映画レビュー『マクルー・ハーン』

 マーシャル・マクルーハンの学術書『グーテンベルクの銀河系』に着想を得たアニメーション映画『マクルー・ハーン』を都内ミニシアターにて鑑賞してきた。あらすじはこうだ。

 ペルシアに位置するメディア王国は古代から繁栄をほこっていた。乳香薫る河が流れ、肥沃な土地に住う民草の気質は穏やかで礼節を知っていた。そんな平和で豊かなメディア王国に目をつけたのが荒涼たる平原を風よりも早く渡る騎馬民族の長であるマクルー・ハーンであった。

 駿馬に跨った獰猛な戦士たちが地平線を埋めてやってくる。だがメディアの人々はうろたえることがなかった。建国の英雄グーテンベルクが書き遺した、外国からの侵略への対処術があったのである。

 国の危機にはまずこれを用いよとグーテンベルクが言い残した活版印刷機の封印が解かれた。すると印刷機はすさまじい音を立てながら1分に100枚もの紙に兵隊の絵を印刷し始めた。印刷が終わるやいなや、絵の兵隊たちはふわりと立ち上がってマクルー・ハーン率いる戦士達に勇敢に立ち向かってゆく。活字人間の「軍団」(レギオン)が形成される。

 マクルー・ハーン旗下の戦士は獰猛な百戦錬磨のつわもの揃い。紙の兵隊はそれに比べると非力であったが、次から次へと湧いて出てくるので、いくら戦士たちが切りたおしてもキリがない。こうして戦いは百年もの間続いた。

 しかしメディア王国は豊富な森林資源のほとんど全てを、兵隊を絶えず印刷し続けるためのコピー用紙を生産するために費やしてしまった。そして紙の兵隊の生産ペースの低下から攻勢が弱まり、それまで考える暇も与えずに自らに襲いかかってくる無尽蔵のメディアの兵隊たちを切り捨てることに精一杯だったマクルー・ハーンは、切り捨てた敵兵の体をようやく顧みる暇を得て、その体が紙でできていることに気が付いた。

 マクルー・ハーンは、火矢を用いてメディア国中に火を付けた。森や街は燃え、もちろん紙の兵隊たちも皆燃え尽きた。この時、メディアはホットであった。

 メディア王国の国運も尽きたか、と思われたとき、グーテンベルクの2つ目の遺言が実行された。電波を用いて国中に神出鬼没の、霊鬼の類ともいうべき兵隊を出現させたのである。
 電波が届くところであれば、いついかなる時どこにでもこの兵隊は現れる。夜半の、戦士たちが眠るゲルの寝台のそばにでも。いくら勇猛な男たちでも寝首をかかれては仕方がない。どんどんマクルー・ハーンの兵士は減っていき、対処のしようもない。
 これではメディア王国を攻め落とすよりも先に我らが全滅する、いよいよ撤退せねばなるまい、と一同が断念したとき、マクルー・ハーンはシャーマンに命じて遠くシベリアから風の神を呼んだ。
 風の神は、シベリアの風を凍てさせる源であるところの大量の液体窒素をメディアへと輸送した。かつて温暖な楽園であったメディアは絶対零度に置かれた。メディアの兵隊も、ハーンの戦士も、ものごとを形づくる源の原子およそすべてが動きを止め、ただ絶体の静寂の世界でマクルー・ハーンだけが意識を持っていた。

 飛び交う電磁波の中からメディアの電波戦士を見つけ出すとハーンは一つ一つこれをシラミやノミのように潰し、とうとう電磁波に乗って神出鬼没にあらわれるメディアの戦士は全滅した。この時、メディアはクールであった。

 いよいよ最後に遺されたグーテンベルクの遺言が実行された。それはメディアの国民たちを二進数に分解し、宇宙空間へ転送しメディアという国を地球上から亡命させてしまうということである。この時、国民はこの方法しか残されていないということを悟ったが、二進数という無機質な記号に分解されることを拒んだ。
 そしてその代わりに一人一人が自ら選んだ古今東西の詩篇に自己を象徴させ、その詩行を宇宙へ転送することを選んだ。コピー機能も併せ持つ超高性能スキャナーが、国民が長年愛読し紙魚や黄ばみのついた紙面上の詩と一体化した国民を、一人一人データ化し、宇宙へと送り出してゆく。
 
 国民最後の一人の転送が完了し、国全体を亡命させるこの大胆な計画が成功すると思われたその瞬間、コピー室にマクルー・ハーンが飛び込んできた。そして自らも宇宙へと行くべくスキャナーへと自ら飛び込んだ。
 しかし武勇並ぶものなく智略は神にも劣らぬマクルー・ハーン、この時はさすがに焦ってしまった。スキャナーではなくコピー機に飛び込んでしまったのだ。
 マクルー・ハーンの手下は、戦場にあっては獰猛な闘士であるが、そもそも日頃は羊を飼い笛を吹いて暮らすのどかな民である。だから当時の文明のオーパーツともいうべきコピー機の使い方が分からぬ。

 コピー機は止まらない。マクルー・ハーンは無限増殖していく。いつしか、首領たるハーンの数がその臣下の武将の数を超え、次は率いる兵卒の数を超え、やがては自らの領土の中にいる羊の数をも超えていく。
 地球上のエネルギーは有限であるから、とどまるところをしらず増殖していくマクルー・ハーンによりエネルギーは奪われてゆき、生命たるものは死に絶えていった。
 そして、地球はいつしかマクルー・ハーン単体が、しかし夥しい数のマクルー・ハーンが暮らすだけの星となって、一つの天体に天文学的数字を格納するに至った。今も、そうである。

 一方、近頃では詩神ムーサイは銀河鉄道に乗って、かつて自らが風に乗せ、古今東西の詩人へ吹き込んだ霊感が実らせた詩華を味わうことを楽しみとしている。メディアは、グーテンベルクの遺言によって一つの銀河系となった。


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