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『セールスマン』|稲田豊史・ミステリーファンに贈るドキュメンタリー入門〈語っておきたい新作〉【第6回】

★前回記事:連載第6回 ドキュメンタリーとして観る『水曜日のダウンタウン』(前編)

文=稲田豊史

「ダイレクトシネマ・ムーブメントの中核をなす古典的名作」と説明される1本だ。

 ダイレクトシネマとは1960年代、撮影・録音機材の発達と小型化に伴い、映像と音をシンクロさせる同時録音が屋外でも可能になったことで生まれたドキュメンタリーの形式。発祥は北米で、「被写体に演出指示をせず、そのまま撮る」「ナレーションやBGMやテロップは入れない」ことを特徴とする。本作の監督のひとりであるデヴィッド・メイズルスはダイレクトシネマの原則について、「その瞬間に起きていることに割り込むのではなく、起きているとおりに記録する」(プレス資料より)と説明した。

 ただし、そういうドキュメンタリー史のお勉強的な側面は一旦忘れていい。ただもう単純に面白いのだ。

 カメラが追うのは、豪華な装丁の聖書を訪問販売する4人の男性セールスマン。彼らは出版社と契約してアメリカの様々な地域に出張し、何日か滞在してセールス活動を行う。戸別訪問するのは、善良で勤勉そうな人々が住まう郊外の家々。その中には英語が母国語ではない者、無垢な老人、典型的なプアホワイトも含まれる。そんな「とりわけ知的でも裕福でもなさそうな田舎者」たちに、セールスマンたちが牙をく。

 セールストークは「えげつない」の一言。見え見えのお世辞を並べて褒めそやし、相手が難色を示しても言葉巧みに「買わない理由」を潰そうとする。迷っている間にも、お構いなしで支払い方法の説明を続ける。カネがないと言っているのに、いくらなら出せるかとしつこく詰め寄る。

 現代の感覚で見れば完全にアウトな売り方だが、相手ものれんに腕押しだったりすると、その空回りは時にシュールで滑稽。お笑いかコントかと見紛う瞬間すらある。

 セールスマン側の内情もなかなかの地獄だ。身ひとつ、腕一本の商売。実績次第で金持ちになれる――と言えば聞こえはいいが、売れなければ負け犬確定。研修会では「売れないのは自分の責任」とげきが飛び、ボスからはパワハラ気味に詰められる。

 そんななか注目したいのが、編集だ。本作には、まるで映画のように会話中の二者をカットバックで交互に写すシーンがあるが、カメラが一台のはずなのにそんなことができるはずはない。つまり別のリアクションを編集によって〝挿入〟しているのだ。

「起きているとおりに記録する」などといかにも正直者のふりをしながら、その実、撮れたフィルムを喜々として恣意しいまみれに編集して作品化すること。そのえげつなさとダイナミズムはしくも、本作でカメラが捉える「倫理的なるものの極みともいえる聖書を、身も蓋もない資本主義の論理で強引に販売すること」に通じるものがある。これは皮肉に名を借りた自己批判なのか、自己批判のふりをした茶目っ気なのか。

 いずれにしろ、これぞドキュメンタリーの悪魔的な面白さの本質だ。さすが古典的名作と言われるだけのことはある。

『セールスマン』
1969年/アメリカ
監督:アルバート・メイズルス、デヴィッド・メイズルス、シャーロット・ズワーリン
2022年11月26日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
配給:東風+ノーム
ⓒ MAYSLES FILMS, INC

《ジャーロ NO.85 2022 NOVEMBER 掲載》

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