見出し画像

人間は愚かであり、その人間が生み出した社会も間違っている|杉江松恋・日本の犯罪小説 Persona Non Grata【第11回】

▼前回はこちら


文=杉江松恋

 山田風太郎やまだふうたろうにとって犯罪は相対的なものであった。

 この作家は確固とした倫理の基準を持っていた。それは社会規範とは別物で、人間という存在の根底に関わるものだった。法は文明の一部だから、社会的な存在としての人間を構成する要素ではあるが、絶対的なものではない。法を犯すか否かよりも、もっと重要な問題がこの作家の中にはあった。作中に出てくる犯罪者は、事態を深化させてこの問題を浮かび上がらせるために描かれたのである。そのため、彼らは非常にねじくれた動機、逆転した心理を持つ者として登場してくる。この作家にとって、社会は人間の一部にすぎない、という言い方をしてもいいだろう。社会は人間の作り出したものである。その作り出したものに人間が縛られる滑稽さを書き続けた作家でもあった。

 山田風太郎、本名山田誠也せいやは一九二二年一月四日、兵庫県養父やぶ関宮町せきのみやちょう(現・養父市)で生まれた。父とは五歳のとき、母とは十四歳のときに死別して家族の縁は薄い。その父方、母方ともに医家の出であり、山田も長じて東京医学専門学校(現・東京医科大学)に進んで医学生となっている。風太郎の筆名は兵庫県立豊岡とよおか中学校(現・豊岡高等学校)在学中、厳しい軍国主義教育に反発して品行不良に走ったとき、名乗ったものが元になっている。十八歳のとき、旺文社の「受験旬報」(後の「螢雪時代」)懸賞小説に応募し、「石の下」が第一等入選したのが文筆活動の始まりとされているが、実はそれ以前にも豊岡中学校機関紙『達徳』に短篇「朝馬日記」を発表している。一九三七年、十五歳の時である。これらの初期作品は『橘傳來記』(二〇〇八年。出版芸術社)に収録されている。

 一九四〇年の中学卒業後、しばらくの空白期間がある。これは非行が祟って卒業証書に当たる教練検定合格証が貰えなかったことが影響したもので、東京医学専門学校に入ったのも一九四四年、二十二歳のときだった。在学中に日本は戦争に負ける。この頃の日記をまとめたのが『戦中派不戦日記』(現・講談社)である。「不戦」であって「反戦」ではない点に注意されたい。二十三歳の山田誠也は、論理的な思考の果てに日本が戦争に負けるであろうと結論していた。同時に、自分も戦争によって死ぬ運命にあると承知していた。その上で、残された時間を充実させるためにあらゆる書物を読み、思弁を繰り返して知性を養っていたのである。後に小説家としての基盤となる優れた洞察力はこの頃に完成された。

 敗戦後の山田はアルバイトのつもりで小説を書き始める。過去に学生雑誌で懸賞小説荒らしをした経験から自信もあったのだろう。医学生として得た知識を駆使して書き上げた「達磨峠の事件」(光文社文庫『山田風太郎ミステリー傑作選10 達磨峠の事件 補遺篇』他所収)が「宝石」の第一回短編懸賞に入賞し、デビューを果たす。そこからしばらくはミステリー作家としての活躍が続き、忍法帖、明治小説、室町小説というように作風が変遷していくのはご存じの通りである。本稿では主としてミステリーの時代を扱う。

 いわゆる変格探偵小説の書き手として言及されることが多い作家だ。デビュー年に書かれた文章を読むと、論理性を重視するごく当たり前のミステリー観を備えていたことがわかる。「わが推理小説零年――昭和二十二年の日記から」(筑摩書房『わが推理小説零年』所収。二〇〇七年)に丹羽文雄にわふみお林房雄はやしふさおの探偵小説論を否定してこう書いている。

――探偵小説の真髄は殺人にもなければ勧善懲悪にもない。謎と論理にある。トリックと推理にある。(中略)また探偵対犯人は論理対謎、推理対トリックの具象物であって、正義が勝利を占めようが悪が一杯くわせて哄笑しようが、そんなことはどうでもよろしいのである。

 ただ理知の追求だけがあるべきで、そこに倫理の是非を持ちこむことの愚を山田は嗤う。冒頭に書いた、犯罪が相対的なものであるというのもこの延長で、この作家にとっては探偵小説であれば論理性が、もっと拡大して小説全般を対象とすれば人間についての理解が重要なのであり、それ以外は本質からはずれた付帯物に過ぎなかった。先に書いた作風の変遷も、表面上はジャンルを移動しているように見えるものの、小説執筆の姿勢そのものは山田は生涯変えなかったはずである。

 この作家を理解するときには、被膜を一度取り除き、深層に分け入る必要がある。そうした素材として、ミステリーにおける代表作の一つ、『妖異金瓶梅』(一九五九年。現・角川文庫他)を取り上げたい。これはネタばらしせずに紹介することが難しい作品である。しかし山田の中でも屈指の犯罪小説であり、語り落とすことはできない。

 本作は中国四大奇書の一つ『金瓶梅』を下敷きとし、その主要な登場人物を各話の事件関係者として当てはめた連作ミステリーである。原典の『金瓶梅』は十七世紀初めまでに成立したと言われる好色文学で、豪商・西門慶とその夫人たちとの爛れた生活が描かれる。この世界を採り上げた事情については山田が書き残しており、「虚像淫楽」(一九四八年)・「厨子家の悪霊」(一九四九年)(共に光文社文庫『山田風太郎ミステリー傑作選1 眼中の悪魔 本格篇』他所収)を掲載した『旬刊ニュース』の版元・東西出版社がなかなか稿料を支払わない。たびたび訪れて催促をしたところ、『金瓶梅』の訳本をくれたというのである。山田が「そういう下らない事情で入手した原本を手品のたねとして、私が推理小説から忍法帖へ飛び移る重要な踏石の役を果たした」(「風眼帖13」。『わが推理小説零年』他所収)と書いているのは、『金瓶梅』を手がけたから次は同じ奇書で『水滸伝』を、という流れになり、百八人の豪傑を忍者に置き換える発想により忍法帖が生まれたことを意味する。

 連作第一作の「赤い靴」は「講談倶楽部」一九五三年八月増刊号に掲載された。以降「宝石」「キング」他の各誌も発表媒体となり、「講談倶楽部」一九五九年四月号の「死せる潘金蓮」で完結した。一九五三年は「戦艦陸奥」「潜艦呂号99浮上せず」(共に光文社文庫『山田風太郎ミステリー傑作選5 戦艦陸奥 戦争篇』所収)などの戦争小説が発表された年である。「死せる潘金蓮」が発表された一九五九年四月には、前年から始まった『甲賀忍法帖』連載が継続中だった。忍法帖長篇の第一作である(単行本刊行は同年十一月。現・講談社文庫他)。作家の認識通り端境期の作品と言える。この作品は、二〇〇一年に扶桑社文庫が刊行されるまで、全篇を網羅した単行本が存在しなかった。前記の随筆で山田は「どうも誰も推理小説の仲間に入れてくれないらしい」と自嘲気味に書いているが、世間から軽視されてきた不幸な一冊であることは間違いないのである。

『妖異金瓶梅』には重要な点が三つある。第一は謎解き小説としては類例のない構造が用いられていることで、ここでは言及しない。第二は高木彬光たかぎあきみつが指摘するように、各篇ごとで異なる「変態性慾」のテーマが扱われていることで、セックスの側面から人間心理の炙り出しが行われる。第三が犯罪者小説としては最も重視すべき点だ。第一のミステリーとしての観点に抵触してしまうので具体的に書きづらいが、橋本治はしもとおさむ「天の川紅蓮考」が読解の補助線として有効である(新評社『別冊新評山田風太郎の世界』所収。一九七九年)。

 この稿の中で橋本は、人間を社会的な生物と呼んでいる。その社会を完成させたいという本能が、いわゆる正義なのである。橋本によれば、山田風太郎はこの正義を描く作家なのだ。柳生十兵衛やぎゅうじゅうべえなど山田作品の主人公たちを俎上に載せ、それがいかなる正義を代表しているかを論じていく中で、『妖異金瓶梅』の犯人にも言及される。犯人の代表するものは「倫理としての正義」である。

『金瓶梅』の物語世界は、豪商・西門慶が支配する社会だ。西門慶がいる限り、社会は盤石のものとして維持されている。その中では個が自己主張を行う必要はない。それは秩序を紊乱する行為であり、社会を完成させるという本能に反するものなのだ。ゆえに『妖異金瓶梅』の犯人は、秩序を回復するという倫理観に則って行動する。作中で描かれる事件は、すべてそれゆえに発生するのである。

『妖異金瓶梅』を初めて読んだ者は皆、犯行動機の異常さに驚かされる。それを十全に理解するためには、橋本が設定したような逆立した個のありようを想定する必要がある。何度もこの連載で述べているとおり、犯罪とは個と社会との本質的な対立が最も極端な形で表出した現象である。その個が社会と一体化することを是とするというのは逆説以外の何物でもない。連作は、最終話にて西門慶の作り出した小宇宙が消滅して終わる。モデル都市で行われる社会実験が失敗に終わったかのように、すべては霧散するのである。ここでは社会とは完全に西門慶という個人の一部になっている。

『妖異金瓶梅』後の山田は、一九五九年から次々に忍法帖小説の連載が始まり、一九六三年には『柳生忍法帖』(現・角川文庫他)、一九六四年には『おぼろ忍法帖』(『魔界転生』と改題。現・角川文庫他)と柳生十兵衛を主人公とする長篇の第一、第二作を書いている。十兵衛の物語は、『柳生十兵衛死す』(現・河出文庫他)が一九九二年に刊行されて三部作として完結した。一九六三年は講談社から〈山田風太郎忍法全集〉全十五巻の刊行が始まった年で、これによって忍法帖ブームが決定的なものになる。別作家による類似作品も書かれるほどで、山田は人気を盤石のものとしたのである。

 反面、ミステリー作品は減少したが決して質が落ちているわけではない。一九六一年には『棺の中の悦楽』、一九六二年には『夜よりほかに聴くものもなし』(それぞれ光文社文庫『山田風太郎ミステリー傑作選』所収)そして一九六三年、『太陽黒点』が桃源社から書き下ろしで発表される。同作を収録した『山田風太郎ミステリー傑作選5 戦艦陸奥 戦争篇』(光文社文庫)の編者・日下三蔵の解題によれば、作者は長い間『太陽黒点』を失敗作だと考えていたという。日下をはじめとする論者が評価を高くするのを聞いてか考えを改めたというが、長い間文庫化もされずに絶版のままになっていたのはそういう事情もあるらしい。『妖異金瓶梅』から『太陽黒点』に至る長篇はどれも粒ぞろいで、時代を経ても古びるところのない傑作である。それに対して自己評価が低いのは、いわゆる社会派ブームの中でこうした作品を顧みる者が少なくなっていたということもあるが、忍法帖の爆発的な人気と比して、という気持ちもあったのではないか。いずれにせよこの作品を最後に、山田は本格的に時代小説の方へ軸足を移していく。

『太陽黒点』もまた、紹介の難しい小説である。だが、山田風太郎にしか書けない、代表作と呼ぶにふさわしい一作なのである。作家の深層を覗くためには、うってつけのテクストと言うことができる。

 冒頭で展開されるのは、苦学生の鏑木明かぶらぎあきらを中心とした恋愛物語だ。明はアルバイト先で縁が出来て多賀水産の社長令嬢・恵美子と知り合う。恵美子は奔放な女性で、婚約者や自分の周囲にいる賛美者たちをよそに、明を誘惑するのである。明には土岐容子という恋人がいて同棲までしているのだが、恵美子をものにすれば多賀水産を牛耳ることができるかもしれないという思いに取り憑かれ、次第に荒っぽい行動を取るようになっていく。
 こうした三角関係の顛末が描かれるのだが、ただの恋愛小説ではないことは章題が「死刑執行・一年前」「十一ヶ月前」と不気味なカウントダウンになっている事実からも明らかである。また、第一章では明がバイト先で訪れた仁科靖彦邸に侵入者があり、カメラが盗まれるという出来事が描かれる。この泥棒は後に少女誘拐殺人事件の犯人であることが判明するのだが、邸にメモ帳を落としていて、そこに記された「誰カガ罰セラレネバナラヌ」という言葉の連なりが不気味な印象を残す。不穏な空気は最初から漂っているのだ。

 どこでミステリーとしての顔が明らかになるのか、という構成も含めてすべてネタばらしの危険があるのでこれ以上は書けない。唯一言えるのは、敗戦によって人間の愚かさを知り、国土を焼かれた痛みを早々に忘れて高度経済成長の繁栄に浮かれるその軽薄さに幻滅した作者の深い諦念が書かせた作品ということだ。人間の本質が愚かかつ軽薄であるからこそ成立するトリックが用いられた殺人計画の物語であり、犯人は山田の分身ではないものの、その人間観を分け与えられた人物である。

『太陽黒点』は戦争ミステリーでもある。これまた詳細には書けないが、作中にはある登場人物が従軍経験について回想する場面がある。まだ多くの人が戦争の惨い記憶を抱えたまま暮らしていた時代であった。その回想中で友安少尉という人物が、特攻について「軍艦はそう簡単に沈むものじゃない」「本当は雷撃するのがいちばんいい」のだが、その高度な技術を要していた者はみんな死んでしまったため、未熟練者でも可能な「やぶれかぶれ、苦しまぎれの戦法なんだ」と語る場面がある。この言葉は一九五三年に発表された悲痛な戦争小説「潜艦呂号99浮上せず」の末尾における主人公・九鬼雄一郎くきゆういちろうの「日本人よ! この戦は科学の敗北であったことを銘記せよ!」という血の叫びと呼応するだろう。

 さらに言えば九鬼の言葉は、山田が自身の日記に刻んだものの再掲である。一九四五年八月十五日の敗戦の詔を聞いた山田は呆然とし、日記には「帝国ツイニ敵に屈ス」と記したのみだった。だがすぐ思弁に徹し、翌十六日には長文をしたためている。その中に「まず最大の敗因は科学であり、さらに科学教育の不手際であったことを知る」とあるのだ。

 このときの山田の、苦しみの中から日本よ立ち上がれ、との熱い思いは戦後の混乱の中で裏切られていく。自分が考えるほどに人間は理想に尽くすことはできず、愚かな生物なのだとの諦念が形作られ、それが全作品の基盤となった。愚かであるがゆえに間違いを犯す。無為であっても、生来の歪みがあるゆえに不善に至る。そのどうしようもなさを、執念を持って山田は書き続けたのである。ただし、あくまで洒脱に。すべて戯作の形をとって真意を容易に明かすことは避けた。『妖異金瓶梅』の逆説的な構造、『太陽黒点』の徹底した偽装はそれゆえの所産である。

 もちろん『太陽黒点』は突然変異として出現したのではなく、それまでの積み重ねから必然的に生み出された、山田ミステリーの総決算と言うべき作品である。たとえば一九五〇年に発表された「女死刑囚」(『山田風太郎ミステリー傑作選4 棺の中の悦楽 悽愴篇』他所収)は、原点の一つと言える短篇だ。

 もともとは明日に死刑が決まった女囚の懊悩を描くという意図で構想が始まったという。それだけでは書ききれず、主人公・矢貝三千代やがいみちよの人生がなぜ捻じ曲げられたかという原因を、少女期から現在に至るまでの回想を並行させることで明かしていく構成になった。人間が内奥に抱える悪が彼女を死刑囚の境遇に押しやるのだが、三千代自身は本来純粋で、聖女のような内面を持つ女性だった。死刑囚こそが聖女で、普通人の顔をしている中に悪の因子を抱えた者がいるという逆転はこの後幾度も山田作品に登場してくる。その決定版が『太陽黒点』なのだ。「女死刑囚」と『太陽黒点』の犯人像は根底で一致している。

 正義と悪、聖と賤は相対的なものでいくらでも逆転するというのは山田作品に頻出する構造だ。さらに、具体的な犯罪を行わない普通人の中にも悪の要素が生来備わっているということにも「女死刑囚」では言及がある。

――人間の悪の、ほんとうのおそろしさは、法律上の大犯罪よりも、きわめて卑小な行為にあらわれる。銀行で、行員を十人毒殺して、大金を強奪しようとした男と、雨戸をとじた真っ暗やみの中で、抱きあってふるえているその犯人の家族に垣根のそとから、「これがあの大罪人の家なんだよ!」と、さも聞こえよがしに、わめきたてる女房たちと、その心事に於て、はたしてどちらが残忍であるか、容易に決定できないものがあろう。

 人間の愚かさに対する絶望が山田を衝き動かしていた。同じく戦争の中で人間の愚かさを思い知った大藪春彦おおやぶはるひこは、主人公に作り上げられた秩序を破壊させようとした。そうした直接的な方向にこの作家が向かわなかったのは、医学生として科学を修めたという資質のなせる業だろうし、世代の違いも影響したはずである。大藪は敗戦時十歳であったが、山田は二十三歳だった。日本は敗れるが徹底的に抗戦するだろう、自分もその中で死ぬはずである、との覚悟を山田は持っていた。それが一夜にして崩壊した八月十五日以降、滑稽な喜劇を見るような目でしか現実と接せられなくなったのではないか。

『太陽黒点』は第八回で取り上げた石原慎太郎いしはらしんたろうと接点を持っている。題名の由来は、戦後に出現した若者が前の世代とは異なる突然変異を遂げたように見える、という意見に対してある登場人物が「何か、太陽黒点の影響じゃないですか。つまり、太陽族ですな」と混ぜっかえすことから来ている。言うまでもなく、太陽族とは石原慎太郎が一九五五年に発表した「太陽の季節」(同題短篇集所収。現・新潮文庫)に影響されてメディアが殊更に取り上げるようになった、無軌道な若者たちの総称である。「太陽の季節」の竜哉たつやは前世代の倫理をことごとく否定して自身でそれを再構築したいという意志を根底に抱えた主人公なのだが、『太陽黒点』の明にそこまでの思想性はない。彼は空っぽで、自分が多賀水産を自由にできるかもしれないと思えばそっちに動いていく軽佻浮薄な人物なのだ。山田が太陽族という言葉を出したのも、作品に籠められた真意を隠すための偽装だろう。

『太陽黒点』には、すべてを否定する「太陽の季節」のような直截さがないため、発表当時から長くその真価が評価されなかった。一九九〇年代以降の再評価を経て、初めてその遠大さが理解されるようになったのである。これは山田風太郎という作家についても同じことだろう。戯作に徹して真意を隠さざるを得なかった作家の哀しみには今こそ目を向けるべきだろう。また、人間全体に失望するがゆえにそれが積み上げた所産である社会を否定し、個人の働きにのみわずかな価値を見出すという作風は、個人と社会の関係を考える上で重要な鍵となる。個を礼賛しているわけではなく、個があるという事実しか山田は肯定できなかったのだ。凄まじい引き算の上にあれらの作品は成り立っている。

《ジャーロ No.90 2023 SEPTEMBER 掲載》


★2024年は(ほぼ!)毎日投稿【光文社 文芸編集部公式note】
ミステリーはもちろん、読書の楽しみが深まる記事を配信いたします。
お気軽にフォローしてみてください!

この記事が参加している募集

推薦図書

いただいたサポートは、新しい記事作りのために使用させていただきます!