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居眠り猫と主治医 ⒛おまじないキス 連載恋愛小説

「お、来た来た。ひさしぶりー」
里佳子とハイタッチを交わしたのは、矢田歩。小鳥会唯一の男子会員だ。
「新作アップしたんで見てください。文乃さんも」

歩のセキセイインコはおしゃべりが達者で、ちまたでは有名鳥だった。
文章がちゃんと成り立っていて、超高速早口。とにかく愛くるしい。
3人でキャッキャしていると、誰かに呼ばれた。

***

「守屋さん、ちょっといいですか」
にっこりよそゆき顔の祐に、文乃は寒気を覚える。
ボートショップの建物の陰に連れていかれたかと思うと、彼はこれでもかと顔を近づけ、その姿勢をキープする。

「な、なに?」
「さっき、この距離だった。矢田と」
動画を観ていたんだから、不自然ではない。
「警戒しろって言ってんの」
「はあ…」
彼氏みたいなことを言うんだなと思ったが、おこがましいので口にしなかった。

***

「そんなことより、どうしよう…!もうすぐ出航だって。ヤバイです」
「うん、ヤバイな」
うわずった声の文乃を、祐は静かに見下ろす。
船酔いに強い人の特徴を調べたら、体幹、平衡感覚、運動神経と、およそ文乃には縁遠いワードが並んでいて絶望した。
絶対行かないと駄々をこねてみたが、敵にことごとくスルーされ、今ここにいる。

ドルフィンツアーにばかり気をとられ、小笠原へたどり着くこと自体が船旅だと失念していた。しかも、所要時間24時間。
消化の良い食事やたっぷりの睡眠など、文乃にとってはハードすぎる対策を講じ、体調を整えた。

横揺れ防止装置はダテではなかったのか、はたまた運が良かっただけなのか。行きは波が穏やかでフェリーの安定感もあってか、なんともなくて肩透かしを食らった。
しかし、本番は不安しかない。
なにせ、船の規模がちがう。ちっぽけな葉っぱのごとく、揺れまくるにちがいない。

***

階段に腰を下ろし、空と海が溶けあう彼方に視線を投げる。
深呼吸すると、潮の香りを強く感じた。
酔うんじゃないか吐くんじゃないか戦々恐々としていると、現実にそうなることがあるらしい。
逆の暗示を自分にかければいいと、祐は教えてくれた。

「今日、守屋文乃は船酔いしないし、イルカに会える。…ハイ、復唱」
あえてゆっくりと、はっきり発音して脳に覚えこませる。
「夏目祐とキスすると、すべてうまくいく」
素直にリピートしそうになって、一時停止する。

「なにそれ。新手の詐欺みたい」
「ハイ、実践」
笑いながら唇を重ねたら、すうっと心が軽くなった。
結果的に船酔いはせずに済んだが、真の功労者は、売れ筋の酔い止め薬だった気がしないでもない。

(つづく)

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