょう(以下の引用は、創元推理文庫版〈日本探偵小説全集〉の『坂口安吾集』二九〇頁より)。

「私は中学生ぐらいのとき、佐藤春夫氏の短篇探偵小説をよんで感心したことがあって、もう題名も忘れたけれども、ある男が本を紛失した。その本を心理通の友人が探してくれる話であるが、要するに、[以下、ネタバレのため省略]。/私が犯罪心理の合理性というのは、こういう人間性の正確なデッサンによるものをいうのであって、[……]その探偵小説の人間的な合理性ということを私に教えてくれたのは、先程申した佐藤春夫氏の短篇だったのである」

これはもともと「日本小説」昭和二十三年八月号に掲載された文章ですから、執筆時の安吾は四十一歳。二十年以上前に読んだ短編をこれほど熱く語れるのは、それだけ強い印象を刷り込まれたことのあかしでしょう。

 ちなみに創元推理文庫版〈日本探偵小説全集〉の『名作集1』では、芥川龍之介「藪の中」の次に「小味だが、感じのいい作品」(北村薫)として、佐藤春夫「『オカアサン』」(二重カッコ表記は、同書の「編集後記」に準拠)が置かれています。〈日本探偵小説全集〉とは異なる基準で令和版の『名作集X』を編み直すとしたら、「家常茶飯」と「盗まれた一萬円」のそろい踏みという趣向もありかもしれません。

 もう一つ興味深いのは、「盗まれた一萬円」が探偵小説風味の風俗喜劇になっていることで、こうした作風はアントニイ・バークリーが『レイトン・コートの謎』(一九二五年、国書刊行会)で探偵作家デビューする前に、A・B・コックス名義で発表したユーモア・スケッチやミステリ・パロディを連想させます。前記『坂口安吾集』の巻末付録として再録された大井広介おおいひろすけの回想「犯人あてと坂口安吾」(初出は角川書店版〈現代国民文学全集〉第二十七巻(現代推理小説集)月報、一九五八年六月)によれば、戦時中、大井邸で平野謙ひらのけん荒正人あらまさひとらと探偵小説の犯人当てゲームに興じた際、「ついぞ犯人をあてたことがなかった」安吾が「タッタ一度だけ当てたことがある」作品がバークリーの『第二の銃声』(一九三〇年)だったそうですから、やはり安吾とバークリーの探偵小説観には何か通じ合うものがある。「盗まれた一萬円」の「私」(探偵役)と聞き手(小説家)のひねくれた関係(語り)も、どことなくバークリーの迷探偵ロジャー・シェリンガムと彼の交友に似てはいないでしょうか。

 安吾は「探偵小説=謎ときゲーム」論者としてふるまう一方、しばしば「探偵作家はもっと人間を知らねばならぬ」(「黒猫 第二巻第九号(昭和二十三年七月一日)」に発表された随筆「探偵小説を截る」より)といった啖呵たんかを切るせいで、真意がわかりにくいと評されることがあります。けれども、安吾のいう「人間性」というのは、「家常茶飯」や「盗まれた一萬円」がそうであるように、わりとおっちょこちょいで切羽詰まった素の反応みたいなものを指していて、むしろそれが犯行計画に思わぬほころびをもたらしてしまう。安吾にとってファルスと探偵小説は、そうした合理と非合理の蝶番ちょうつがいみたいなところで結びついていたように思われます。

 安吾の話はここらへんで切り上げて、いよいよリドル・ストーリーと「藪の中」をめぐるラビリンスに足を踏み入れるとしましょう。最初にざっくりした印象論を述べると、前回のメディアミックスの話題ともリンクしますが、一九九〇年代以降、アドベンチャーゲーム(ノベルゲーム)の世界ではシナリオ分岐型のマルチエンディングが当たり前になって、本来リドル・ストーリーという形式に宿っていたはずの魔力が薄れてしまった感があります。今世紀に入ってからは、倫理的ジレンマを問う思考実験の「トロッコ問題」や、米国TV番組発の確率論パラドックス「モンティー・ホール問題」をめぐる議論なんかが人口に膾炙かいしゃして、リドル・ストーリーの存在意義をますます脅かしているのではないか。

 そうした受難の時代(?)にもかかわらず、この形式には尽きせぬ魅力があって、自分でも何度かそれっぽい実作に手を染めたことがあります。エリン「決断の時」を下敷きにした「使用中」(『しらみつぶしの時計』所収/祥伝社文庫)とか、フリオ・コルタサル「続いている公園」へのオマージュ「対位法」(『赤い部屋異聞』所収/角川文庫近刊)などですが、実態はいずれもオチの寸止め効果を狙った「リドル・ストーリー風の結末」で、純粋なリドル・ストーリーとは似て非なるものでした。

 自作のことはさておいて、最近このテーマで目を引いたトピックといえば、エラリー・クイーン研究家の飯城勇三いいきゆうさん氏が『本格ミステリ戯作三昧――贋作と評論で描く本格ミステリ十五の魅力』(二〇一七年、南雲堂)でリドル・ストーリーを取り上げ、「《贋作篇》英都大推理研VS『女か虎か』」「《評論篇》リドルとパズルの間」で、その成り立ちを論じていたことでしょうか(刊行年を確認して気づいたのですが、この歳になると、五、六年前のことは余裕で「最近」のカテゴリーに入りますね)。ストックトン「女か虎か」がもともとパーティ用の〈性格テスト〉として書かれたものである、という指摘には目から鱗が落ちた覚えがありますが、それ以上に興味を引かれたのは、(1)飯城氏が「多重解決」(第九章)と「リドル・ストーリー」(第十章)を続けて俎上そじょうに載せていること、(2)リドル・ストーリーというサブジャンルが「贋作・パロディ(自己風刺を含む)」によって促進されてきたこと、の二点でした。

 ある意味でこの二つは、同じコインの裏表なのかもしれません(性懲しょうこりもなく、また同じたとえを使ってしまいました! どうかご勘弁を)。いうまでもなく、「藪の中」の真相をめぐって議論百出、さまざまな説が取り沙汰されてきたプロセスは、まさに百年の歴史を刻む多重解決(推理)コロシアムにほかならないわけですが。

 これでやっと「藪の中」に話がつながりましたが、真相を推理する前にどうしても触れておかねばならないことがあって――いやはや、今回も寄り道ばかりでなかなか本題に入りませんね。それというのも「藪の中」を久しぶりに読み返した際、記憶のふちから浮上したのが、「女か西瓜か」の作者として新保さんも言及している福永武彦の「深淵」という中編だったからです。『夜の三部作』(一九六九年、講談社→現在は小学館、P+D BOOKSで入手可能)に収められた作品で、初出は「文藝」一九五四年十二月号(以下、雑誌の巻数表記も西暦にそろえておきます)。放火殺人犯の男と敬虔けいけんなカトリックの女性が交互に独白し、最後に「奇怪な殺人事件」の判明を告げる新聞記事で締めくくられる、「藪の中」をひっくり返したような構成です。

 池澤夏樹いけざわなつき氏(作者のご子息ですね)による同書の解説「死を前にした黄昏の時」には、「深淵」について〈またここに『今昔物語』の影響を見てとることもできる。日本の古典の中でも『今昔物語』は福永が特に好きだったもので、後に現代語に訳しているし、いくつもの話を換骨奪胎かんこつだったいして、長篇『風のかたみ』を書いている。男が女を掠うという主題の萌芽はここにあったのではないか。芥川龍之介が『今昔物語』に依って「藪の中」や「芋粥」を書いたことはもちろん福永の知識の中にあった〉とあり、「藪の中」との関連性を示唆しているようです。

 それだけではありません。『夜の三部作』の劈頭を飾る「冥府」にも「藪の中」の影響を見てとることができます。「群像」一九五四年四月号と七月号に発表されたこの中編は(1)死後の世界を舞台に、死者の一人称「僕」の語りが採用されており、(2)「七人の仲間で構成される法廷で生前を思い出して自分を説明する。それに応じて新生を許すか否かが審議される」(前記池澤解説より)という異世界ミステリ的な手法を取り入れているだけでなく、(3)生前の属性に従って、「善行者」「餘計者」「愛しすぎた者」「嫉妬した者」「知識を追った者」「他人のために生きた女」「愚劣には耐えられなかった者」と呼ばれる七人の死者(被告)のうち、一人が「自殺者」と判明する……。このように「冥府」のプロットには「藪の中」と符合する点が多く、やはり同作にインスパイアされた可能性が高いように思われます。

 この二作は一九五六年三月に『冥府・深淵』(講談社、ミリオン・ブックス)として一度単行本化されており、後に「夜の時間」(「文藝」一九五五年五月号、六月号)を加えて『夜の三部作』に生まれ変わる……。「夜の時間」もやはり「藪の中」に準じたような男女の三角関係を、過去と現在の二重の時系列を通して物語る作品なのですが、実はそれとは別の形で「裏の三部作」が構想されていたのではないでしょうか。別の形とは、加田伶太郎名義で発表された伊丹英典シリーズの第一作「完全犯罪」を三つ目の頂点とするもう一つのトライアングルのことです。

「完全犯罪」の初出は「週刊新潮」一九五六年三月十一日号、十八日号、二十五日号の連載で、ミリオン・ブックス版『冥府・深淵』の刊行と同時期です。ところが当時「加田伶太郎」は覆面作家で、その正体は伏せられていました。したがって『冥府・深淵・完全犯罪』が三部作として扱われることはなかったはずですが、作者自身にはまた別の思惑があったのではないか。少なくとも「冥府」「深淵」という補助線を引くことで、「完全犯罪」と「藪の中」の相似が鮮明に浮かび上がってくるように思われます。

 隔靴掻痒かっかそうようの感はありますが、できるだけ真相に触れないように、両者の共通点を見ていきましょう。「完全犯罪」の主要な登場人物は、貿易会社社長の雁金玄吉かりがねげんきちと後妻の弓子ゆみこ、雁金梅子うめこ(玄吉の亡妻の母)、別府正夫べっぷまさお(社長秘書)、安原清やすはらきよし(同宿の中学生)、本山太郎もとやまたろう(新聞記者で弓子夫人の元恋人)、それに捜査を担当する坂田さかた刑事の七人です。ほかにも無名の女中とか、捜査主任や坂田の同僚が出てきますが、無視していいでしょう。

 新保さんの細目を引き継ぎますと、玄吉と弓子、本山の三人が⑦武弘、⑥真砂、⑤盗賊の当事者たち、おばあさんの梅子が④の媼に、事件の報告者を兼ねる安原清が①の木樵り、秘書の別府と坂田刑事が②旅法師と③放免に相当します。被害者である玄吉が『Yの悲劇』のヨーク・ハッター張りに「××××メモ」をしたためているのは、武弘犯人(自殺)説の変形といえるでしょう。

 もっと興味深いのは後半の多重推理のくだりで、事件から十数年後、マルセイユを出航した貨物船大洋丸に乗り組んだ四人――船長と事務長、船医(成長した安原清)、それに古典学者の名探偵伊丹英典氏が、船医が書いたテキスト(問題編)を元に安楽椅子探偵方式の推理合戦を繰り広げる。「3の1 船長の推理」は清を、「3の2 事務長の推理」は秘書の別府を犯人と名指し、「3の3 船医の推理」は弓子と本山の共犯説、大トリの「3の4 伊丹英典氏の推理」で真犯人の正体を暴く、という四段返しの解決ですが、こうして見ていくと「完全犯罪」の多重推理はすべて「藪の中」の別解と対応しているのがわかります。たとえば船長の清=船医犯人説は、新保さんが「さすがにこれはない」と仰った木樵り犯人説と同じぐらい乱暴ですけれども、多重推理の一番手としては欠かせないものでしょう。伊丹英典氏が指摘する真犯人を「藪の中」にそのまま適用するのはさすがに無理だとしても、あやつりパターンの変形と見なせば「もっとも意外な犯人」であることはまちがいないと思います。

 今回も脱線に次ぐ脱線で、相も変わらぬ妄説を垂れ流していたら、またしても残りの枚数が少なくなってきました。ところが、締め切りを迎えて尻に火がついているのに〝決断の時〟どころではありません。新保さんの「封じ手」を開く前に、私も「藪の中」の真相をめぐって千思万考せんしばんこう、ない知恵を絞ってはみたものの、櫛と矢に関する矛盾の解消法も思い浮かばず、ひたすら懊悩煩悶おうのうはんもんするばかり。輾転反側てんてんはんそくするうちに、ますますアサッテの方向へ邪念思考が逸れていき、流浪漂泊るろうひょうはくの末にたどり着いたその先は……。

「藪の中」は七つのモノローグから構成されています。寸断されたそれぞれの節を見ているうちに、私はふと夢野久作ゆめのきゅうさくの短編「瓶詰地獄」(一九二八年)のことを思い出しました。孤島で遭難した兄妹が瓶に詰めて海に投じた三通の手紙を「第一の瓶の内容」「第二の瓶の内容」「第三の瓶の内容」と並べた書簡体形式の作品ですが、手紙の配列が兄妹の物語の時系列に沿っていないところがミソでしょう。

 これに対して「藪の中」のモノローグは、証言聴取の時系列順になっていると思われますが、もし「瓶詰地獄」のように配列の順番を変えたらどうなるか? 誤解のないように補足しておきますと、これはある種の叙述トリック作品みたいに、事件の時系列が意図的にごまかされているという意味ではなく、それぞれの節を並べ替えて読むことで物語の印象が様変わりするのではないか、という思いつきです。

 七つのモノローグの並べ替え(順列)の総数は、七の階乗で五〇四〇通り。すべてのパターンをしらみつぶしに読むのは大変ですから、今回はショートカットの便法に頼ることにしました。七人の語り手を性別で分け、男性の語り手を前半に、女性の語り手を後半にまとめてしまうという力業です。

 ただしここで注意が必要なのは、⑦巫女の口を借りたる死霊の物語で、内容的には死後の武弘の告白ですが、小見出しに明記されているように語り手は「巫女」、すなわち女性の声で語られているのがポイントでしょう。したがって七人のモノローグは、①木樵り、②旅法師、③放免、⑤多襄丸が男性、④媼、⑥真砂、⑦武弘が女性の語りに仕分けされます(多襄丸が女、というジェンダー改変版「藪の中」はチャレンジのしがいがありそうですが、真相を推理するという趣旨にはそぐわないので、今回はパスします)。

 男性の語りによって事件の外枠を定める前半は、原作に従って①→②→③→⑤の順で構わないと思います。問題は女性の語りをまとめた後半で、三人のモノローグをどう並べ替えるかで読後の印象も大きく左右されるはずですが、語りの性差を重視する以上、メンツにこだわる男性(武弘)の告白は、たとえ巫女の語りを経由したものであっても信頼度は低いと見るのが筋でしょう。そうすると⑤多襄丸と⑦武弘の物語を一続きにしたうえで、「男同士の絆」を切断する⑥真砂の懺悔をその後に配し、ラストは④の媼の物語で締めたい。通しだと①→②→③→⑤→⑦→⑥→④、という流れになります。

 ⑦→⑥→④という後半の配列は、要するに真砂犯人説を支持するということですね。大トリに当事者ではない④の媼を持ってきたのは、それ以外のモノローグでは伏せられていた真砂と武弘という名前を明かす趣向が生きること、さらに⑥/④の対比によって一途な娘の身を案じる女親の哀れがいっそう際立つように思えるからです。「瓶詰地獄」のラスト、幼い兄妹のイノセントな手紙の文面がそうであるように。


 例によって例のごとく、泥縄式で駆け足のお返事になってしまいましたが、乱丁版「藪の中」の後味はいかがなものでしょう? 並べ替えというより、一月遅れの福笑いみたいな按配あんばいで、もっとスマートな収束の手順がありそうですけれども。ともあれ、今日はこのへんで手を止めて、おそるおそる新保さんの「封じ手」を開いてみることにします。

二〇二三年二月三日


* * *

【第十五信】
新保博久→法月綸太郎
「蔵の中」の作者は「藪の中」をどう読んだ?

法月綸太郎さま

 結局、私の妄想的推論は読まずに第十四信をお書きになったのですね。その第十四信をお待ちするあいだも、また拝読後も、ご提案の並べ替え順も含めて「藪の中」を何度も読み返し(短いのでつい読み返してしまう)、関連文献を漁りつづけておりました。その結果、私の暫定版も改訂を余儀なくされ、前便よりは自分でも納得できるものになってきたので、のちほど披露することにしましょう。

 第十四信にまたまた古希脳が刺戟しげきされ、あれこれ連想が止まらなくなってもおります。むかしアントニイ・バークリーの『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)を友人に勧めたら、「面白かった。あのシリーズはもっとないのか」と訊かれて、ああいう多重推理パターンの長編はそう何編も書けるものでない、長編でなく、またほかの作家でもいいならアイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』(同文庫)が近いかなと答えたものでした。「アフリカ旅商人の冒険」(同文庫『エラリー・クイーンの冒険』所収)をなぜ思い出さなかったんでしょう。

 黒後家シリーズは最近日本でもとみに人気が高いようで、二〇二〇年代に入って田中啓文たなかひろふみ『竹林の七探偵』(光文社)、笛吹太郎ふえふきたろう『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』(東京創元社)、宮内悠介みやうちゆうすけ『かくして彼女は宴で語る』(幻冬舎)と、オマージュのような連作が相次いでいます。本家アシモフさながら、笛吹氏以外はSF出身というのもなぜか共通しますが。ただ、いずれも短編シリーズなのは、長編をたせるような謎は扱いにくいと示しているかのようです。

『毒入りチョコレート事件』のことを思い出したのは、「完全犯罪」を〈福永武彦全小説〉(一九七三~七四年、新潮社。この叢書そうしょで読んだのは、当時文庫化されていなかった『加田伶太郎全集』だけでしたが)以来半世紀近くぶりに読み返して、創元推理文庫版『完全犯罪 加田伶太郎全集』の解説で法月さんが指摘なさっているのを見過ごしていた私が、今さらながら『毒チョコ』(この略し方は嫌ですが、なにしろ邦題が長いので)パターンであると思い知ったからです。福永氏がバークリーの名前を筆にしたのは見た覚えがありませんし、『毒チョコ』の訳書が〈世界推理小説大系〉(東都書房)の『アイルズ/バークリー』集(一九六二年)として刊行されたのは「完全犯罪」より後ですが、もっと早く一九五四年「宝石」に初訳連載され、さらに戦前、舞台を日本に移しながらそれなりに忠実な翻案「毒殺六人賦」が「新青年」に一挙掲載されているので、福永氏が「絞殺四人賦」として「完全犯罪」を構想したこともあり得なくはありません。実際、「ぼくは今でも惜しいんだけど、あれ(「完全犯罪」)をもう少しじっくり書けば長編になると思いますよ」(一九七〇年、結城昌治・都筑道夫つづきみちおとの鼎談ていだん「『加田伶太郎全集』を語る」、創元版『完全犯罪』に付載)と回想しています。長編化されていたとしたら、あたかも「偶然の審判」(創元推理文庫『世界推理短編傑作集3』所収)と『毒チョコ』のような関係になり、しかも構造的には「偶然の審判」よりも「完全犯罪」のほうが『毒チョコ』に近い。

 加田と福永とは別人であるという煙幕を張りつつ、創作の過程を明かした加田名義のユーモラスなエッセイ「素人探偵誕生記」(五九年)によると、初めての短編探偵小説を週刊誌に依頼されて考えついたのが、「素人探偵が何人もいて、それぞれ勝手な推理をするが、最後に名探偵伊丹英典氏に名をなさしめるという、まさに僕が大学の演習で用いているのと同じ方法」、つまり「A君B君C君それぞれの智慧は、最後に加田伶太郎先生の鶴の一声にはかなわない、という経験を利用する」ことだったといいます。「これを更に押し及ぼすと、話の中に話があるという、アラビアンナイト的二重構成が要求されて来る。すなわち一つの探偵小説的な謎の事件があり、ここでは名探偵が登場しないから謎は未解決のまま残される。つまり迷宮事件として話は終ってしまう」――これ、そのまま「藪の中」ではないですか。「藪の中」に「完全犯罪」を対置させる法月さんの発想は、まことに慧眼けいがんであったと脱帽するしかありません。

 そして、「僕のプランは、どの人物にとっても不可能だが、そのうち、よく考えると逆に誰にでも可能になる、しかしまた考え直すと、それが一つ一つ不可能なことが分る」という「完全犯罪」は、どの人物にとっても可能だが、つき合わせれば誰にも不可能になってしまう「藪の中」をさらに一ひねりして合理的世界に戻したかに見えます。加田作の問題編二回、解答編一回に分載された問題編を読んだ一読者である福永氏が「分ったぞ、これは全員が共犯だ、と叫んだ」というフィクションは、福永氏の「藪の中」解釈を示唆しているのかもしれません。

 福永氏が「藪の中」をどう読んだか、直接的な言及は存じませんが、「藪の中」を含む東京タトル商会刊の“Rashomon and other stories”(1955)は日本人が英訳したものらしいのに、武弘がなぜかTakehikoになっているという。福永氏がこの版を読んだとしたらさぞ苦笑したでしょうが、良心的兵役拒否者としてわざと栄養失調になった結果か、生涯を病弱に過ごした氏は、武弘にシンパシーを感じたとも思われます(「完全犯罪」を「藪の中」に比定する法月流なら武弘に相当する雁金玄吉ではイメージが合いませんが)。

 ローマ字表記の誤りは、平岡敏夫ひらおかとしお氏が芥川作品集をカレッジの教材に用いた体験をもとにした「「藪の中」――英訳という読み・アメリカの学生の読み――」(一九九五年『芥川龍之介と現代』大修館書店/〈芥川龍之介作品論集成〉第二巻『地獄変―歴史・王朝物の世界』翰林書房)から得た知識です。いろいろ教えられる点も多いものの、平岡氏が「藪の中」は「推理小説仕立てであるので、犯人探しに走るのも止むを得ないと思う」としながら、母親が真砂の容姿を説明する「散文的な表現」から多襄丸の眼に「女菩薩のように見え」、さらに多襄丸と武弘の一騎打ちを使嗾しそうする「その一瞬間の、燃えるような瞳」と先鋭化して行く「このようなコンテキストをなおざりにして、真犯人探しにあけくれているのは作品にとって不幸なこと」と冷笑的なのは、「「藪の中」について依然として真相探しを重ね、〈藪の中〉をさまよっている人たち」の一人としては引っ掛からざるを得ません。

 多襄丸の眼からは外面如菩薩げめんにょぼさつ、武弘に言わせれば「あの人を殺して下さい」と多襄丸に頼んだ内心如夜叉ないしんにょやしゃである真砂ですが、実体は単に、普通に満たされない人妻であったろうと〈藪の中〉からでも見えます。「遺恨なぞ受ける筈」もない「優しい気立て」と義母の媼に評される武弘には、セックスにも淡泊だった印象を受けます。多襄丸に凌辱された真砂は屈辱と苦痛にまみれながらも、武弘からは得られなかった満足のエクスタシーを表情や声に表し、それを夫に知られてしまったのではないでしょうか。

 もちろん芥川はポルノグラフィを書くつもりはなく、時代の規制もあったでしょうが、行為の部分はスキップされて、そんな描写はありません。原話に使われた『今昔物語集』巻二十九第二十三(*)の描写のほうがまだしも具体的なほどです。

「作者が作品の中にまったく持ち込んでいない」ことを仮定して論を進めるべからずと、大岡昇平氏に叱られそうですが、妻を犯されてしまったのは、武弘自身、多襄丸の口車に乗せられて藪の中へ誘い込まれたあげく、妻をまもりきれなかったからだという自責があって然るべきでしょう。それなのに、真砂が夫の眼の中に「怒りでもなければ悲しみでもない、――唯わたしを蔑んだ、冷たい光」しか認められなかったのは、真砂のほうにもやましい気持ちがあったと考えるよりほかないのです。武弘にしてみれば、多襄丸と妻の双方から侮辱されたわけで、しかしそれは武士としても男性としても自分が不甲斐ないからで、自殺したくなったとしても不思議ではありません。自殺しても、その動機を後人に知られては屈辱はいや増します。そこで〝他殺に見せかけた自殺〟を試みた……

 だいぶ核心に近づいてきたような気がします。

*余談ながら、法月さんが引き合いに出された夢野久作「瓶詰地獄」も、同じく巻二十六第十「土佐国妹兄行住不知島語とさのくにのいもせしらぬしまにゆきてすむこと」をブラック版にしたかのようです。淵源はイザナギイザナミ神話まで遡れるでしょうが。

 平岡敏夫氏はまた、放免が捕えた多襄丸から押収した矢は十七本、旅法師が「すれちがいに見かけたの(註、二十あまり)と眼の前に並べてのちがいというだけでなく、多襄丸はその間に何本か征矢そやを使用していることになるわけで、芥川の表現のたくみさ、細かさに読者はさらに気づかされる」とも説いていますが、そこに作者がどういう意味を込めたのかは説明されていません。

 武弘の死因が多襄丸の太刀によるものか、真砂なり本人なりが小刀さすがで刺したものか、傷口を調べれば分かるだろうに検非違使は怠慢だと唱える人もありましたが、とりあえずは多襄丸の白状しかなかったわけで、陳述の食い違いが判明するころには腐敗しきっていたのではありますまいか(死体の身元が武弘とすぐ分かったとしても、行方不明のその妻の実家を検非違使が突き止めて「媼の物語」を聴くだけでも数日は経っているでしょうから)。真相に迫る手がかりは、残された断片的な言葉しかないのです。

 小説のラスト、武弘がおのが胸を突いたとき、「誰か忍び足に、おれ(武弘)の側へ来たものがある。(略)――その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀を抜いた」。これはやっぱり、逃げないで藪の奥に潜んでいた真砂でしょうかね。多襄丸が藪の中を去るとき「まだ女の馬が、静かに草を食って」いた、その馬は放免が粟田口の「石橋の少し先に」見つけているので、虚偽ではありません。真砂が「人の助けでも呼ぶ為に」(多襄丸の白状)せよ逃げるためにせよ、馬に乗っていくべきなので(「武士の妻たる彼女は小刀で多襄丸を無二無三むにむさんに斬り立てている」くらいだから「乗馬も出来たはず」だとも平岡氏は指摘しています)、多襄丸に見つからないほど巧みに藪の奥に隠れていたのでしょう。彼女も夫が自殺した理由を詮索されては困るし、凶器を隠して他殺に見せかけるだけの理由がある。しかしここは、武弘が生前に仕掛けておいたメカニズムで刃物に消え失せてもらうほうがミステリらしい。芥川には余計なお世話でしょうが。

 なんだか、戦後初期に日本の長編探偵小説時代を招来させた一作『――殺人事件』を思い出しませんか。その作者が、友人の乾信一郎いぬいしんいちろう氏に宛てた一九四六年八月十二日付の手紙に「戯作三昧」から芥川の一節を援用しているのが、くまもと文学・歴史館に保存されていました。そのころ芥川作品をまとめて読み返したなかに、「藪の中」もあったとは考えられないでしょうか。

 武弘には凶器をトリックで消す知恵も、仕掛ける余裕もないはずなので、自分の手で抜いた……? 胸を突く前に「誰かの泣く声」が聞こえて、「気がついて見れば、おれ自身の泣いている声だったではないか?」というのは、幽体離脱が始まっていたかのようです。泣いていたのは真砂だという意見が多いのですが、あたりまえすぎて面白くありません。いっそ小刀を抜き去ったのが武弘の生霊(瀕死ひんしでもまだ息があるので)だったら面白いのですが、霊体にそんな物理的な作用はできないでしょう。その前にまず、武弘が縛られている縄を多襄丸が逃げる前に切ってやった(死霊の物語)のでなく、まだ縛られたままであった(清水寺に来れる女の懺悔)とすれば、武弘は自殺することもできません。武弘の生霊は、隠れていた真砂に憑依ひょういし、小刀で武弘の胸を突かせ、その小刀を抜き取らせて凶器隠滅を図ったのでは?(これで真砂、武弘とも刺したのは自分だと認識している説明がつきます)

 武弘の生霊(もう死んでいるなら死霊)は、小刀を持って逃げ出した妻も殺そうとして、「小刀を喉に突き立てたり、山の裾の池へ身を投げたり」させたものの、真砂の生存本能は覆せなかった。武弘を刺させることは、真砂自身、殺意を抱いていたので可能だったのですが。清水寺に逃げ込まれてしまっては、法力のため霊体も手出しできなくなったのかもしれません。

 死霊は、今度は馬で逃げる多襄丸を追います。「盗人の罪は赦してやりたい」と思っていたので、それを伝えに行こうとしたのでしょうか。しかし死霊に追いかけられたら、豪胆な盗賊も肝をつぶしたに違いありません。必死に矢を数本、応射しますが死霊には効かない。あわてて逃げようとして、ついに落馬して捕われてしまった。死霊が怖かったなどとは言うのも恥ずかしいし、死霊を怒らせないため生前の武弘の武勇を誇張して語るしかなかった……

 推測というより、創作みたいになっていますね。あきれてしまわれないで、ご意見をいただけたら幸いです。

二〇二三年二月十九日

(次号、第十六信につづく)


付録
「藪の中」 芥川龍之介

検非違使けびいしに問われたる木樵きこりの物語

 さようでございます。あの死骸を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝いつもの通り、裏山の杉を伐りに参りました。すると山陰の藪の中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科やましなの駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩せ杉の交った、人気ひとけのない所でございます。

 死骸ははなだ水干すいかんに、都風みやこふうのさび烏帽子をかぶったまま、仰向けに倒れて居りました。何しろ一刀ひとかたなとは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳すほうに滲みたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口も乾いて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅が一匹、わたしの足音も聞えないように、べったり食いついて居りましたっけ。

 太刀か何かは見えなかったか? いえ、何もございません。ただその側の杉の根がたに、縄が一筋落ちて居りました。それから、――そうそう、縄のほかにも櫛が一つございました。死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。が、草や竹の落葉は、一面に踏み荒されて居りましたから、きっとあの男は殺される前に、よほど手痛い働きでも致したのに違いございません。何、馬はいなかったか? あそこは一体馬なぞには、はいれない所でございます。何しろ馬の通う路とは、藪一つ隔たって居りますから。

検非違使に問われたる旅法師たびほうしの物語

 あの死骸の男には、確かに昨日遇って居ります。昨日の、――さあ、午頃ひるごろでございましょう。場所は関山せきやまから山科へ、参ろうと云う途中でございます。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。女は牟子むしを垂れて居りましたから、顔はわたしにはわかりません。見えたのはただ萩重はぎがさねらしい、きぬの色ばかりでございます。馬は月毛つきげの、――確か法師髪の馬のようでございました。丈でございますか? 丈は四寸よきもございましたか? ――何しろ沙門の事でございますから、その辺ははっきり存じません。男は、――いえ、太刀も帯びて居れば、弓矢も携えて居りました。殊に黒いえびらへ、二十あまり征矢そやをさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。

 あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、真に人間の命なぞは、如露亦如電にょろやくにょでんに違いございません。やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。

検非違使に問われたる放免ほうめんの物語

 わたしが搦め取った男でございますか? これは確かに多襄丸たじょうまると云う、名高い盗人ぬすびとでございます。もっともわたしが搦め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口あわだぐちの石橋の上に、うんうん呻って居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜の初更しょこう頃でございます。いつぞやわたしが捉え損じた時にも、やはりこの紺の水干に、打出しの太刀をいて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえ携えて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。革を巻いた弓、黒塗りの箙、鷹の羽の征矢そやが十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。はい。馬もおっしゃる通り、法師髪の月毛でございます。その畜生に落されるとは、何かの因縁に違いございません。それは石橋の少し先に、長い端綱を引いたまま、路ばたの青芒を食って居りました。

 この多襄丸と云うやつは、洛中に徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。昨年の秋鳥部寺とりべでら賓頭盧びんずるの後の山に、物詣でに来たらしい女房が一人、女の童と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業だとか申して居りました。その月毛に乗っていた女も、こいつがあの男を殺したとなれば、どこへどうしたかわかりません。差出がましゅうございますが、それも御詮議下さいまし。

検非違使に問われたるおうなの物語

 はい、あの死骸は手前の娘が、片附いた男でございます。が、都のものではございません。若狭わかさの国府の侍でございます。名は金沢の武弘、年は二十六歳でございました。いえ、優しい気立でございますから、遺恨なぞ受ける筈はございません。

 娘でございますか? 娘の名は真砂まさご、年は十九歳でございます。これは男にも劣らぬくらい、勝気の女でございますが、まだ一度も武弘のほかには、男を持った事はございません。顔は色の浅黒い、左の眼尻に黒子のある、小さい瓜実顔でございます。

 武弘は昨日娘と一しょに、若狭へ立ったのでございますが、こんな事になりますとは、何と云う因果でございましょう。しかし娘はどうなりましたやら、壻の事はあきらめましても、これだけは心配でなりません。どうかこの姥が一生のお願いでございますから、たとい草木を分けましても、娘の行方をお尋ね下さいまし。何に致せ憎いのは、その多襄丸とか何とか申す、盗人のやつでございます。壻ばかりか、娘までも………(跡は泣き入りて言葉なし)

多襄丸の白状

 あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。ではどこへ行ったのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お待ちなさい。いくら拷問にかけられても、知らない事は申されますまい。その上わたしもこうなれば、卑怯な隠し立てはしないつもりです。

 わたしは昨日の午少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子に、牟子の垂絹が上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩のように見えたのです。わたしはその咄嗟の間に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。

 何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。どうせ女を奪うとなれば、必ず、男は殺されるのです。ただわたしは殺す時に、腰の太刀を使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派に生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)

 しかし男を殺さずとも、女を奪う事が出来れば、別に不足はない訳です。いや、その時の心もちでは、出来るだけ男を殺さずに、女を奪おうと決心したのです。が、あの山科の駅路では、とてもそんな事は出来ません。そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫をしました。

 これも造作はありません。わたしはあの夫婦と途づれになると、向うの山には古塚がある、この古塚を発いて見たら、鏡や太刀が沢山出た、わたしは誰も知らないように、山の陰の藪の中へ、そう云う物を埋めてある、もし望み手があるならば、どれでも安い値に売り渡したい、――と云う話をしたのです。男はいつかわたしの話に、だんだん心を動かし始めました。それから、――どうです。欲と云うものは恐しいではありませんか? それから半時もたたない内に、あの夫婦はわたしと一しょに、山路へ馬を向けていたのです。

 わたしは藪の前へ来ると、宝はこの中に埋めてある、見に来てくれと云いました。男は欲に渇いていますから、異存のある筈はありません。が、女は馬も下りずに、待っていると云うのです。またあの藪の茂っているのを見ては、そう云うのも無理はありますまい。わたしはこれも実を云えば、思う壺にはまったのですから、女一人を残したまま、男と藪の中へはいりました。

 藪はしばらくの間は竹ばかりです。が、半町ほど行った処に、やや開いた杉むらがある、――わたしの仕事を仕遂げるのには、これほど都合の好い場所はありません。わたしは藪を押し分けながら、宝は杉の下に埋めてあると、もっともらしい嘘をつきました。男はわたしにそう云われると、もう痩せ杉が透いて見える方へ、一生懸命に進んで行きます。その内に竹が疎らになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。男も太刀を佩いているだけに、力は相当にあったようですが、不意を打たれてはたまりません。たちまち一本の杉の根がたへ、括りつけられてしまいました。縄ですか? 縄は盗人の有難さに、いつ塀を越えるかわかりませんから、ちゃんと腰につけていたのです。勿論声を出させないためにも、竹の落葉を頬張らせれば、ほかに面倒はありません。

 わたしは男を片附けてしまうと、今度はまた女の所へ、男が急病を起したらしいから、見に来てくれと云いに行きました。これも図星に当ったのは、申し上げるまでもありますまい。女は市女笠を脱いだまま、わたしに手をとられながら、藪の奥へはいって来ました。ところがそこへ来て見ると、男は杉の根に縛られている、――女はそれを一目見るなり、いつのまに懐から出していたか、きらりと小刀を引き抜きました。わたしはまだ今までに、あのくらい気性の烈しい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油断していたらば、一突きに脾腹を突かれたでしょう。いや、それは身を躱したところが、無二無三に斬り立てられる内には、どんな怪我も仕兼ねなかったのです。が、わたしも多襄丸ですから、どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀を打ち落しました。いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありません。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。

 男の命は取らずとも、――そうです。わたしはその上にも、男を殺すつもりはなかったのです。所が泣き伏した女を後に、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、――そうも喘ぎ喘ぎ云うのです。わたしはその時猛然と、男を殺したい気になりました。(陰鬱なる興奮)

 こんな事を申し上げると、きっとわたしはあなた方より残酷な人間に見えるでしょう。しかしそれはあなた方が、あの女の顔を見ないからです。殊にその一瞬間の、燃えるような瞳を見ないからです。わたしは女と眼を合せた時、たとい神鳴に打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、――わたしの念頭にあったのは、ただこう云う一事だけです。これはあなた方の思うように、卑しい色欲ではありません。もしその時色欲のほかに、何も望みがなかったとすれば、わたしは女を蹴倒しても、きっと逃げてしまったでしょう。男もそうすればわたしの太刀に、血を塗る事にはならなかったのです。が、薄暗い藪の中に、じっと女の顔を見た刹那、わたしは男を殺さない限り、ここは去るまいと覚悟しました。

 しかし男を殺すにしても、卑怯な殺し方はしたくありません。わたしは男の縄を解いた上、太刀打ちをしろと云いました。(杉の根がたに落ちていたのは、その時捨て忘れた縄なのです。)男は血相を変えたまま、太い太刀を引き抜きました。と思うと口も利かずに、憤然とわたしへ飛びかかりました。――その太刀打ちがどうなったかは、申し上げるまでもありますまい。わたしの太刀は二十三合目に、相手の胸を貫きました。二十三合目に、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思っているのです。わたしと二十合斬り結んだものは、天下にあの男一人だけですから。(快活なる微笑)

 わたしは男が倒れると同時に、血に染まった刀を下げたなり、女の方を振り返りました。すると、――どうです、あの女はどこにもいないではありませんか? わたしは女がどちらへ逃げたか、杉むらの間を探して見ました。が、竹の落葉の上には、それらしい跡も残っていません。また耳を澄ませて見ても、聞えるのはただ男の喉に、断末魔の音がするだけです。

 事によるとあの女は、わたしが太刀打を始めるが早いか、人の助けでも呼ぶために、藪をくぐって逃げたのかも知れない。――わたしはそう考えると、今度はわたしの命ですから、太刀や弓矢を奪ったなり、すぐにまたもとの山路へ出ました。そこにはまだ女の馬が、静かに草を食っています。その後の事は申し上げるだけ、無用の口数に過ぎますまい。ただ、都へはいる前に、太刀だけはもう手放していました。――わたしの白状はこれだけです。どうせ一度はおうちの梢に、懸ける首と思っていますから、どうか極刑に遇わせて下さい。(昂然たる態度)

清水寺に来れる女の懺悔

 ――その紺の水干を着た男は、わたしを手ごめにしてしまうと、縛られた夫を眺めながら、嘲るように笑いました。夫はどんなに無念だったでしょう。が、いくら身悶えをしても、体中にかかった縄目は、一層ひしひしと食い入るだけです。わたしは思わず夫の側へ、転ぶように走り寄りました。いえ、走り寄ろうとしたのです。しかし男は咄嗟の間に、わたしをそこへ蹴倒しました。ちょうどその途端です。わたしは夫の眼の中に、何とも云いようのない輝きが、宿っているのを覚りました。何とも云いようのない、――わたしはあの眼を思い出すと、今でも身震いが出ずにはいられません。口さえ一言も利けない夫は、その刹那の眼の中に、一切の心を伝えたのです。しかしそこに閃いていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――ただわたしを蔑んだ、冷たい光だったではありませんか? わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたように、我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました。

 その内にやっと気がついて見ると、あの紺の水干の男は、もうどこかへ行っていました。跡にはただ杉の根がたに、夫が縛られているだけです。わたしは竹の落葉の上に、やっと体を起したなり、夫の顔を見守りました。が、夫の眼の色は、少しもさっきと変りません。やはり冷たい蔑みの底に、憎しみの色を見せているのです。恥しさ、悲しさ、腹立たしさ、――その時のわたしの心の中は、何と云えば好いかわかりません。わたしはよろよろ立ち上りながら、夫の側へ近寄りました。

「あなた。もうこうなった上は、あなたと御一しょには居られません。わたしは一思いに死ぬ覚悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすって下さい。あなたはわたしの恥を御覧になりました。わたしはこのままあなた一人、お残し申す訳には参りません。」

 わたしは一生懸命に、これだけの事を云いました。それでも夫は忌わしそうに、わたしを見つめているばかりなのです。わたしは裂けそうな胸を抑えながら、夫の太刀を探しました。が、あの盗人に奪われたのでしょう、太刀は勿論弓矢さえも、藪の中には見当りません。しかし幸い小刀だけは、わたしの足もとに落ちているのです。わたしはその小刀を振り上げると、もう一度夫にこう云いました。

「ではお命を頂かせて下さい。わたしもすぐにお供します。」

 夫はこの言葉を聞いた時、やっと唇を動かしました。勿論口には笹の落葉が、一ぱいにつまっていますから、声は少しも聞えません。が、わたしはそれを見ると、たちまちその言葉を覚りました。夫はわたしを蔑んだまま、「殺せ。」と一言云ったのです。わたしはほとんど、夢うつつの内に、夫の縹の水干の胸へ、ずぶりと小刀を刺し通しました。

 わたしはまたこの時も、気を失ってしまったのでしょう。やっとあたりを見まわした時には、夫はもう縛られたまま、とうに息が絶えていました。その蒼ざめた顔の上には、竹に交った杉むらの空から、西日が一すじ落ちているのです。わたしは泣き声を呑みながら、死骸の縄を解き捨てました。そうして、――そうしてわたしがどうなったか? それだけはもうわたしには、申し上げる力もありません。とにかくわたしはどうしても、死に切る力がなかったのです。小刀を喉に突き立てたり、山の裾の池へ身を投げたり、いろいろな事もして見ましたが、死に切れずにこうしている限り、これも自慢にはなりますまい。(寂しき微笑)わたしのように腑甲斐ないものは、大慈大悲の観世音菩薩かんぜおんぼさつも、お見放しなすったものかも知れません。しかし夫を殺したわたしは、盗人の手ごめに遇ったわたしは、一体どうすれば好いのでしょう? 一体わたしは、――わたしは、――(突然烈しき歔欷)

巫女の口を借りたる死霊の物語

 ――盗人は妻を手ごめにすると、そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口は利けない。体も杉の根に縛られている。が、おれはその間に、何度も妻へ目くばせをした。この男の云う事を真に受けるな、何を云っても嘘と思え、――おれはそんな意味を伝えたいと思った。しかし妻は悄然と笹の落葉に坐ったなり、じっと膝へ目をやっている。それがどうも盗人の言葉に、聞き入っているように見えるではないか? おれは妬しさに身悶えをした。が、盗人はそれからそれへと、巧妙に話を進めている。一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲も折り合うまい。そんな夫に連れ添っているより、自分の妻になる気はないか? 自分はいとしいと思えばこそ、大それた真似も働いたのだ、――盗人はとうとう大胆にも、そう云う話さえ持ち出した。

 盗人にこう云われると、妻はうっとりと顔をもたげた。おれはまだあの時ほど、美しい妻を見た事がない。しかしその美しい妻は、現在縛られたおれを前に、何と盗人に返事をしたか? おれは中有に迷っていても、妻の返事を思い出すごとに、嗔恚しんいに燃えなかったためしはない。妻は確かにこう云った、――「ではどこへでもつれて行って下さい。」(長き沈黙)

 妻の罪はそれだけではない。それだけならばこの闇の中に、いまほどおれも苦しみはしまい。しかし妻は夢のように、盗人に手をとられながら、藪の外へ行こうとすると、たちまち顔色を失ったなり、杉の根のおれを指さした。「あの人を殺して下さい。わたしはあの人が生きていては、あなたと一しょにはいられません。」――妻は気が狂ったように、何度もこう叫び立てた。「あの人を殺して下さい。」――この言葉は嵐のように、今でも遠い闇の底へ、まっ逆様におれを吹き落そうとする。一度でもこのくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか? 一度でもこのくらい呪わしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか? 一度でもこのくらい、――(突然迸るごとき嘲笑)その言葉を聞いた時は、盗人さえ色を失ってしまった。「あの人を殺して下さい。」――妻はそう叫びながら、盗人の腕に縋っている。盗人はじっと妻を見たまま、殺すとも殺さぬとも返事をしない。――と思うか思わない内に、妻は竹の落葉の上へ、ただ一蹴りに蹴倒された、(再び迸るごとき嘲笑)盗人は静かに両腕を組むと、おれの姿へ眼をやった。「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか? 返事はただ頷けば好い。殺すか?」――おれはこの言葉だけでも、盗人の罪は赦してやりたい。(再び、長き沈黙)

 妻はおれがためらう内に、何か一声叫ぶが早いか、たちまち藪の奥へ走り出した。盗人も咄嗟に飛びかかったが、これは袖さえ捉えなかったらしい。おれはただ幻のように、そう云う景色を眺めていた。

 盗人は妻が逃げ去った後、太刀や弓矢を取り上げると、一箇所だけおれの縄を切った。「今度はおれの身の上だ。」――おれは盗人が藪の外へ、姿を隠してしまう時に、こう呟いたのを覚えている。その跡はどこも静かだった。いや、まだ誰かの泣く声がする。おれは縄を解きながら、じっと耳を澄ませて見た。が、その声も気がついて見れば、おれ自身の泣いている声だったではないか? (三度、長き沈黙)

 おれはやっと杉の根から、疲れ果てた体を起した。おれの前には妻が落した、小刀が一つ光っている。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へ刺した。何か腥い塊がおれの口へこみ上げて来る。が、苦しみは少しもない。ただ胸が冷たくなると、一層あたりがしんとしてしまった。ああ、何と云う静かさだろう。この山陰の藪の空には、小鳥一羽囀りに来ない。ただ杉や竹のうらに、寂しい日影が漂っている。日影が、――それも次第に薄れて来る。――もう杉や竹も見えない。おれはそこに倒れたまま、深い静かさに包まれている。

 その時誰か忍び足に、おれの側へ来たものがある。おれはそちらを見ようとした。が、おれのまわりには、いつか薄闇が立ちこめている。誰か、――その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀を抜いた。同時におれの口の中には、もう一度血潮が溢れて来る。おれはそれぎり永久に、中有の闇へ沈んでしまった。………

(大正十年十二月)
※テキストは青空文庫版「藪の中」より。

《ジャーロ No.87 2023 MARCH 掲載》


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