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見えない階層と偏見

僕は、この世界には目には見えない階層が何層も何層もあるように思う。
きっとみんな知らないだけなんだ。



僕の父親は自営業だ。音楽関係の仕事をしている。
ありがたいことに、今では大学にも行かせてもらっているし
衣食住に困る事はない。
父に、そしてそれを支える母にとても感謝している。

でも昔はそうではなかった。
父は自身の仕事をよく水商売だと僕にいうことがあった。
調子のいい時は稼げるしそうでないときは稼ぎが減る。

きっといつも不安と戦う毎日だったのだろう。
本当に父には頭が上がらない。

実際に僕が中学2年生から高校1年生の間、家庭の経済状況が少し
厳しかったことを覚えている。
一度ガスと電気が止まった時は肝を冷やした。

父は仕事に明け暮れるが、なかなか会社の人との関係がうまくいっていなかったらしい。
もともと契約社員だった父は、社員にならないかと人事の方に相談を持ちかけられたそうだ。
しかし条件は今の月給の半分という、なかなか厳しいものだった。その頃、父はすでに3人の息子と母親を支えなければならない状況だった。
当然提案された給与ではやっていけない。
きっとこういった話はウチの家庭に限った話ではないだろう。
それぞれの家庭がそれぞれの問題を抱えている。
だからこそ家族を支えるとは本当に素晴らしいことで、そしてとても過酷なのだ。

気持ちに余裕のなかった父はいつも不機嫌な感じで家に帰ってきていた。
もう僕はいつもこの空気に耐えることにくたびれていて、早く家から出て
一人暮らしをしてやると密かに決めていた。よく当たられていたのは、僕と母親だった。父の好きなテレビを見て、父がリビングで寝ている時は気を使って自分の部屋にこもっていることが多かった。

勉強と宿題と学校生活のことは非常に厳しく言われた。僕は若かったこともあり、攻撃的な父親に対して憤りを感じざるを得なかった。

僕の通っていた中学校はいわゆるマンモス学校と言われていて、生徒の数はとても多くそれでいて多種多様だった。不良の質がやたら悪い意味で高いとも有名で、そういった人間がたくさんいた。僕は家庭の事情が悪化するにつれ、彼らとの関わりが増えていった。

未成年での喫煙や飲酒。
自転車を変な形に改造して変なぬいぐるみと小さなスピーカーを
自転車に付けて地元の公園を意味もなく往復した。
慣れないタバコの煙は友達に馬鹿にされないように、しっかりと肺の奥まで吸い込めるようになっていた。
正直僕は喧嘩は嫌いだった。その頃は体つきも他の人と比べて良くなかった。背も高くなく。
割と女々しいと周りから言われることが多かった。でも彼らと一緒にいることがなぜか落ち着くから一生懸命に馴染んだ。

タイマンだったり先輩からの呼び出しを受けて殴られたり、実際やっていたことは目立ちたがりのすることの真似事で、僕の立ち位置はその階層の中でもそれほど位の高いものではなかった。

馬鹿だったし今思えば何のためにやっていたのかもわからない。
でもひたすらに一生懸命だった。きっと僕だけじゃない。

みんな一生懸命だった。自分の気持ちを存在を。認めて欲しかった。

きっとそう。


僕は今でも彼らとつながることができている。
最近はあまり会わなくなったけど、今でも気兼ねなく会いたいと思っている。
それぞれの未来がある。半分がフリーターで半分が会社員として働いている。
別に誰が偉いとかじゃない。僕は彼ら全員を尊敬しているし、面白いやつらだから大好きだ。
僕を含め、僕の親友もまだ学生で台湾に留学をしている。あいつも今は頑張っているのだろう。


今の大学に入って、これまで付き合ったこともないような人と関わるようになった。
初めて友達になった彼は、父親がランボルギーニに乗っていて母親がマセラッティに乗っているそうだ。
そんな彼は毎月家賃光熱費以外に毎月10万程度お小遣いをもらっている。
やはり私立大学に入る学生の家庭は、相応にお金を稼いでいる家庭が多いのだろうか。

他にもそういった人ばかりではないが、やはりある程度の収入があって私立の中学や高校出身の子がいた。
今まで真面目に学校生活を送っていた彼らは、大学生になり、飼い主の首輪が外されたペットのごとく無邪気に自分の思い通りに遊んでいた(もちろん全員ではない)。この言い方は少し批判が生まれそうだが、当時の僕はそう思ってしまった。
僕は彼らと関わることで中学高校で経た生活をもう一周するようなことはしたくないと思った。
(でもこれこそが、僕と大学の初めに出会った人々との見えない階層があった証拠だと思う。)

しかし四年間ここで生活していくには、彼らと馴染まなければ淘汰されていく。
コミュニティとはそういうものだ。馴染めなければ死だ。
かろうじて、少ない友達を見つけて僕は何とか最初の大学の2年間を乗り切った。
今思えば、たくさん友達を作っておけばよかったと後悔している。

なぜなら数少ない友達の彼らとの話はとても楽しかった。彼ら一人一人に違う世界があった。
違う世界で生きていた。特に大学3年のゼミが始まって僕は学生生活が一気に楽しくなった。
ゼミの先生がいちばんのきっかけだったが周りのゼミの学生がみんな優しくてリスペクトできて本当にいいやつらだった。中高の頃の自分だったらきっと彼らにはついていけていなかっただろう。
使う言葉も少し上品な二字熟語だったり、四字熟語や比喩を使ったり、そんなところですら僕は刺激的だった。

そんな学生生活を経て、僕は1つ思ったことがある。
見えない階層はきっとたくさんの人の学びのチャンスを奪ってしまっているのではないかと。
僕は大学生活でたくさんのことを学んだし、きっと頭も良くなった。周りのみんなのおかげだ。
でも同時に僕は仲間を思いやる気持ちや義理人情のようなものを中高の友達から学んだ。
どちらもとても貴重な貴重な財産だし僕だけのスキルだ。

ここまで書いてきたものを読んでくれた人には
僕にとってかれらはかけがえのない存在であることは言うまでもない。
みんなありがとう。

でも1つだけ、僕はまだ変えたいものがある。

それは偏見だ。見えない階層によって生み出された偏見。

度々大学生活を送っていく上で、学歴が低かったり高卒だからどうこうという友達を見かける。

他方で、中高の友達の中でも今の大学に入って僕や僕の周りを含めお高くとまっていると揶揄してくる友達もいる。少し板挟みのような状況になって辛かった時期もあった。

もちろんそれぞれの考え方や価値観が前提にある発言であることは、

僕もわかっている。

でも僕は思うことがある。みんな単純に知らない、お互いを知らないだけなんだっていうことを。
きっと知らない者は恐いし、何を考えているかわからない人だと拒絶してしまうのだろう。
これまでに全く違う背景を持った人と関わることで嫌な体験もしてきたのかもしれない。

僕は今偉そうなことを言ったかもしれない。

正直僕もこわいよ。見えない階層を超えていくのは。
でも一度超えたことで僕は思った。結局関わることでしかその人自身のことなんて全くわからない。

だから、知らないのであれば一度その感情を剥きだすのはこらえてほしい。
その言葉は人を傷つける。決めつけられて心地いい人なんていないと思うから。知らないのであれば知ろう。わからないのであればわからないと言えばいい。

これは僕自身にも言えることだ。

見えない階層は僕らが歪み合うためにあるんじゃない。

もう一歩先にある新しい景色だとそう思えばいい。


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