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【GENT'S STYLE】ジェームズ・ボンドは何を愛したか。酒にまつわる考察、マティーニとウイスキー編

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いよいよ10月1日に第25作目となる007最新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』が公開される。第1作の『ドクター・ノオ』(1962年)が封切られてから、約60年近い歳月が流れているが、イアン・フレミングが創造した架空の英国諜報部MI6のエージェント、コード番号007は未だに世界のヒーローの代名詞となっている。
 
 なぜこれだけの長期間に渡り、映画『007』は継続して製作され、ジェームズ・ボンドという架空の偶像に人気があるのか。『007』シリーズの原作者イアン・フレミングのバックグラウンドにその秘密がある。

 『007』シリーズの原作者イアン・フレミングにとってジェームズ・ボンドは自身の分身だった。(当時の)理想のプレイボーイ像であるジェームズ・ボンドを、最高の教育を受け、強靭な体力と精神を併せ持ち、どんな緊急事態にも知性とユーモアを忘れない、究極の英国紳士として英国情報部諜報部員ジェームズ・ボンドを描いた。
 映画にも一貫してこの哲学は継承されている。

 車、スーツ、食、恋愛遍歴に至るまで、世界の最高峰を知る男の選択肢は細部に至るまでフレミングにより緻密に作り込まれていた。
 この荒唐無稽なドラマに夢のあるリアリティを与えることができたのは、フレミングの恵まれた出自と過去の数奇な経験によるものに他ならない。
 

 1908年、イアン・ランカスター・フレミングはロンドンのメイフェアに上流階級の政治家の息子として生まれた。名門ボーディングスクール、イートン校を中退させられ、チャーチル等を輩出している陸軍士官学校(サンドハースト)へ入学。卒業後はソビエト連邦時代のモスクワでロイター通信の支局長を務め、1939年から英国海軍情報(NID)に勤務。第二次大戦中は諜報員として「ゴールデンアイ作戦」等を指揮した。

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