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映画評:『恋愛小説家』~優しい気持ちになる映画~

潔癖家で毒舌の変人小説家が、なじみのウェイトレスや隣人との交流を通して人並みの愛を知るまでを描いたラヴ・ロマンス。主演のジャック・ニコルソン(「ブラッド&ワイン」など)、ヘレン・ハント(「ツイスター」)がそれぞれ97年度(第70回)アカデミー賞で最優秀主演男優賞・同女優賞を受賞したことでも話題に。

「ジャック・ニコルソンが主演のラブストーリー?」と最初は懐疑的だった。渋さは申し分ないが、恋って感じの顔ではない。いや、顔で人を判断してはいけないが、ラブストーリーなんだから、観る側はそれなりに夢を見たい。

それが、意外にイイのだ。いや、それどころか、この映画を何度か観るうちに、ジャック・ニコルソン以外にこの役にハマる人はいないのではないかとすら思えてくる。

ジャック・ニコルソン演じるメルヴィンは、売れっ子の恋愛小説家。だが、実生活では、潔癖症で毒舌の、人付き合いがものすごく下手な人。潔癖なのは、強迫性障害によるもので、家の鍵や電気のスイッチは毎回決まって5回ずつ確認し、洗面台の棚にびっしりと詰まった石鹸を一度使ったら躊躇なくゴミ箱へ捨てる、といった調子だ。

このようにラブロマンスとは縁遠い、不器用に生きているメルヴィンが、レストランでウェイトレスをしているキャロル(ヘレン・ハント)に惹かれ、度重なる失敗を繰り返しながらも、恋をすることで少し新しい自分になっていく物語である。

この映画の魅力の一つは、脚本が良いこと。メルヴィンを恋愛小説家と設定しているだけあって、彼のセリフにはロマンティックな名言がある。私が何度観てもうっとりしてしまう場面を紹介したい。映画の中盤、メルヴィンとキャロルがレストランで食事をしようとしているシーン。メルヴィンの失言により席を立とうとするキャロルを引き留めるため、メルヴィンが「頼むから聞いてくれ」と言って口説き文句を述べる。

Melvin Udall: …My doctor, a shrink that I used to go to all the time, he says that in fifty or sixty percent of the cases, a pill really helps. I *hate* pills, very dangerous thing, pills. Hate. I'm using the word "hate" here, about pills. Hate. My compliment is, that night when you came over and told me that you would never... all right, well, you were there, you know what you said. Well, my compliment to you is, the next morning, I started taking the pills.
Carol Connelly: I don't quite get how that's a compliment for me.
Melvin Udall: You make me want to be a better man.

薬が大嫌いで、医者に言われても決して薬を飲まなかったメルヴィンが、キャロルに「あなたと寝ることは絶対にない」ときっぱりと宣告された日の翌朝、薬を飲み始めたのだという。それのどこが口説き文句なのかわからないというキャロル。メルヴィンは、一呼吸置き、揺るぎない確信をもって答える。「君がいるから、僕はもっとましな男になりたいって思うんだ。」

映画を観たらわかると思うが、薬を飲むということは、多くの人にとっては何てことないことかもしれないが、メルヴィンにとっては重大なことなのである。

この言葉を聞いたキャロルは、一瞬言葉を失う。それから、乾いた土に水が染み込むように、彼女の心をじわじわと満たしていく。ヘレン・ハントは、キャロルの心が揺さぶられるこの場面を、非常にうまく表現していると思う。そして、口説き文句が功を奏したことを知ったメルヴィンは、「ああ良かった」と胸を撫で下ろしながら喜ぶ。普段は偏屈者なのに、キャロルの前では屈託ない笑顔を見せるメルヴィンが、可愛らしく見えてくる場面でもある。

"You make me want to be a better man."というセリフは、manの部分を別の単語に置き換えれば、応用して実際に使えると思う。”I love you”よりもぐっとくるかもしれない。ちなみに私は、夫の誕生日に、"You make me want to be a better wife."と書いたメッセージカードをプレゼントに添えて贈った。夫は、「あの映画がよっぽど気に入ったんだね。」と言っていた。

この映画の好きなシーンはたくさんあるのだが、もう一つだけ紹介したい。

メルヴィンは、何度目かの失言で、キャロルに愛想を尽かされてしまう。おろおろするメルヴィンだが、隣人のサイモンに勇気づけられ、キャロルに想いを伝えて関係を修復するため、夜中に会いに行くことを決意する。

キャロルの前で、会いに来た理由を話し始めるメルヴィン。「君のアパートの外の縁石に立っていると落ち着くんだ。」ところが、強迫性障害ゆえか、「縁石に立っているよりもアパートの階段に座っている方がいいな。側溝に足を踏み外してしまったら嫌だから。」と妙なこだわりに話が逸れる。キャロルはメルヴィンの話を遮り、感情を爆発させて大声で叫ぶ。「どうして私には普通のボーイフレンドができないの!」

二人のやりとりをドアの陰で心配そうに聞いていたキャロルの母親が、キャロルに負けないボリュームで、すかさずこう答える。「そんな人なんていないのよ!」

このお母さん、映画の合間合間で実に良い味を出している。少しおっちょこちょいな人だが、子を想い、心を砕き、励まし、そっと背中を押す心優しい母親であることが伝わってくる。

「そんな人なんていない」というこの発言の真意は、諦めて現実を見ろ、というネガティブな意味のようにも聞こえるが、私は違うと思う。空想した誰でもない誰かを求め続けるのではなく、目の前に現実に存在する人をよく見なさい、と諭しているのだと思う。

ここで映画の原題が頭に浮かぶ。”As Good As It Gets”。ピタリと訳すのが難しいが、「これがいま得られる最善である」といった意味で、少し諦めを含んだような、否定的な意味合いで使われることが多い慣用句である。辞書によると、転じて「これ以上なく素晴らしい」という意味もあるようだが、ネイティブは否定的な意味で理解するのが通常である。

このタイトルには、「ああ、人生こんなものか」という諦めではなくて、一瞬そのように感じさせつつも、目の前にいる人が現実の世界で最善の存在であることに気付かせる狙いがあるように思う。「いま得られる最善」をネガティブにではなく、ポジティブに捉えるという視点だ。実際、映画を観終わった後、心に残った余韻は決して否定的なものではなく、「人生捨てたものじゃないな」という温かいものだった。

最後に余談だけれど、私の母も、キャロルのお母さんに負けず、ズバリと的確なアドバイスをしてくれたことがある。夫に出会う前、当時付き合っていた人からプロポーズされた時のこと。嬉しくはあったが、心に引っ掛かりがあった。歳も歳だし、この辺りで決めないと次のチャンスはないかもしれない、と迷っていた。電話口で、母は淀みなくこう言った。

「もう二度とチャンスがないなんて、人生そんな捨てたものじゃないわよ。焦ると目が曇るから、焦らないでしっかり考えて決めなさい。」

「人生捨てたものじゃない」という母の言葉を信じ、その人からのプロポーズはお断りした。それから間もなくして夫と出会うことになる。この点に関しては、私は一生母に頭が上がらない。

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