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ポルトガルはどこにあるのか、どんな国か

00.はしがき

このページは、ポルトガルの歴史についてお話しした際のメモ書きとなっています。テーマは、ポルトガルの場所とポルトガルについて知ろうです。素材は、やはりTeach YourselfのPortuguese Language Life & Cultureを使いました。ほとんど翻訳みたいになっているので、反省です。

01.ポルトガルの位置

地球儀を眺めれば、ポルトガルはヨーロッパ大陸の西端にあり、首都リスボンは、北緯38度43分0、西経9度7分59に位置しています。そして、近隣にはスペイン、モロッコ、フランス、あるいはイギリスがあります。ただし、直接、すなわち大陸で国境を接するのはスペインだけです。モロッコは、ジブダルタル海峡を挟んで、対峙していますし、イギリスも海を隔てた先にあります。

 ポルトガル人は古くから自国のこうした地理的位置を強く意識していました。ポルトガルの国民的詩人ルイス・ヴァス・デ・カモンイス(1524年頃―1580年)は、「わがルシタニアはこのヒスパニアにあり、全ヨーロッパの頭の位置を占める。ここに地終わり、海が始まる」と詠んでいます。ルシタニアはポルトガルの古称です。ルシタニアは、古代ローマ帝国が現在のポルトガルの領土をこのように呼んだため、古くから雅号として用いられてきました。

02.ポルトガルの地形と気候

ポルトガルの領土は南北(約500km)に長く、長方形をしています。面積は約9万平方キロメートルで、北海道より一回り大きい程度です(約8万平方キロメートル)。したがって、あまり大きい国とは言えませんが、その国土はイベリア半島だけでなく、大西洋諸島などにも広がっており、その特徴は多様であるといえます。

ポルトガルの地図
Bourrichon - fr:Bourrichon - Own work ; Topographic data from the NASA Shuttle Radar Topography Mission (SRTM3 v.2) (public domain) edited with 3DEM, vectorized with Inkscape ; UTM projection ; WGS84 datum ; shaded relief (image of N-W lightning position) ; Borders, coast, rivers : NGDC GSHHS (Global Self-consistent, Hierarchical, High-resolution Shoreline Database) / World data bank II Bathymetry : NGDC ETOPO1 ; Cities, railways, roads : Demis add-on for World Wind (see the approval e-mail and the Demis forum) ; Note : The shaded relief is a raster image embedded in the SVG file.

とはいえ、ポルトガルの地形は、おおざっぱにいえば、北部と東部(スペイン国境側)に山地が多く、南部に平野が広がるという特徴を持っています。また、ポルトガルの気候は地形同様北から南へと変化しています。北で雨が多く、南へ行くほど乾燥していきます。いわゆる大西洋気候から地中海気候へ移行していくわけです。

もちろん、そうしたイベリア半島の国土に加えて、リスボンから約1000キロメートル離れた大西洋上にあるマデイラ諸島、約1500キロメートル離れたアソーレス諸島など、離島も存在します。それらはかなり温暖な気候で、一年を通じて気温変化が少なく、穏やかです。

なお、このポルトガルの中心となるのが、首都リスボンです。リスボンは英語表記に従った名前ですが、ポルトガル語ではLisboaといいます。リスボンはポルトガルを半分に分ければ、南半分に位置しています。テージョ川の河口にあり、人口は50万人を超える大きな都市です。

ポルトガルの山地(Montanhas)
地形でいえば、ポルトガルの国土は山地が大部分を占めています。その点、日本に似ているかもしれません。山地はスペイン国境からつながり、アルト・アレンテージョ、ベイラ・アルタ、トラス・オズ・モンテス、そしてドウロ川流域に広がっています。こうした内陸にある山地にあって、標高が最も高いのは、1992メートルのエストレラ山脈(serra da estrela)です。

また、山地が特徴的なのはイベリア半島にある国土だけではありません。マデイラやアソーレス諸島など島々も火山島としてしられます。そのうち、アソーレス諸島にあるピコ山はポルトガルでもっとも標高が高く、2351メートルとなります。

ピコ山
Björn Ehrlich (= user Bjoern.Hoernitz) - 投稿者自身による著作物 Pico, von São Jorge gesehen, Azoren

河川(rios)

ポルトガルで重要な河川は、ポルト市を通過するドウロDouro川と、リスボンのテージョTejo川です。両方ともスペインに水源があって、それぞれドゥエロDueroとターホTajoと呼ばれています。ドウロ川とテージョ川は、スペインとポルトガルの国境地帯にある高地から西に向かって流れ、最後に大西洋にそそいでいます。

テージョ川(リスボン)
Galak76 - 投稿者自身による著作物 Lisbon (pt.: Lisboa) panorama view

また、両河川ともポルトガルの商品流通の点でも重要な役割を果たしています。ドウロ川は、ワインの生産で活用されています。テージョ川は、リスボンと周辺の農業地域を結ぶ重要な河川で、船舶のドックや輸送路をつなぐ場所になっています。 

ポルトガル南部では、グアディアナ川も重要な河川として挙げられます。グアディアナ川は、スペインを通って、北から南に流れ、何度か国境を越えるため、密輸の場所になることもありました。スペインとポルトガルはEU加盟国同士にも関わらず、お互いに取り締まりを強化したりしました。とくに、グアディアナ川が北アフリカからの密輸に利用されることを警戒したとも言われます。

ポルトガル北部では、ミーニョ川とリマ川がよく知られています。ミーニョ川はスペイン国境のガリシア地方にあります。リマ川は見事な橋がかけられていることで知られています。

海岸(a costa)

ポルトガルの海岸は大西洋的で、実際に風の流れや気温は大西洋海流の影響を受けていいます。北部の海岸は白いビーチが限りなく広がっていることから、「銀の海岸Costa de Prata」とも呼ばれています。土が含まれず、汚れていないと言われています。

コスタ・デ・プラタ
Vitor Oliveira from Torres Vedras, PORTUGAL - Praia de Paredes da Vitória - Portugal Praia de Paredes da Vitória - Portugal

一方、南部ではアルガルヴェの海岸が有名です。アルガルヴェの海岸は岩がちで、断崖絶壁となっています。その造形が人々の興味を引いているわけですが、近年は侵食の影響が懸念されています。アルガルヴェの海岸は国際的なリゾート地なので、どうやって美しい海岸を守るのか、重要な課題となっているのです。

アルガルヴェの海岸
Francisco Santos (user: Xuaxo) - 投稿者自身による著作物 Burgau beach, Southwest Alentejo and Vicentine Coast Natural Park, Portugal.

もちろん、ポルトガルの海岸がいわゆるビーチ、観光のためだけに利用されているわけではありません。海に面したポルトガルでは、しばしば魚介類が食されます。海岸には漁港などもあり、ポルトガル人の胃袋を満たしてきました。

また、海岸は自然豊かで、近年はそれを守ろうという動きも広がっています。長い海岸線にそって、いくつもの入り江があって、貴重な動植物も存在しています。中でも重要な場所は自然保護区になっています。リスボンにはテージョ川とサド川の自然保護区、アルガルヴェにはアウヴォル、リア・フォルモザ自然保護区があります。

03.各地域(as regiões)

ポルトガルの地域は、一般的に5つに分けられます。それぞれ、ノルテNorte地方、セントロCentro地方、リスボンLisbon e Vale do Tejo地方、アレンテージョAlentejo地方、アルガルヴェAlgarve地方と呼ばれます。

ポルトガルの地域区分
Peter Fitzgerald, Shaundd, Rei-artur, Joan M. Borràs, Voll - Derived from the following sources: File:LocalAgueda.svg, Image:Spain map.svg, File:Portugal NUTS II.svg, various PD USG maps [1], OpenStreetMap.org [2] Wikivoyage style map of Portugal's travel regions and major transportation routes. Travel regions are based on NUTS II. CC BY-SA 4.0 File:Portugal regions travel map EN.png Created: 22 August 2014

こうした区分のほかに、ポルトガルには伝統的な分け方があります。ポルトガル人にどこから来たのかと尋ねると、かれらは生まれたプロヴィンシアprovinciasに言及するといいます。

ポルトガル人は、プロヴィンシアを11ブロックに分けて認識しています。

北から、ミーニョ、トラス・オズ・モンテス・イ・アルト・ドウロ、ドウロ・リトラル、ベイラ・アルタ、ベイラ・バイシャ、エストゥレマドゥーラ、リバテージョ、アルト・アレンテージョ、バイショ・アレンテージョ、アルガルヴェとなります。

プロヴィンシア
User:Gazilion - Adapted from User:Brian Boru, who based on a map created by Jorge Candeias. Antigas Províncias de Portugal CC BY-SA 3.0 File:Provincias Portugal legenda.png Carregamento: 26 de fevereiro de 2008

プロヴィンシアは、それ自体が伝統を持つとされています。また、それぞれのプロヴィンシアの住民にも特徴があるとされ、見た目や、性格、バックグラウンドが異なっていると語られます。ミーニョ人とかアレンテージョ人とか呼ばれます。

こうしたことに、ポルトガルで最もよく知られたノーベル賞作家であるジョゼ・サラマーゴは、「ポルトガル人は定義できない。というのも、それぞれのプロヴィンシアが異なる性格をもっているからだ」とも語っています。

次に簡単に各地方についてみておきます。

ノルテO Norte地方

ノルテ地方は、ミーニョ、ドウロそしてトラス・オズ・モンテなどのプロヴィンシアを含んでいます。

北部
wikipedia: https://pt.wikipedia.org/wiki/Regi%C3%A3o_do_Norte#/media/Ficheiro:LocalRegiaoNorte.svg
CC BY 2.5 File:LocalRegiaoNorte.svg Carregamento: 2 de novembro de 2017

ミーニョは、スペイン北部ガリシア地方と国境を面しています。そのため、ガリシア地方の文化や言語の多くで似た部分があると言われます。ミーニョは、ポルトガル国内では、気候や地形などが厳しい地域で、北ヨーロッパの国々に似ているといわれます。その沿岸部は、緑豊かで、「コスタ・ヴェルデ(緑の海岸)」と呼ばれている。そこで、海外でもよく飲まれている「ヴィーニョ・ヴェルデ」が生産されていることでも有名です。また、豊かな自然があるので、ミーニョにはポルトガルで最も大きな国立公園ペネダ・ジェレスもあります。ちなみに、ミーニョ人は一般的に、伝統を守り、敬虔で、仕事熱心だといわれます。

ミーニョの東側には、トラス・オズ・モンテスの山岳地帯があります。山岳地帯はポルトガルのほかの場所から孤立しています。山がちで、経済的な意味では非常に貧しいのですが、町並みや生活には中世ヨーロッパの雰囲気を残しています。また、トラス・オズ・モンテス人は、非常に自分たちの文化に誇りを持っていて、とくにケルト文化については他の地域よりも強いとされます。

ドウロはノルテ地方の中心的な産業地帯をもっています。ドウロ川(源流から海まで917キロメートル)がスペインから流れ、この地域から大西洋にそそいでいます。

そのドウロ川の河口に中心都市の、ポルトO Portoとビラ・ノバ・デ・ガイアVila Nova de Gaiaがあります。ポルト市はポルトガル第二都市で、周辺には130万人が住み、とくに商業活動に関わっています。ワイン産業だけでなく、陶器や綿製品、イワシの缶詰の製造、そして農場経営などさまざまな産業が集まっています。また、ドウロから南に広がる海岸には、余暇を楽しむポルトガル人に人気だと言われます。

セントロO Centro地方
セントロ地方は、三つのベイラBeiraを含んでいます。ベイラ・アルタBeira Alta、ベイラ・バイシャBeira Baixa、ベイラ・リトラルBeira Litoralです。ベイラとはハシとか、川辺を意味しています。

セントロ地方
CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=497610

ベイラ・リトラルは歴史的な意味で重要です。というのも、コインブラCoimbra市があるからです。コインブラはイギリスでいえば、オックスフォードやケンブリッジにあたる大学町です。人口は15万人程度ですが、ポルトガルでは大都市に分類されます(リスボンやポルトでも100万人を超える程度なのです)。

コインブラの象徴である、コインブラ大学は世界的にも有名です。コインブラ大学は13世紀にはじまったといわれ、ヨーロッパでも古い大学のひとつに数えられています。また、コインブラ大学の学生は、伝統的に黒いフードコートを身にまとうことや、伝統歌謡ファドの歌い手であることで知られています。

セントロの内陸にはポルトガルでも伝統的な村があります。ポルトガルでもっともポルトガルらしい村といわれるのが、モンサントMonsantoです。モンサントでは、家屋が花崗岩からできています。ちなみに、ポルトガル本土で最も高いエストレラ山脈はこの地域にあります。エストレラ山脈を境にベイラ・アウタをベイラ・バイシャから分けています

リスボン地方
リスボン地方は、ローマ帝国の支配の端にあるという意味のエストゥレマドゥーラと、テージョ川の川ぞいを意味するリバテージョの一部で構成されます。

リスボン地方
CC BY 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=497613

エストレマドゥーラの中心にあるリスボンは、首都と周辺地域を含め、二百万人が暮らしています。リスボンはポルトガル随一のビジネスの場で、近年ではシーメンスなどの海外の会社の本社も置かれるようになってきています。もちろん、夜の盛り場としても有名で、流行の発信地でもあります。

リスボン地方はまた、オビドスやシントラなどの歴史の残る街、カスカイスやエストリルなどのリゾート地なども含んでいます。たとえば、エストリルは、かつてヨーロッパ貴族の避暑地で、世界大戦や冷戦中にはスパイが暗躍した場所だったと言われます。映画「007」のジェームズ・ボンドのキャラクターも、『カジノロワイヤル』の著者イアン・フレミングがエストリルのカジノで見かけたスパイを参考にしたと考えられています[i]。

こうしたリゾートをこえて、西に行けば、ちょうどロカ岬Cabo de Rocaがあります。ユーラシア大陸の最西端になります。また、リスボンの東には、リバテージョがテージョ川沿いに伸びています。リバテージョは、非常に豊かな土地で、ポルトガル闘牛のための雄牛が育てられている場所でもあり、あの熱狂的なファンダンゴ[ii]の発祥地としても知られています。

アレンテージョ
アレンテージョには、リバテージョの一部、そしてアルト・アレンテージョとバイショ・アレンテージョが含まれています。アレンテージョは、オリーブ林oliveiraやコークcortiçaのゆるやかに変化する大平野です。この大平野には人はまばらで、人口密度は1㎢あたり20人以下といわれています。ちなみに、リスボン地方では278人、ノルテ地方でも166人といわれます。

アレンテージョ地方
By Rei-artur - Own work, CC BY 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=497607

このため、アレンテージョは農業が盛んで、「ポルトガルの穀倉地帯o Celeiro de Portugal」と言われてきました。また、コーク材についても世界的な需要を持たすほどでもあります。ほかにも、大理石mármoreや赤ワイン、それからタペストリーや敷物(tepetes)などの生産地としても有名です。

とはいえ、アレンテージョは経済的にはあまり豊かとは言えないといいます。土地自体は豊かではなく、そのうえ農業経営も前近代的だったためです。近年、こうした状況がどのように変わってきたのか、調査が必要ですが、2000年前後に出版された概説書などでは、いまだに農業経営に支援が必要だと述べています。

このように土地についてはあまり恵まれていないのですが、アレンテージョ人は極めて勤勉であると言われます。やはり2000年に出版された概説書では、男女ともにしばしば仕事に繰り出すトラックの荷台に乗った姿がみられると書いてあります。

また、アレンテージョ人は陰気だと言われることもあるそうですが、実際には寛容な精神を持ち合わせていると言います。それから、全体的には、共産主義的な考え方に近しい考えを持つ人が多いとも言われ、その影響なのか、ノルテ地方とは対照的に信仰心は薄いと言われます。

アルガルヴェAlgarve
アルガルヴェはポルトガルの最南端にある地域です。そのため、アフリカの影響もよく受けています。アルガルヴェという地名も、北アフリカから攻め込んできたイスラム勢力の付けた地名Al Gharb(西という意味)が語源となっています。

アルガルヴェ
Por Rei-artur - Obra do próprio, CC BY 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=497608

また、8世紀から13世紀にこの地を支配したアラビア人の影響で、南部のポルトガル人はやや浅黒い人が多いと言われます。その影響は、イスラム占領の影響は建築物や灌漑施設など遺跡などだけでなく、柑橘やアーモンドなどの植生、そして地名などにも表れています。

また、アルガルヴェは観光地としてよく知られています。日照時間が長く、美しく安全で清潔なビーチ、見事な風景、交通の便などが人気の理由だと言われています。主要空港のファーロ空港も改修され、大きくなったこともひとつの要因だといいます。

このため、アルガルヴェには、観光施設が多く、細長い沿岸地域を埋め尽くしています。そのため、多くの人々が観光産業に関わっています。ホテルやクリーニングなどサービス業、調理、外国人別荘の管理などの仕事、エンターテインメント、そしてレンタカーなど、さまざまな業種があると言われます。

マデイラとアソーレス諸島Madeira e os Açores
マデイラ諸島は、リゾート地と知られ、とくにイギリスからヴァカンスで訪れる旅行者が多いとされます。春は、島で花々が咲き誇って、見事な景観となります。用水路なども有名で、そこを散策する旅行者もあるということです。それにともなって、エレガントなホテルもあります。

アソーレス諸島は、鷹がこの島の周りを飛び回っていたことで名付けられました[iii]。アソーレスは、自然豊かで、伝統的な生活が残っていると言われます。たとえば、ホエールウオッチングなども有名で、伝統的な鯨漁もツアーに組み込まれています。また、街並みがユネスコの世界遺産となっています。

アソーレス諸島
Par TUBS — Cette carte contient des éléments, éventuellement modifiés, qui ont été extraits de cette carte :, CC BY-SA 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14521975


04.日葡関係

身近なところで、最後に少しだけ日本との関係を述べておきます。

ポルトガルと日本の関係は、1543年に始まったとされます。この年、ポルトガル人が種子島に漂着したといわれています。この事件は、たんにポルトガルと日本の関係だけでなく、ポルトガルがいわゆるヨーロッパ諸国の一つだったため、日本にとって西洋とのはじめての出会いといわれます。

1543年は日本では戦国時代と呼ばれる時代でした。戦国大名がお互いに領土拡張戦争を繰り広げた時代です。ポルトガル人はそうした戦国大名と貿易を始めました。ポルトガル人は南蛮人と呼ばれたので、その交易は「南蛮貿易」と呼ばれます。

南蛮貿易
Attributed to Kano Domi - 不明, Lisbon Museum collection リスボン美術館蔵 作者不詳 南蛮屏風(部分)。南蛮寺が描かれている。黒い船の荷降ろし(ポルトガルのキャラック) パブリック・ドメイン File:Namban-17.jpg 作成: 1593年と1600年の間 date QS:P571,+1500-00-00T00:00:00Z/6,P1319,+1593-00-00T00:00:00Z/9,P1326,+1600-00-00T00:00:00Z/9

南蛮貿易では、ポルトガル人が鉄砲や火薬、そして中国産生糸をもたらし、代わって日本から銀、金、刀剣などを輸出しました。ポルトガルはその利益を利用して、マカオに植民地を維持することができたほか、さまざまな活動の経済基盤となりました。一方で、日本でも、鉄砲や火薬が軍事技術に大きな影響を与えたといわれます。

こうした南蛮貿易を通じた交流はやがて文化的な交流も促進しました。ポルトガルが支援していたキリスト教の布教活動は日本まで及びました。戦国末期、数十万人ものキリスト教徒が日本にいたといわれます。そうしたキリスト教徒のなからから日本人が選ばれ、ヨーロッパに渡りました。いわゆる遣欧少年使節です。伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンらは、長崎からマカオ、ゴアを経て、1584年にリスボンに至りました。リスボンでは、サンロケ教会やジェロニモス修道院などを訪問し、最終的にローマでローマ教皇に謁見しました。

ところが、17世紀になると、日本はポルトガルとの交渉を禁止することになります。豊臣政権も、徳川幕府でも最終的にキリスト教は禁教とされ、日本人の海外渡航、ポルトガル・スペイン船の来航は禁じられました。これによって、公にポルトガルと日本の交渉は断絶しました。

二国間関係が正式に再開されるのは、1860年以降となります。1860年、ポルトガルと江戸幕府は日葡和親条約、日葡修好通商条約が結ばれました。当時、日本事情をポルトガルに伝えたことで知られるヴェンセスラウ・モラエスは領事として神戸に滞在していていました。モラエスはのちに日本に移住し、晩年を徳島で過ごし、1929年に没しました。主要な作品には、『おヨネと小春』、『茶の湯』などがあります。

モラエス
Desconhecido - RC Revista de Cultura do Governo da R.A.E. de Macau - International Edition 49 Retrato de Wenceslau de Moraes em Kobe, 1897 Domínio público File:Wenceslau de Moraes em Kobe, 1897.jpg Criação: 1 de janeiro de 1897

05.おわりに

ポルトガルは、スペインやフランスのようなヨーロッパの大国に比べれば、人口も少なく、国土も小さい国です。しかし、以上で確認してきたように、小さな国土は多様性に富んでいます。ここではわずかに概要に言及した程度ですので、さらに興味をもった方は以下の読書案内などを参考にしながら、ポルトガルという国について学んでみてください。


読書案内

『地球の歩き方 ポルトガル 2018~2019年版』
Sue Tyson-Ward, 2002, Portuguese: Language, Life & Culture, Teach Yourself Books
池上岑夫ほか、2001年、『スペイン・ポルトガルを知る事典』、平凡社Marion Kaplan, 1998, The Portguese: the Land and its People, Penguin Books村上義和・池俊介編著、2001年、『ポルトガルを知るための55章(第二版)』、明石書店
浜岡究、『ポルトガル文化地理学の旅(改訂増補版)』、kindle版


[i] Palácio Estorial ホームページ:https://www.palacioestorilhotel.com/en/hotel/James%20Bond (2019年5月14日閲覧)
[ii] ファンダゴはスペインの民族舞踊。
[iii] Açorは「ハイタカ」という意味。オオタカより小型のタカ。

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