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便利屋修行1年生 ⒎フラッシュバック 連載恋愛小説

まどかが腰に手を当て、宣言する。
「言っとくけど、就寝定員はふたりだから」
軽キャンピングカーだと、乗車定員と異なることがあるらしい。
底冷えの夜にテントで寝るはめになった男性陣を尻目に、綾とまどかは快適な車内でぬくぬくと過ごした。
翌朝、地面はうっすらと雪に覆われていた。

「さっむ。凍死するかと思った」
「ホレ、ココア入れたげるから、入ってヨシ」
「寒い日だけ家に上げてもらえる飼い犬すか、オレ」
秋葉とまどかのやりとりは、なんだかなごむ。
「ホホ、言い得て妙じゃの」
「だれ目線?」

あくびをかみ殺していた綾は、沢口とふと目が合う。悪夢ばかりみて、ろくに眠れなかったのだ。
探るような冷たい目に、息が止まる。とりつくろう余裕もなくて、露骨に目をそらせてしまった。
洞察力の鋭い男性には、苦手意識がある。

***

急ブレーキの音でよみがえったのは、衝撃音、オイルの匂い、そして血の感触。鮮やかすぎて、完全にトリップした。
「ごめん、どこも打ってない?え…綾ちゃん、顔真っ青」
峠に差しかかったところで、タヌキかなにかが飛び出してきたらしい。
秋葉が責任を感じたのか、車を道路脇に停めてくれた。

口がきけないのを見て、車酔いだと勘違いしたようだ。
大丈夫だと伝えようとしたが、体の反応は正直で胃の中ものを戻してしまった。
車外で背中をさすりながら、まどかが途方に暮れた声を出す。
「どうしよう…どっかで休んだほうがいいよね」
朝イチでべつの仕事が入っているのは、知っていた。

「みなさん、先に…」
「キャンプ場に救護室がある。いったん戻って、おまえらだけ帰れ」
沢口がさっさと所長に電話を入れて、事の次第を伝えていた。

***

「体調悪いなら、来るな」
とげのあるその声は、やはり沢口だ。
綾はすこしだけ眠っていたらしく、頭がぼんやりしていた。
蜂谷はちやも変に入れ込んでるけど、俺からしたら、ただの使えない素人」

傷口に塩を塗るタイプだよなあ。わかってたけど。
「塗るっていうより、グリグリすり込むっていうか…」
「なに?」
簡素な狭い部屋に、時計の音だけが響く。

「あの…ありがとうございました。あとは放置で大丈夫です」
体を起こして、脚を簡易ベッドの脇に下ろす。
お辞儀した拍子にクラッときて、落ちそうになった。

肩を支えてくれたその口から、舌打ちが聞こえる。
「落ちつけ。取って食わないから、おとなしく寝る」
真正面から言って聞かされ、綾は素直にうなずくしかなかった。
逃げたいのに吸い寄せられるような、奇妙な感覚は気のせいだろうか。

***

「そういえば、仕事は…」
「秋葉に任せた。新人が気にすることじゃない」
「でも、ほんとに戻ってもらって…」
「所長命令で、お守り」
平坦なトーンでさえぎられる。これ以上逆らわないほうがよさそうだ。

横になって目を閉じかけたら、思い出したことがあった。
「冬の花火、見れました。ありがとうございました」
役立たずの新人を駆り出す必要は、どこにもなかったはず。
沢口からはなんの反応もなかったけれど、否定もない。
自分にとって都合のいい解釈をしておこうと、綾は決めた。

(つづく)

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