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サモス島~その1~

みなさま、こんにちは。

5月の連休は楽しい時間を過ごされましたか?
わたしはWSET Diplomaの試験に向けて部屋に缶詰状態でした・・・
そんな試験も先週無事終了し、8月の結果を待つのみ。
良い結果でありますように・・・!

さて、今日は去年の夏に訪れたサモス島について。

サモス島は本土から東に約300km離れた、ギリシャで8番目に大きな島(約480㎢)です。人口は約33,000人で、トルコとの間に1.6kmのMycale 海峡が存在します。

地図をみていただくと分かる通り、サモス島はトルコにすごく近い島です。北にはマスティハで有名なヒオス島があります。

クレタ島から直行便がないため、アテネに向かった後、乗り換えてサモス島へ向かいました。

サモス島は古代ギリシャの哲学者でもあり数学者のピタゴラスが生まれた島です。あの「ピタゴラスの定理」のピタゴラスです。
どういう風に生活をしていたら、直角三角形のことを定理を発見するまで考えるのか、凡人の私には理解できませんが、何千年後の人類にも名前が知られているのですから本当にすごいですよね。

ピタゴラスさん
サモス島

ワインでいうとサモス島は有名な甘口マスカットワインの名産地。

マスカットを使ってワインを生産している他の産地は、必ず「Muscat of ~」とラベルにマスカットという文字が記載されるのですが、サモスに関しては、名産地な故に、「Samos」とあるだけでマスカットを意味します。

島の約95%でマスカット種を栽培しており、伝統的な甘口のスタイルから辛口ワインまで生産します。
ただし、「Samos」とワイン名に着けることができるのは甘口だけ。これは法律で定められています。

マスカット種

実は、サモス島は古代からマスカットからワインを生産していたわけではなく、様々な歴史上の出来事によってマスカットの名産地となったのです。

何世紀にも渡ってサモス島は海賊の被害を受け、島の人々は被害を免れるためにヒオス島へ移住しました。
そのため、当時のサモス島は手つかずの荒れた島でした。
数百年後、オスマン帝国がサモス島へ帰還する人々に有利な条件を出し、人々はヒオス島からサモス島へ戻りました。
それらの人々が土地を開拓し、マスカット種を島全土に植えなおしたのです。

その後、島の人々はマスカットから甘口のワインを生産し、それらのワインは多く輸出されました。
他の国に輸出するにあたって、文化や言語の違いなど、様々な問題が発生します。それを解決するために、1934年に協同組合が設立されました。

その協同組合に向かった話は、また次回^^


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