母の日圧
母の日が近づいて、街なかでピンクと赤で彩られた「母の日ギフト」ポスターを見ると勝手に圧を感じる。「母になにか贈らなければ」「とにかく母を慮らなければ」という圧。
別に嫌ならなんにも贈らなきゃいいじゃんという話なのだが、「母の日になにもしなかった親不孝者」になるのも、それはそれで耐えられない。なにもあげなかったとて母から「この親不孝者!」とか言われるわけではないんだけど、自分が勝手にそう思ってしまうのだ。一種の強迫観念に近いのかも。
「母にあげる物の正解」が幼い頃からずっとわからず失敗ばかりしているというのも、母の日を気が重いイベントにしている要因かもしれない。
小学生くらいの頃はお金もないので、手作りの袋(ポーチと呼べるまでもない、布を縫い合わせたような小物入れ)をあげたことがあった。なにか化粧品とかをカバンに入れるのに使ってもらいたかったんだと思う。
母はありがとうと受け取ってくれたものの、小学生女子クオリティの謎袋の使いどころに困ったのか、鏡台の上でホコリを被っているのを後日発見した。幼心に「いらないものをあげてしまったな…」と悲しくなったものである。
大学生くらいの頃は、アロマオイルとディフューザーをあげたことがあった。母も疲れているだろうし、これで癒やされてくれと思ったのだ。しかし母には「アロマを焚いてリラックスタイムをとる」というような時間的精神的ゆとりはなく、これまた茶の間でホコリを被っているのを後日発見した。
社会人になってからは使えるお金にゆとりが出てきたので、バッグとか高めの化粧品とかをあげるようになった。母が使うバッグはイオンなどで売っているようなナイロン素材のものばかりだったので、ちょっと良いカバンをあげたら喜ぶのではと思ったし、シャンプーもスーパーに売っているものではなくて、たまには数千円するエイジングケアラインのものを使って頭皮を労ってほしいと思ってのことだ。
しかしバッグは使われている様子がなく、「使わないの?」と聞いたら「あれ小さくて、いつも使ってる財布が出し入れしにくいんだもの」ということだった。三たびお蔵入りである。イオンのナイロンバッグに敗北。
高めのシャンプーは「使うのがもったいない」という理由から、最初の数回だけちまちま使われたのち、実家の風呂場に数年間鎮座しつづけていた。
長年の母ギフト失敗遍歴を列挙していると悲しくなってきた。母も母で「娘がくれたものなんだからなんでも喜んで使う」みたいな気遣いをするタイプではないのだろうが、もうちょっと喜びようがあるだろうと思う。たまにテレビやなにかで「子どもから贈られた不恰好なプレゼントを後生大事にしている母親」というキャラクターが出てくると、「うちの親とは違うな」と思う。
私は私で、もう少し実用的なものをあげたらちゃんと使ってもらえるだろうに、それはなんか嫌だった。母の日常は家事労働とケア労働がほぼ全てを占めているから、母の日常で実際つかわれるものを贈るとするとエプロンとか調理器具とかになるだろう。でもそんなのをあげたら「もっと家事にいそしめ」と言っているみたいで嫌だったのだ。
だから、おでかけに使えるもの、おしゃれに使えるもの、休むために使えるものなどをあげては、実際使う機会が得られず母も持て余す、という「あげる側のエゴ」と「もらう側の現実」のすれ違いが発生し、不幸な結果をもたらしてきたのである。
無難にカーネーションとかお菓子とかの「消えもの」をあげとけばよかったんだろうけど、たぶん私は「私があげたものを母が喜んで使って、母親の負わされている様々な役割から少しでも解放されている様」 が見たかったのだ。少しおしゃれして出かけたりとか、自分の心身をいたわったりとか。
残念ながら子どもが贈り物をしたところで母親をとりまく環境も、母親自身も変わらなかった。
すれ違い歴30年、私はもう諦めて母に欲しいものを聞いてネットで注文して済ますことにしている。今年の母の日にほしいものを聞いたら「割烹着」ということだった。ど真ん中家事用品だか、もう母にどうあってほしいとかそういうのはあまり考えないようにしてるので、楽天でランキング上位の割烹着をポチって終了である。味も素っ気もないけどこれが最適解なのだ。もうあげたものがホコリを被っていく様を見たくない。母も普通に喜んでるからこれでいいのだろう。
母の日といえば「母界のニューカマー」こと義母もいる。結婚したあとのはじめての母の日。今年どうするかで今後数十年の母の日タスクのハードルが変わる重要な年である。「スルーする」という選択肢もよぎったし、実際義母には母の日になにもしてないという既婚の知人も多いのだが、ここに来て再び自分の「母の日になにもしなかった親不孝者」のそしりを受けたくないセンサーが発動してしまった。いや誰もそしらねえし、義母はふだん全く干渉もしてこないし、絶対にそんなことは言われないとわかっているのに、やっぱり自分で自分の「母の日圧」に負けてしまう。ギリギリまで迷ってカーネーションの鉢植えを義実家着で注文した。ポチって降りる肩の荷。
勝手に圧をかけて勝手に解放されているんだからひとりずもうである。
しかし私は気づいてしまった。このひとりずもう具合はまさに、実家のいろんなことを一手に背負い込んで、ひとりでにっちもさっちもいかなくなっていた母親と全く同じであることに!
そんな母親に肩の荷を降ろしてほしくていろんな贈り物をしていた自分のなかに、確実に母親と同じ「背負い込み気質」が育っているのだった。なんてオソロシイ話。やはり血は争えんのか……と暗澹とした気持ちになる。大人にとってのほんとにあった怖い話は「自分のなかに親の嫌な部分を見たとき」だとつくづく思う。
そんなわけで、私にとっての母の日はちょっと胸がピリッとするイベントである。今後自分が「母側」になる予定は一旦無いので、もらう方の気持ちはずっとわからないままなのだろう。いくつになっても「娘の役割」を勝手に背負い込み、なんとかやり過ごすのみである。
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