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私の生まれた土地:キミ

人がある土地について持つ連想には様々なかたちがあるものです。ある人々にとっては、その感覚は視覚的なものであり、別の人々にとっては聴覚的なものです。 あるいは人間のことであったり、慣習のことであったりします。私にとっては、それは匂いです。 私がかつて人生の初期に知っていて、愛していた土地に、目隠しをされてパラシュートで落とされたとしたら、私はそこがどこか分かるでしょう! その理由は分かりませんし、その場所がどんな匂いがするのか説明するのは簡単ではないと思いますが、私はある土地を匂いによってそれと分かるのです。

私は、ギリシャで2番目に大きい島であるエヴォイア[Evoia]県のキミという小さな田舎町で生まれました。
私の初期の記憶は、その地域のお祭り用のパンである「エフタジモ[eftazimo]」を焼く匂い、散髪に連れて行かれたヴァリアノスの床屋での安物のアフターシェーブローションの匂いです。 天日干しのイチジクの甘酸っぱい匂い、そしてとりわけトリミスの「リオトゥリヴィ[Liotrivi]」(オリーブ圧搾場)の素晴らしい匂い。 そこで私は何時間も突っ立って、大きな灰色の馬がオリーブをつぶす巨大な石の輪を回しているのを見ていました。 わが人生の初期の頃、出来立てのオリーブオイルで揚げた「チガノプソモ[tiganopsomo]」という厚手のパンケーキのようなパンと、 厚く切った自家製の柔らかい山羊乳のチーズほど美味しいものはありませんでした。

キミはギリシャの首都アテネから車でわずか2時間半ですが、絵画的な風景と完璧に調和した中央エヴォイアの東の端の小さな町です。 地形は複雑で山と海岸の要素が完全に融合しています。 海抜220mのところに立地していますが、海から続くまがりくねった狭い道をわずか4km入ったところにあり、「エーゲ海のバルコニー」と呼ばれていて、すばらしいエーゲ海の風景が楽しめるのです。
私にとって最も忘れがたい経験は、8月の満月を見ていたときのことです。丸い月が燃える血の色のような赤に染まり、美しい金と輝く銀の海から姿を現します。 まるで敵を倒した巨人がその倒れた敵たちの鎧の光の中から頭をつきだしたかのようです。 その両脇には「プラソウダ&リサリ[Prasouda & lithari]」という2つの岩の小島が勝者を讃え、守るようにそびえています。

頑固な性質[たち]のキミの人々は、開発を拒んできました。キミは時間を超越し、進歩には動かされず、訪れるたびに私は自分の幼い頃の記憶を新たにすることができます。ずっと実質的に何も変わっていないからです。キミの守護聖人である聖アサナシオス[Athanasios]教会の聖堂、土地の名物である「バクラバ[baklava]」や「アミグダロタ[amygdalota]」などを売る菓子屋だらけの広場…… 床屋ですら昔と同じ匂いをさせていました。ただ「リオトゥリヴィ」から馬はいなくなり、人々もほとんど見知らぬ人になってはしまいましたが。

キミでの私の生活は、ワクワクすることばかりでした。豊かで美しい田舎は新しい驚きでいっぱいなのです。私は母親と一緒に、あるいは農作業をしているほかの大人たちと一緒にいました。 私は興味津々で生活の移り変わりを眺めていました。ブドウの木が芽を出して、実を結ぶまでを見ていました。 あるいは、我が家の山羊「アラピツァ」の子供が2頭生まれたのを見、それらが最後にはイースターの食卓にのぼるのを見て心を痛めました。

ブドウの収穫期である9月には、延々と続くロバやラバや馬の輸送部隊が、大きなかごにブドウを入れて、それが処理される「パティティリ[patitiri]」という丸い水盤のところに運ぶのを見ていました。 そこではたくさんの若い男女が裸足になって、ブドウを踏みながら踊り、そうしてワインになるブドウ果汁が絞られるのでした。 私は大きなブドウのかごの間に挟まって座り、ロバに乗ってゆくのが好きだったものです 。同様に、オリーブの収穫される冬には、私は得意になって私のオリーブの小さなかごを母に見せに行き、母は骨の折れる仕事で疲れていながらも、微笑んで私の頭をなでて褒めてくれたものでした。 この生活は私の人生の最初の5年間しか続きませんでした。その後、私たち家族はアテネに引っ越したのです……


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