「私のはなし 部落のはなし」|稲田豊史・ミステリーファンに贈るドキュメンタリー入門〈語っておきたい新作 #04〉
文=稲田豊史
部落差別の歴史を丁寧に掘り下げながら、実際に被差別部落で育った人たちにその差別体験を語ってもらうドキュメンタリーだ。なんという直球。しかも驚くべきことに、彼らは顔や実名、出身地名を明かして話す。そこに一体どれだけの覚悟が必要だったろう。観客ひとりひとりが「考えること」を強制され続ける、圧巻の3時間25分だ。
部落問題についてまわる問題のひとつに、当事者以外が語ることの難しさがある。どれだけ真摯に論じようとも、いざ当事者からの「だけど、あなたは差別されたことがありませんよね?」の一言に何か返すのは難しい。
また、当事者のなかには「これ以上部落のことを話題にしてほしくない」と望む方もいる。語ることで地名や当事者がクローズアップされてしまい、差別の二次被害が出かねないからだ。であれば、このまま忘れ去られるのを待ちたいと考えるのは当然かもしれない。そういう声を前にすると、当事者以外はやはり声をあげにくい。
『連載第4回 外国人監督が忖度なしで「日本」を撮る』で言及した「日本人に馴染み深い題材を外国人監督が撮ったドキュメンタリー」にも、似た構図がある。当事者以外が当事者について語るとき、そこに一片たりとも悪意がなくとも、「見られる者」にとって「見る者」の視線そのものが暴力になることだってありうる。「自分のことを見ないでほしい」と言う権利は、誰にでも保障されるべきだ。
本作の満若勇咲監督は、2007年に兵庫の食肉センターを舞台にした『にくのひと』というドキュメンタリーを撮り、各地で上映されて高い評価を得た。しかし同作は2010年に都内のミニシアターで劇場公開が決まるも、部落解放同盟兵庫県連合会から上映の中止を求められ、以降作品は封印されてしまった。
満若監督はこのことにダメージを受け、「(だったらもう自分たちではなく)当事者が問題提起すればいいじゃないか」とまで思うようになったという。だが、彼は本作を撮った。当事者の苦しみを想像できていなかったこと、地域の人間関係や論理を理解せずに撮影していたことを反省し、再び部落問題に視線をセットしたのだ。
被写体を被写体としてしか認識していないうちは、ことの本質はつかめない。連載第4回から引くなら、「カメラが被写体を凝視している間、被写体はカメラマンとその背後に広がる風景を一望している」。監督がこれを自覚できてはじめて、芯を食ったドキュメンタリーが完成するのではないか。本作は、それを体現したような大労作だ。
《ジャーロ NO.83 2022 JULY 掲載》
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