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#4 ストイックへの処方箋:非二元論から学んだこと

過剰なポジティブシンキングが私のメンタルヘルスを悪化させた話と、ノンデュアリズムで自分と和解した話。


この手紙は、2022年10月2日に母国語である中国語で書き、このあと日本語に翻訳したものです。

サンサンへ

モロッコから戻ってきてからの2週間、学期が始まる厳しい現実と直面し、2ヶ月前の不安、虚無感、孤独感の海にまた溺れそうになった。ヨガの旅を始めたいと思ってたが、Youtube 動画を見て練習するだけではだめだと思った。

考えた末、200時間のヨガインストラクタートレーニングに参加することにした。ヨガの先生になりたいというわけではないが、ヨガの歴史、アーサナの理論、そして何よりヨガの哲学を知りたくて仕方なかった。

もちろん、オンラインでヨガのレッスン受けることについても長い間躊躇していた。アーサナの指導をしてくれる人が身近にいなくてもいいだろうか?また、4畳以下のプライバシー空間しか持っていないシェアハウスに住んでいる私には、ちゃんとした練習の環境がない。それが私の練習の質に影響を与えるのではないかと心配した。

しかし、内なる声が私に語りかけてきた。「一番必要なことは、今からヨガ練習を生活の一部に取り入れること。時間は待ってくれない。」そこで、私は大学3回生をやりながらヨガインストラクターの資格を取る道を選んだ。

今の私は、すでにヨガインストラクターの資格を取得したが、200時間のヨガの旅の価値は、想定したよりも遥かに大きいと感じている。私の生活を改善し、思考の固定観念から解放してくれた。心の自由の可能性を知らせてくれた。

ヨガの先生になるつもりは全くなかったと思っていたが、今の私はヨガの素晴らしさを共有したいという気持ちを抑えられない。

この手紙では、私がどのようにしてヨガ哲学によって、自分のストイックな積極性の裏にある不健康なメンタリティを認識し、ありのままの自分を受け入れるようになったかについて話したいと思う。

完璧主義者のメンタリティの下

昔から自分に厳しい性格だった。あらゆることに関して完璧を求め、自分の中の最善を出さないと自己嫌悪に陥る。それで、最善を出した上で、物事予定通りに進むときは嬉しくて、思い通りにいかないときはがっかりし、また自分自身を責めてきた。

2年前から、全般型不安症状や睡眠障害がひどくなってきて、生活を改善するために筋トレを始めた。週に4回、1時間くらい本格的な筋トレを続けてきて、筋力が想定した通り順調に増えたけど、健康維持する初心を忘れ、ひたすら筋力の増大を求めてしまった。

ジムが開いてる時間帯が限られているせいで、授業との兼ね合いも難しく、食生活も乱れてしまった。食べ物を5分間で急いで頬張ったことがよくある。友達とも外食しに行けなかった。

結局、自分自身を追い込みすぎて、私の日々は勉強ー筋トレー課題ー睡眠の永久機関になり、リラックスする時間さえなくなってしまった。


筋トレの進捗を管理する日々だった


しかし、筋トレの成果が期待に応えられなかったとき、自己懐疑が生まれた。例えば、先週と同じ重さのデッドリフトができなかった場合や、計算された栄養量を摂取したにもかかわらずまだお腹が空いている場合、自分の体を非難してしまう。体に筋トレの才能がないことを嫌う一方で、動悸や睡眠障害、不安状態がますます厳しくなった。

最初は、これは過剰なトレーニングがもたらした一般的な症状であると考え、自分自身に休憩日を設けた。しかし、あまりにもストイックな思想がすぐに自分を叩きつけるので、休憩日に逆に自己嫌悪な感情に埋もれ心身とも疲れちゃった。最終的には、無理矢理でもジムに行くしかなかった。これが今年8月までの日々だった。

非二元論の探求

ハタヨガの起源に出会ったとき、最初に私を感動させたのは、非二元論(ノンデュアリティ)の哲学だった。サンスクリット語では、「ハ」は太陽、「タ」は月で、ハタは両極を意味する。「ヨガ」は「yoke」から来ており、結合を意味する。したがって、ハタヨガは、対立するものを一つにし、体内の陽と陰のエネルギーのバランスを取る修行である。

西洋哲学の二元論的な視点では、複雑な世界の表象すべてが二極化され、陽と陰、善と悪、成功と失敗、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、積極性と消極性、努力と堕落に簡略化される。私たちは永遠の喜びを追い求め、すべての苦しみから逃れようと努力するが、表象のスペクトルの中で決して理想な極点に到達できないことを知らない。

なぜなら、磁石を切り開いても、それぞれの部分には南北極があるように、人間の欲望は永遠に満たされぬ。相対主義的な視点から見れば、私たちの有限な認知において極点にたどり着いたと思っていることも、さらに長いスペクトルの一部にすぎないことに気づかれてしまう。

だから、「追い求めているものを手に入れられば、私が永遠の幸せを手にいれる」という考え方は幻想に過ぎない。


磁石の比喩


実際に、世間のすべての表象のスペクトルの間で移動し続け、相互に影響を及ぼしながら、移り変わっている。そのため、晴れ日がずっと続かないように、永遠の喜びはあり得ない。

しかし、揺れ動く二元対立の中で、私たちは修行を通じて、磁極の中心に戻り、竜巻のど真ん中にある内なる平和を見つけることができる。それは時間や場所などの外的要因に関係なく、私たちの内なる声にある。

名だたるチベットの大ヨーガ行者、ミラレパの物語が思い出される。彼は以前復讐を通して他人を傷つけたことがあったが、自分の過ちに気づいた後、師マルパの指導の下で修行を始めた。最終的に、彼は尊敬されるヨガの修行者になり、知恵と教えを後世に伝えてきた。

一般的に誤解されがちだが、内なるセンターに戻ることが、感情と判断をコントロールし、自分自身を麻痺させることではない。瞑想は身体を超越した場所に立ち、あたかも自分自身のドキュメンタリーを観ているかのように、来たり去ったり感情の波動を見守り、自分を評価しないこと。

心のバランスを保つ方法

非二元論の哲学を理解することで、自分自身の喜びと悲しみの間で激しく揺れ動く感情のアンバランスさに気づいた。10年以上にわたり、完璧であることを求め、それをポジティブな進歩主義として自己を讃えてきたが、本当は永遠に今の自分に不満を抱いていた。自己嫌悪と自己批判といった負の感情によってマシンのように自分を動かしてきた。

それでも、自分に永遠に満足できないことも重々しく知っていた。いくら努力しても、自分より優れた人が世の中に山ほどいる。そのため、辛くても自分の尻をたたり付けずにはいられなかった。

しかし、ヨガの哲学を知ることで、ネガティブな感情も人間の経験のごく自然な一部であり、それを持っている自分を優しく受け入れる大切さを知った。

また、将来の幸福を追い求めるために、今の気持ちを蔑ろにしない大事さも知った。ハタヨガの哲学が、私のアンバランスなメンタリティの均衡を取り戻す道標を示してくれた。

未来のサンサンは、練習を通して少しでも平穏な生活を過ごせるようになったのか?それともまた自分を追い詰めているのか?

返信を楽しみにしている。

Sunshine

2022年10月2日


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