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【連載 #03】「エンディングノート」|稲田豊史・ミステリーファンに贈るドキュメンタリー入門

エンディングノート
2011年/日本 撮影・編集・監督:砂田麻美 
DVD発売中 DVD4,180円(税込) 
発売・販売元:バンダイナムコフィルムワークス
ⓒ2011「エンディングノート」製作委員会

文=稲田豊史

他人の家の家族アルバムは退屈か

「セルフドキュメンタリー」というジャンルがある。監督が自分もしくは家族・近親者・親しい知人などを被写体(撮影対象)とするドキュメンタリーだ。その多くは監督自身がカメラを回している。

日本を代表するドキュメンタリストである原一男はらかずお(『ゆきゆきて、神軍』(’87)、『全身小説家』(’94))の名を一躍知らしめたのは、自分の元同棲どうせい相手を追った『極私的エロス 恋歌1974』(’74)というセルフドキュメンタリーだった。『もえ朱雀すざく』(’97)がカンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを、『もがりの森』(’07’)が同映画祭でグランプリを受賞して国際的に名をせることになった河瀨かわせ直美なおみの出世作も、生き別れた自らの父親を追った『につつまれて』(’92)や、自分と「実の祖母ではないおばあちゃん(養母)」との日常をつづった『かたつもり』(’94)といったセルフドキュメンタリーである。

ただ、特にドキュメンタリー好きでも映画マニアでもない人はこう思うかもしれない。「素性をよく知らない監督の家族やら友人やらを追いかけた映画の、一体何が面白いのか?」と。

被写体が著名人なら、まだ理解できる。映っているのが芸能人や有名YouTuberであれば、YouTubeの「モーニングルーティン」よろしく、彼らがただ起床し、朝食をとり、身支度を整えているだけで、その映像には一定の価値が生じるからだ。

しかし、単なる一般人に一体何の興味を見出みいだせというのか? いわば、他人の家の家族アルバムを眺めるようなもの。退屈極まりないのではないか?

そんな疑念を抱く人ほど観てほしいのが、公開当時33歳だった砂田すなだ麻美まみの監督デビュー作『エンディングノート』(’11)である。


見てはいけないものを見ている気がする

同作は、2009年5月にステージ4の胃がんが見つかり、同年12月に亡くなった砂田の父・知昭ともあきを、砂田が半年間にわたって撮影したものだ。「エンディングノート」とは、遺書ほどの法的効力は持たない家族への覚え書きのこと。知昭はがん告知を受けても取り乱すことなく、几帳面に、かつ黙々と終活を進め、最後に「エンディングノート」の内容が明かされる。

一言で言えば、本作にはものすごいものが映っている。特に後半は、ものすごいものしか映っていない。たとえば、以下。

・医者、砂田、砂田の母の3人で、知昭の命がもう長くはない事実を本人には「伏せる」ことを決定する瞬間
・幼い孫たちにか細い声で最後のお別れを告げる知昭の姿と、泣きれる砂田家の面々
・知昭と砂田の母が夫婦二人きり(カメラは固定設置)で愛と感謝の言葉を述べ合う病室内
・弱りきった知昭の前で砂田の兄が砂田の姉に苛立いらだつ場面

いずれも、被写体が監督の血縁者でなければ絶対に撮れない映像である。カメラ(=砂田)は家族しか入ることを許されない空間に堂々と入ることができるし、家族たちは砂田の前でしか見せない行動をとる。砂田の前でしか発さない言葉を発するからだ。

家族写真で言うなら、風呂上がりの半裸姿や化粧を落とした後のすっぴん顔が映っているようなもの。いや、それでは足りない。夜の営みや脱糞だっぷん中の様子が映っているほどのけさで、砂田家のデリケートゾーンが白日のもとさらされている。

そのあまりに生々しく、あまりにドラマチックなシーンの波状攻撃に、観客は画面から一瞬たりとも目を離せない。そうして知昭は最期の日を迎え、穏やかで美しいエンディングが訪れる。

満足度という意味では申し分ない。ただ、筆者は鑑賞中にこんなことも思ってしまった。

「果たして、カメラを回してもよい題材だったのだろうか?」
「見てはいけないものを見ている気がする……」

無論、被写体やその家族が撮影に同意しているのだから、プライバシーの侵害には当たらない。なのに、何かが引っかかる。ある種の罪悪感とでも呼ぶべきか。しかも奇妙なことに、この罪悪感のようなものと視聴満足度は、互いに邪魔しあうことなく共存している。互いが互いを打ち消しあっていない。まるで、頬張ったものが禁断の果実であるにもかかわらず、そのあまりの美味に思わず舌鼓を打ってしまうかのごとし。

なぜそんなふうに感じたのか。

本作が「死」を直接的に撮影しているからだ。

「死」を見たいという抗しがたい欲望

多くの文化圏では「死」や「死にまつわること」を忌み嫌うべきもの、あるいはけがれた事象として日常とは切り離して取り扱う。小さな子供に「死体」や「死を扱ったフィクション」を見せたがらない・読ませたがらない親が多い理由のひとつにも、それがあるだろう。

言うまでもないが、「人が死ぬ瞬間」あるいは「死体」が公共の映像メディアで報じられる際には細心の注意が払われる。というより極力「映さない」という選択がなされる。その根底には、日常生活に「死」を紛れ込ませたくないと願う視聴者に対する配慮と、死者の尊厳に対する目配りがある。結果、現代人は「死」があまり視界に入らない状態で日々を過ごすことになった。

しかし、そうやって遠ざけられたからこそ、現代人にとって「死」は非常に強い興味を引くモチーフともなった。

人間はえてして、禁止されていること・隠されているもの・社会的に推奨されないことを見たがり、したがる生き物だ。ポルノグラフィ、快楽目的の性行為、ジャンクフードの大量摂取。禁忌であるだけに抗しがたい魅力を放っているという点だけで言うならば、「死」もそれらとある程度同列に並べられる。日常からは切り離したいが、非日常的な体験として時折は求めたい――。

スティーヴン・キング原作の映画『スタンド・バイ・ミー』(’86)は、12歳の少年たち4人が2日間の旅に出る青春物語だが、旅の目的は「死体」だった。彼らは行方不明になっている少年が森の奥で列車にかれ野ざらしになっているという情報を聞きつけ、子供たちだけで発見しようと目論もくろむ。

ここで少年たちが目指すのが、何か金銭的価値のある宝物の類いではないことに注目したい。彼らにとって死体は非日常の極みであり、当然ながら禁忌の象徴であり、不気味で「怖い」存在でもある。しかし4人のうちのひとりが「死体を見たくないか?」と言うと、残りの3人は一斉に食いつく。

死体を見つければ新聞に出て有名になれる、英雄になれると作中では説明されるが、主人公はモノローグで「死体を見るという思いに取りつかれていた」「なぜ死体を見たいのかよくわからなかった」と回想する。彼らは、功名心よりなにより、とにかく「死体というものを見てみたかった」のだ。ちなみに原作の英題(原題)はズバリ「The Body(死体)」である。

非日常かつ禁忌の代表選手でもある死(体)を、怖いけれども間近で見たいという抗しがたい欲求は、少なくとも近代以降の人間にとっては普遍的なものらしい。

『エンディングノート』はその欲求に、見事に応えた。本作は、知昭が目に見えて衰えゆき、死に近づいていく状況を克明に映し出す。本作は家族愛にあふれたヒューマンドキュメンタリーである以上に、人の死を、人が朽ちていく過程を、ほとんどゼロ距離で捉え続けた「死」の実況中継でもある。ゼロ距離まで近づくことができたのは、ひとえに砂田が被写体の娘だったから、つまりセルフドキュメンタリーだったからに他ならない。

それゆえ観客は、家族愛がもたらす感動に包まれる以上に、抗しがたく魅力的な「死」がもたらす好奇心を刺激される。他人の家の家族アルバムにもかかわらず、最後までじっくり見てみようという気にさせられる。好奇心という名のブースターのおかげで。

なお、『エンディングノート』と同年に公開された平野ひらの勝之かつゆきのセルフドキュメンタリー『監督失格』(’11)にも「死」が直接的に映り込んでいる。平野の元恋人でAV女優のはやし由美香ゆみかが自宅で亡くなっているのを平野と林の母が発見する瞬間を、偶然にもカメラが収めてしまったのだ。遺体そのものは映らないが、取り乱す林の母や警察に連絡する平野の様子が、廊下に置きっぱなしになったカメラに記録されており、言いようのない衝撃を観客にもたらす。

言うまでもなく、このシーンは平野と林が非常に親しい友人関係でなければ、つまりセルフドキュメンタリーでなければ撮れなかった。


セルフドキュメンタリーは「自分」にしか興味がない?

セルフドキュメンタリーが、特定個人の「死」や「家族や親しい知人にしか言わないこと」といった普通では撮れないものを撮ることができるのは、カメラを回す者(多くは監督自身)が被写体から一定以上の信頼を得ているからだ。

他方、一般的なドキュメンタリーが特定の人物に密着する場合、その人物の胸の内をカメラの前で吐露してもらうには、膨大な時間と労力を費やして親密な関係性を築く必要がある。

しかし被写体が家族や親しい友人であるセルフドキュメンタリーの場合、親密な関係性は既にできている。100メートル走で言えば50メートル地点からスタートするようなものだ。自分が被写体ならば、必要なのは自分をさらけ出す覚悟と勇気だけ。80メートル地点のスタートだ。ある意味で〝手軽〟に撮影を始められる。

特に1990年代後半以降は、小型ビデオカメラの価格がこなれて個人でも手に入れやすくなったことも追い風となり、プロを目指す監督の卵や若きインディーズ監督たちによって、多くのセルフドキュメンタリーがつくられるようになった。

しかし、そんなセルフドキュメンタリーブームは、かつて批判にさらされた歴史がある。

阿賀あがに生きる』(’92)などで知られるドキュメンタリー監督の佐藤さとうまことは2002年、ドキュメンタリー専門メールマガジン「neo」への寄稿で批判の口火を切った。佐藤は’90年代につくられたドキュメンタリーの特徴として、「政治や社会のことよりも個人の私生活にしかドキュメンタリーのテーマを見出しにくくなった〈自分探し〉という共通の傾向がある」として、こう指摘した。

「確かに、こうした〈自分探し〉の映画は、ステレオタイプ化した若者像や在日朝鮮人像を解体する小気味よさはある。だが一方で、結局は個人の雑感に閉じてしまう弱さをも併せもっている」(*1)

家族を題材にしたセルフドキュメンタリーの場合、血縁者である被写体を深掘りする行動それ自体が監督自身のルーツ探し、アイデンティティ探しに直結する手付きはよくみられる。たとえば、佐藤が名指しで批判した松江まつえ哲明てつあきの『あんにょんキムチ』(’99)は、在日韓国人三世の松江が祖父母の生まれ故郷・韓国に赴き自らのルーツに触れる内容。先述の『監督失格』の場合はもっと直接的に、平野が林との関係性の変遷を通じて終始〝自分〟と向き合い続ける内容だった。

一方、佐藤の『阿賀に生きる』は、新潟の阿賀野あがの川流域に住む3組の老夫婦を追いかけながら、新潟水俣病という非常に社会性の高いテーマを扱った作品だ。それと比較すれば、〈自分探し〉という題材はいかにもサイズが小さくテーマの射程が短い、と言えるのかもしれない。

しかも佐藤は、『阿賀に生きる』を撮影するため、スタッフとともに阿賀野川流域に3年間にわたって住み込んだ。身近で撮影しやすい人間を被写体とするセルフドキュメンタリー(一連の寄稿では「私的ドキュメンタリー」などと呼称される)が増えつつあった時期に、佐藤がモヤモヤを感じたのは無理もない。

評論家の上野うえの昻志こうしは、この問題提起を受ける形で、さらに手厳しく批判した。

「『自分探し』という言葉には、言葉そのものにおいても、どうしようもないナルシシズムを感じてしまうが、まさにそういう作品ばかりが、若い世代を中心に作られているというのはどうしたことか。かりに『自分』を対象とするにしても、自分という他者を発見しなくて何が面白いのか、わたしにはわからない」(*2)

これら一連の批判および反論は「セルフドキュメンタリー論争」と呼ばれた。

実の父親を〝素材〟としか見ていない

しかし佐藤の批判から9年後に発表された『エンディングノート』は、この種の批判を鮮やかにかわしている。なぜなら、砂田は同作で「自分探し」をしようとはしていないからだ。

『エンディングノート』は砂田自身がナレーションを担当しているが、一貫して知昭がしゃべっているていで行われる。「私の名前は砂田知昭。享年69歳になります」と自己紹介し、撮影者である砂田のことも「30を過ぎて嫁に行く気配がございません」「なにが楽しいのかカメラを回している」などと、徹頭徹尾、知昭目線である。つまり、砂田が砂田自身として発する所感は一切挟まれていない。

ナレーションレベルにとどまらず、砂田は本作で〝自分〟というものを出さない。画面内の知昭はカメラを回している砂田と時折会話するが、砂田自身のパーソナリティ描写や葛藤、感情の吐露は徹底的に封印されている。この点、〝自分〟を遠慮なく作品内に出しまくる平野とは大きく異なる。

すなわち砂田は、少なくとも映画本編では実の父親を〝素材〟としか見ていない。ある種のセルフドキュメンタリーの定石である、「被写体と自分との関係性を見せ込む」常套じょうとうをあえて放棄し、被写体に一番近いはずの自分の視点を綺麗きれいに省略したのだ。

それゆえ観客は、佐藤が言うところの「個人の雑感に閉じてしまう弱さ」や、上野が言うところの「どうしようもないナルシシズム」に辟易へきえきしなくてよい。

ありふれた素材で最高の料理を作る

佐藤はまた、ある種のセルフドキュメンタリーを「素材主義的」であるという点においても批判した。ただカメラを向けるだけで面白いものが撮れてしまう被写体の「素の面白さ」に頼りすぎるのはいかがなものか、という主旨だ。佐藤は村石むらいし雅也まさやが企画・出演する『ファザーレス 父なき時代』(’97)について、以下のように所感を述べた。

「この作品は切れば血がにじむような村石自身の不安定な精神状態がそのまま画面に現われているのが身上であるが、その素材の力を咀嚼そしゃくしきる主体を確立出来ぬまま、その素材の力だけで映画がひとり歩きを始めてしまった様な作品なのだと思う」(*3)

料理にたとえると、わかりやすい。ものすごく上質な野菜は、洗って生のまま皿に載せるだけで、メニューとして金を取れる。客も舌鼓を打ってくれる。何の問題もないように見える。しかし、料理という創作行為の真髄を十全に発揮したと言えるだろうか? 料理人が素材の良さにあぐらをかき、怠慢を決め込んでいるだけなのではないか?

極端な話、奇人・変人をつかまえてその日常をカメラで追えば、それなりに見られるものが一丁上がりとなってしまう。実際’90’年代には、とにかくインパクトをもたせるため、やたら不幸な被写体を選ぶドキュメンタリーがよく作られた。

しかし『エンディングノート』は、このような批判にも抵触しない。なぜなら、知昭はまったくと言っていいほど素材としては「普通」だからだ。本編内でも語られるように、高度経済成長期を支えた生真面目な日本人、典型的なサラリーマンである彼は、時折チャーミングなやり取りを見せるものの、至って普通の善良な一市民でしかない。

知昭は〝特殊な行動原理をもった特殊な人〟ではない。ありふれた没個性な日本人だ。少なくとも、1ショット目から「この人、面白そう」と思われるようなタマではない。すなわち本作は、キャラに頼った素材主義には陥っていないのだ。

このことは、家族写真の顔部分が、没個性ゆえ他の誰にでも置き換え可能な状態であることをも意味する。つまり観客は、画面に映る知昭を自分の近親者へと容易に置き換え、「他人ひとごと」であるはずの他人の家の家族アルバムを、「我がごと」に作り変えることができるのだ。画面内に映る知昭を自分の親に置き換えて胸が張り裂けそうな気持ちになった観客がどれほどいたか、計り知れない。もし知昭が非常に個性的でキャラの立った人間だったら、観客は彼の終活を単なる特殊ケースと捉え、我がごとにはできなかっただろう。

「私」によって「死」を想わせる

砂田が父・知昭という人間の唯一無二性、いかに素材として特徴的であるかを描きたかったわけではないことは、映画公開時のインタビューからもうかがえる。砂田は父親の死に直面してもなお冷静な視点を持ち続けられた理由をこう述べた。

「父親の人生を描きたかったわけではなかったからだと思います。その先にあるもの、生きていた人間が命を終えていくことの不思議さや悲しさを描きたかった」(*4)

『エンディングノート』はセルフドキュメンタリーでありながら、決して「閉じた私的ドキュメンタリー」ではない。むしろ、きわめて「私」的な映像を大量に提示することで、きわめて普遍的なテーマである「死」を観客に想わせる、あるいは強制的に向き合わせる、実によくできた装置だった。

なお、筆者は本作を数年前に初めて鑑賞した際、感想メモにこう書きつけた。

「家族をつくらないでずっと生きていけば、こういう最期を迎えられないと思うと、心から怖い」

ある種のセルフドキュメンタリーは思った以上に鋭利だ。軽い気持ちで他人の家の家族アルバムを開くと痛い目に遭う。退屈だなんて、とんでもない。

*1 佐藤真「日本のドキュメンタリー映画の変遷(2)」――「neo」25号(2002/2/15号)
*2 上野昻志「1990年代のドキュメンタリー映画について」――「neo」28、29号(2002/4/1、4/15号)
*3 佐藤真「私的ドキュメンタリー私論」――「neo」51~55号(2003/4/15~7/1号)
(*1~3の出典はいずれもhttp://newcinemajuku.net/report/150328.php
*4 「エンディングノート」 家族の死が涙と笑いありの新感覚ドキュメンタリーに――映画.com(2011年9月30日)

《ジャーロ NO.82 2022 MAY 掲載》


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