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絶望を持って退屈を制す。

退屈な日常においては絶望もまた一つの刺激となり、前へと進む活力となる。
日々同じことを繰り返し、感情の起伏の無いままに過ごしている期間がある。その日常はなんとなく過ごせてしまいはするのだが、現状を変えるエネルギーが湧いてくるということはなく、結果として、何の変哲も無い日々が継続される。
もしそこに、一片の絶望が舞い降りてくるとどうだろうか。動悸が早くなり、冷や汗をかき、さあどうしたものかと頭は悩みはじめる。
それは絶望であるゆえに一刻も早く回避したい状態であり、自然と(脳を含む)身体は解決の糸口を見つけようともがくのである。
もがきとは、一種の活力である。自分自身を、ときには周りの環境をも、これまでとは違ったステータスへと移行させるためのエネルギーである。
もがいている間は苦しみを味わうことになる。そしてその苦しみがあらたなもがきを生み、そのもがきがさらなる苦しみを生む。
苦しみともがきのループの中というのは決して居心地のいい場所では無い。しかしながら、同時にそこは大きなエネルギーが渦巻く場所でもある。
自分が無為に日々を過ごしていると感じるとき、退屈から逃れるために快楽へと向かおうとするとき、少し立ち止まって考えてみてほしい。
そこに足りないものは白馬に乗った王子様でもなければ、アルコールによる一時的な高揚感でも無いのではないか。
それは、もしかするとちょっとばかしの絶望なのではないのだろうか。


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