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花のある暮らしに憧れて 1

 花のある生活に憧れる。たとえ一輪でも部屋に花があると、心が華やぎ、あるいは和み、丁寧な暮らしができているような気がしてくるから不思議だ。昔から身近にあった花を、人々はどのように愛で、いけてきたのであろうか。その歴史や楽しみ方について、西洋と日本それぞれの歴史を簡単にみていきたい。

1.西洋の歴史

 まずは西洋の歴史をざっと駆け足でみていきたい。

起源はエジプト

 花が飾られるようになったのは、発掘された遺跡の壁画などから紀元前3000年頃のエジプトやギリシアとされている。この頃は、部屋を装飾するものではなく、宗教的行事や祝祭時、病気治療や魔除けとして使われたようだ。エジプトでは贈り物や装飾品としても用いられていた。

 花を選ぶ際には、たとえばハスの葉はエジプトの豊穣の女神イシスを指すなど、宗教的な意味合いを持たせていたともいわれている。美しくかぐわしい花は、神を喜ばせると信じられてもいた。バラやアネモネ、水仙、ポピーなどの花が使われていたという。やがて死者の復活を祈るために、棺やミイラに巻かれるようになった。

ギリシア時代はリースやガーランド

 ギリシア時代になるとリースやガーランド(花冠や花輪など、花や木の実などをつなげて網状にしたもの)にしていた。リースには永遠や再生の意味が込められ、生きている人間の頭にかぶせたり首にまいたりするようになったという。ガーランドは勝負に勝ったリーダーに与えられたり、恋人同士で交換したりしていた。

 リースもガーランドも、キリスト教の広まりにより「異教」とみなされ、いったんは姿を消す。しかし、中世の終わりごろに認められるようになり復活した。

庶民に広まったローマ時代

 ローマ帝国時代には花は庶民の日常生活に取り入れられるようになり、リースやガーランドなどの装飾品がよく見られるようになった。花びらを床やベッドに撒くこともあったようだ。

 よく用いられた葉は、オーク(柏)、どんぐり、アイビー、ローレル、パセリ、月桂樹(ローレルとは異種)などである。花ではヒヤシンス、バラ、スミレ、スイカズラ、ユリやマリーゴールド、チューリップなどを好んで使っていたとされている。

アレンジメント技術が発展したビザンチン帝国

 ビザンチン帝国(395~1453年)時代には、アレンジメントの技術が高度になる。コーンスタイルと呼ばれる円錐型(アイスクリームのコーン部分を逆さにした形)のタイルが流行った。

 花だけではなく、果実などもアレンジメントに入れるようになったとされている。この頃に好まれて使われた花は、ユリ、デージー、カーネーション、サイプレス(いと杉)などである。

異国の植物を取り入れた中世ヨーロッパ

 「暗黒時代」といわれるヨーロッパ中世には、花を飾る習慣が一時的に衰退したといわれるが、やがて植物を飾る生活が戻ってきた。十字軍の遠征先から兵士たちが見慣れない花や植物を持ち帰ってくる。

 修道院や教会などでは、植物や花を栽培するようになった。花を飾るためというよりも、食用や薬用のためだ。ハーブを薬草として扱ったり、料理に入れたりするようになった。ハーバリストと呼ばれる専門家が活躍するようになったのもこの頃のことである。

フラワーアレンジメントが復活したルネッサンス時代

 1300年以降、イタリアルネッサンスの時代になると、フラワーアレンジメントが人々の生活のなかに完全に復活した。この時代に、様々なアレンジメントスタイルが考案され、貴族の間では、ベネチアガラスや大理石でできた壷や植木鉢などが花の引き立て役としてよく使われたという。

 この頃よく使われたのは、白百合、オールドローズ、なでしこ、ジャスミン、アイリス、フレンチマリーゴールド、パンジー、ローズマリー、矢車菊などである。

ノーズゲイから始まる花束やコサージュ

 イギリスのチューダー朝時代にはノーズゲイが広まりをみせる。これは、nose(花)gay(飾り物)の名前から察する通り、鼻先を楽しませるために香りの良い花やハーブを集めて作ったコサージュや花束を指す。この時代のイギリスではペストが流行っており、その伝染病を防ぐ意味と、不衛生から来る街の悪臭を避けるためといわれている。

 産業革命の頃(1760~1830年頃)になると、ノーズゲイは一般庶民にも浸透していく。また、花を自分で束ねられることが淑女のたしなみとされ、花束をパーティーなど人が集まる場所へ持って行くようになった。パーティーの間、ノーズゲイを置いておくのにガラス瓶を使うようになったという。

花屋の誕生は19世紀

 やがて、1890年代末にはフランス・アールヌーヴォー様式が生まれ、日本美術(ジャポニズム)の影響を受けて新しいスタイルを確立していった。フラワーアレンジメントの世界にもこの影響は及び、線や空間を生かすいけ方などが見られるようになっていったとされている。

 こうして庶民が花に親しむようになり、徐々に花の需要が大きくなってくると、イギリスやフランスで花屋が誕生する。19世紀のことだ。花を売るために、たくさんの花束を作り店先に置くようになった。家に持ち帰り、そのまま飾れるようにアレンジされた花束が広まっていった。

西欧と日本にみる花束の違い

 対して、日本では長らく花は自分で活けるものだった。そのため、店で扱う花束も、自宅でいけ直すことが前提として作られていたようだ。そういわれてみれば、出来合いの花束といえば、以前はせいぜい仏花ぐらい。あとは注文に応じて花束を作ってもらうスタイルだった。

 しかも、活けなおすことが前提になっているからか、そのまま花瓶にさしてもうまく収まらない。ああだ、こうだとやっているうちにおざなりになってしまった、などということはざらだった。そのまま飾れる花束が店先を飾るようになったのは、ここ最近のこと。

 その背景には、やはりいけ方の違い、花の捉え方の違いがあるのかもしれない。この辺りもかねて、次は日本の歴史をざっと見ていきたい。


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