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友だち

学生の頃、お世話になっていた先生が
「K.くん、友だちは選べないよ」と言っていた。

面白い台詞のように、今でも時々、思い出す。

友だちは選べそうなものだ、性格がいいやつ、趣味が似ているやつ、気の合う男。

けれど、実際、選んでつきあい続けられるわけでもないらしい。

***

僕には少なくともふたり、親友と呼べる友だちがいるが、ひとりは出席番号が1つちがいだったことが縁で、はじめは特に彼のことを気にしていなかった。

もうひとりは小学校の頃にクラスが同じで、高校の頃に再会してから連絡を取り合っている。数年のブランクが2回以上ある。

またべつの、目指していることの似ている旧友は、たまたま僕が北海道にいた時、彼が札幌に赴任になり、久しぶりの再会からつきあいが今に続く。

どの友だちも選んでいない。

──高校の頃、とても気の合う友人がいた。彼も哲学書やドストエフスキーをよく読んでいた。大学に入ると、ふたりで学問について語り合い、彼の実家で朝までボジョレーヌーヴォーを飲み、同じ音楽が好きで、ロックのCDをずっとかけていた。

その彼は、就職した途端に、本を読まなくなった。わずか1,2年のうちに距離ができて、それ以来、連絡もとらない。

友だちは本当に選べない。
そして、ひとも変わるのだね。僕も向こうも。みんな。

なにか変わりゆかないものを、求めたくなる。それは運命ではないだろうか?

運命が割り当てた仕事は、生涯のものであるように思う。では、運命が割り当てる友だちもいるのだろうか。──僕にはまだわからない。


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