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旅する蝶と詩人の遺伝子 後編 

好きなものは、期せずして目に飛びこんでくるものだ。
彼女の場合も書店で偶然手にとったのが、表紙にアサギマダラが舞う宮城柊生しゅうせいの歌集だったという。
一気に脱力した。
「なんで歌人です、って言わないんですか?」
「いや、なんかそれもウソくさいっつーか」
芳佳よしかはふわっと笑う。

あのちいさな体で長距離を旅し、美しい色は幼虫時代に取りこんだ毒の証だなんて、魅力的すぎる蝶についてふたりの語りが熱を帯びる。
処女作で注目されはしたが、エキセントリックな歌風だと歌壇の重鎮に目をつけられ、最近は鳴かず飛ばず。
無気力になって無職を公言していることまで、とりつくろわず暴露してしまう。

「藤袴、見つかるといいですね」
その蝶はキク科の植物とくにフジバカマを求めて、はるばる渡ってくる。
ふわふわと飛翔しながら、その体にものすごい馬力をたたえている。

***

自分にとってのインスピレーションの源がそばにいれば、くさらず創作を続けられる気がする。
芳佳という漢字が、美しく知的な植物を連想させるのは偶然ではないはず。

レアな正直者を発見し、にわかに緊張してくる。
「ミューズになってほしい、とか引く?」
「石けん?…ですか」
ちがう意味で力が抜け、柊生は笑った。

「蝶の研究資料とか、見せてよ」
家に連れていけ、という裏の意味は果たして伝わるだろうか。
橘芳佳の顔色が、さっと変わった。
戸惑ったようすでつばを飲みこみ、声を落とす。
研究などしていないと言いにくそうに告白する姿に、完全に持っていかれた。気を引くためだった、とまでは彼女は言わないが匂いでわかる。

「ほんとは遺伝子学をやってて、それこそ引かれるかなと…」
「じゃあ、どれくらい遺伝子が遠いか、確かめる?」
普通の人ならなんのことやらわからないだろうが、生物教師なら瞬殺だ。
思ったとおり、彼女は耳まで赤くなった。
「直接的ですね…」
「めちゃくちゃ間接的でしょう」
橘芳佳の隠し持った毒は、かわいいものだった。

***

テーブルの下で指を絡めるなどというベタな行動に出たのは、彼女の反応が見たかったから。
期待以上のキョドり具合に、喉が鳴る。
過去の栄光にふんぞり返るオッサンのことは無視して、これからは今を歌に詠みガンガン発信していこうと、すがすがしいほどふっきれた。

彼女によると、林美空みそらは実は国語教師で、宮城柊生のことに気づく可能性があるとのこと。
無職カードは強力だから、ある程度の目くらましは効くはずだが。
「あーじゃあ、5分後に店の前に集合で」

えに 咲きむる たちばなの香の 
かかる恋には いまだ逢はなくに

女神が逃げて帰りませんように。
柊生はガラにもなく、夜空に祈った。

(おわり)

*23年8月に公開していた作品です
改題・加筆し、再掲します

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