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旅する蝶と詩人の遺伝子 前編
この店に集った人間のうち、いったい何人がウソをつかずに一晩過ごせるだろうか。
もう少し範囲をせばめてみよう。
この宴席の6人の男女のうち、正直者など存在するのだろうか。
「看護師やってます。そちらは?」
「医者です。奇遇ですね」
女は爪が長いし、男は自分の友人で薬剤師だ。
視線が集まったので、柊生はしかたなく決まり文句を投入する。
「無職です。透明じゃなくて、職がないほうの」
波が引くように女性陣の興味が消え去っていくのが、ありありと見てとれる。
いつもながら、壮観だ。
またそれかよ、と自称医者が渋い表情で抗議してくる。
医者の連れは、歯医者あたりがよかったか。
***
詐称女の相方は、高校の生物教師だと妙に具体的なことを言う。
そして、これまた目配せされている。
「よしかさん、引かれるじゃないですかー」
「え…なんで」
ささやいているつもりだろうが、バッチリ聞こえている。
「お堅い教師は人気ないのに」
「はあ…」
ニセ看護師改め林美空は、気合いの入ったいでたちに、アクセサリーを控えめにして抜けを作りました感があった。
一方の生物教師・橘芳佳は、デキる会社員といった風情。
ふたりのようすを見たところ、職場の同僚あたりか。
となると、林もなんらかの学校関係者ということになる。
この教師はなんとなくイヤだな…と柊生は勝手なことを考えた。
***
林がわかりやすくターゲットを定め席を移動したので、橘芳佳としゃべりやすくなった。
「宮城柊生です。よろしく」
えっ、と驚いた顔をしたのはなぜだろう。
「ほんとの職業聞きたい?」
口調を崩すと、橘の目に警戒の色がともった。
「吟遊詩人」
点、点々…とばかりに沈黙が流れる。
我に返ったのか、橘が話を合わせてきた。
「各地を放浪して、歌を作るっていう?」
「そう、それ」
無職の男とは誰も口をききたがらないから、彼女にグッと引きつけられる自覚があった。
話すうち、橘は学生時代、アサギマダラという蝶を研究していたことがわかる。半透明の水色の羽模様が美しい、人気の蝶だ。
「やっぱりご存じなんですね」
なにか変な感じがする。
「宮城さんの歌集、アサギマダラが表紙ですよね。お好きなんですか?」
(後編へつづく)
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*23年8月に公開していた作品です
改題・加筆し、前後編にわけて再掲します
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