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町を捨てよ、書へ出よう。 上

人間、生きていれば様々な苦しみを感じる。そのなかでも特に大きな苦しみは、往々にして、その原因を解消することが不可能か、もしくは、非常に難しい苦しみである。

例えば、母親を失う苦しみが大きいのは、母の死という事実を自分では変えることができないからである。もし自分の頑張りしだいで母親が生き返るのならば、それほど苦しくはないはずだ。

解決したくてもできないときに、苦しみは大きくなるのである。

では、そんな苦しみにどう立ち向かえば良いのか。

最も良い方法は、身近に理解者を生み出すことだ。自分のことをよく分かってくれそうな、信頼のおける人に相談するのだ。親、兄弟、親友、恋人、先輩。そういった人に自分の状況を説明し、苦しみを分かってもらう。

過去に自分と同じような体験をした人がいれば、高確率で理解者だと見なすことができるだろう。

母を失う悲しみは、同じく母を失った人に話すと、分かってもらえたと感じることができる。

これができれば、苦しいのは自分だけではないと思うことができる。今後もその人に相談ができると思うと、それだけで心が軽くなる。孤独に戦わなくて済むと思うことができ、結果として、苦しみは小さくなる。

しかし、すべての問題においてこのような理解者を身近に見出すことは、容易ではない。

なぜなら、同じような問題を抱えた経験のある人が都合よく身近にいるとは限らないし、そもそも、相談できるような相手の絶多数が少ない人もたくさんいる。

こういった状況では、身近に理解者を探すことは非常に困難になる。

運悪く孤独になってしまっている人にとっては、大きな問題は大きな問題として残り続けてしまいやすいのだ。

いや、この言い方は正しくないかもしれない。

もしかすると、大きな問題の究極的な原因とは、孤独なのかもしれない。

孤独のせいで問題を小さくすることができていないのだから、孤独は、間接的に問題を大きくしていると言うこともできるからだ。

だとするとこれはやっかいなことである。

大きな問題を小さくするためには理解者が必要だ。しかし、その大きな問題の正体が孤独、すなわち理解者を見いだせないということであるなら、八方塞がりになってしまう。

(大きな問題を解決したい→理解者が欲しい→そもそも理解者が見いだせないので問題が大きくなっている→八方塞がり)

そう、理解者がいれば問題が解決する、といくら理屈では分かっていても、その理解者を身近に見つけられないから苦しんでいるのである。

ではどうするか。答えは簡単である。”身近に見いださなければいい”のだ。

つづく。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!