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アメリカ育ちの子どもたちに、「ママが日本人で良かった」と言わせる方法

料理は嫌いじゃないが、普段はなるべく手のかからないものを効率よく作って出したいと思っている。

それに、毎日買い出しにいくのは時間がもったいないので、週に2回くらいで済むようにまとめ買いをする。

そうやって、食事づくりにかける時間をなるべく短くするために、いつもは冷蔵庫の中にあるもので何を作るかという思考回路である。

でも、たまに、そんなことは一切お構いなしに、「あ、今日はアレを作ろう」というアイデアが、どこからか降りてくるときがある。

大抵、その出どころはわたしの食欲である。「アレを作ろう」は、往々にして、「アレが食べたい」に置き換えることができる。

ただ、そのアイデアには、まるで啓示のようにきっぱりとした重みがあって、もうそれが降りてきたら、わたしは実行するしかないのである。食材がなければ買いに行くし、多少時間がかかっても調理する。

先日、それがまた降りてきた。その日の「アレ」は、手巻き寿司だった。

なんにも特別な日ではない。これを機に、お祝いすることがないかと無理やり考えてみたけれど、一つも思いつかなかった。なんなら、週末でもない、普通の火曜日である。

なぜなら、お寿司をたらふく食べたいから。

いつもは自分本位な動機に突き動かされているわたしだけど、今回はちょっと違った。それだけではなかった。

夕飯のメニューの話題になると、すぐに寿司、寿司と騒ぐ子どもたちに、お腹いっぱいお寿司を食べさせてやりたい。

それから、健康に注意して、最近お肉を食べ控えている夫にも、気兼ねなく食事を楽しんでほしい。お寿司ならセーブせずに食べられるだろうから。

今回の啓示は、謎の使命感に包まれていたのである。

わたしはすぐに財布と車のキーを握りしめ、刺身の充実しているアジア系スーパーへ向かった。我が家から車で25分の道のりである。普段は、月に1回くらいしかいかない。わざわざ感はマックスである。

サーモンのブロックと、鯛など白身魚3種の刺身盛り合わせを買ってきた。それから、お米を昆布で炊き、寿司飯を作った。副菜には、お味噌汁と茶碗蒸しを。

きゅうりやネギ、海苔など、細かいものも準備したら、テーブルがいっぱいになった。

これはみんな喜ぶぞ。ほくそ笑みが漏れる。

写真を撮り忘れたので借りてきました
(いつも肝心なところで写真がない)

呼ばれて食卓に集まってきた夫と子どもたちが、一様にわあ!と感嘆の声をあげる。

寿司好き筆頭の息子が、「ママ、ありがとう!」といって抱きついてきた。娘も、「イエーイ!」と腕を上げたまま、体をくねらせている。「これは美味しそうだ」と夫も嬉しそうだ。

そうでしょう、そうでしょう。さあ、遠慮なく食べなさい。

子どもたちは、いつもは、おしゃべりしたり、ほかのことに気を取られたりして、なかなか食事が進まないのに、この日はいつもの倍速で平らげていく。

その様子をしたり顔で眺めながら、わたしはここぞとばかりに語りかけた。

「おうちでお寿司が食べられるなんて、ママが日本人でほんっとに良かったね」

この問いに疑いの余地などカケラもない。

満場一致で賛同を得た。


読んでくださってありがとうございます。

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