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成長するもの、しないもの

私は、料理が苦手だ。
苦手というよりは、好きではないと言ったほうがよいかもしれない。
レシピを見て作ろうと思えば、きっとそこそこの味にはなると思う。3年間、料理教室にも通ったことがあるし、ケーキもパンも焼いたことだってある。だが、習ったレシピを引き出しから出すことがとにかく億劫なのだ。

学生結婚した私は、友人から聞かれたことがある。
「いつも夕飯に何を作ってあげるの?」
「湯豆腐」
「……それって料理って言える?」
友人は吹き出していた。

料理が好きではない私が子育てを始めると、お弁当作りの苦しみがやってきた。
その中でも運動会は1年に一度の苦行だった。コロナが流行る前の運動会では、お弁当を家族揃って食べることも楽しみの一つだったのだ。当時私は家族5人分のお弁当を作らなければならなかった。
「唐揚げが食べたい! スーパーのではない唐揚げだからね!」
息子は、運動会の度に必ずリクエストをした。朝4時に起き、5人分の唐揚げを作る。主婦なら誰でも簡単にできるようなことだが、私にはものすごく苦痛だった。私が出る運動会種目は「唐揚げ作り」と言えるくらいだ。だから運動会の開会式にはすでに参加が終わり、疲れ果てていた。

そんな私が、息子の幼稚園選びの際に、絶対にこの幼稚園だけはやめようと思った幼稚園がある。理由は、お弁当が週4日もあるからだ。4日間なんて、冗談ではない……だが説明会に行くと、温かな幼稚園の環境に心が揺れた。「温かな教育」と「お弁当作り」を天秤にかける。そして、週4日のお弁当に耐える日々を選んだ。

小さなお弁当箱の中は、広い世界に思えた。毎日、何を作ればいいのだろう? カラフルなカップやかわいいピックを買い、トマトやミートボールに刺しては、見た目を華やかにしてごまかした。値段が高かったから、こっそり冷蔵庫にしまっていたが、ウルトラマンの形をしたノリは、苦しい時の正義の味方だった。
毎日「ごまかし弁当」を作る私だが、少しだけ自信があったメニューがある。「そぼろ弁当」だ。ご飯の上に、黄色い炒り卵と、味付けしたひき肉をのせると、彩りがよく簡単だ。少し脇にスペースを空けて、ブロッコリーやトマトを添えたら、出来上がりでいい。見た目がきれいで簡単なのは最高だ。

年長になったある日の夜、息子が、突然、辛そうに怒りながら泣いた。
「ママがせっかく作ってくれたお弁当を、『ぐちゃぐちゃだね』って言うなんて、ママがかわいそうだ……」
驚いて話を聞くと、私の一番の自信作だった「そぼろ弁当」は、ブロッコリーやトマトのスペースを作ったせいで、持って行く最中に黄色と茶色の部分が綺麗に分かれずにミックスされていたらしい。そぼろ弁当ではなく「ぐちゃぐちゃ弁当」になっていた。幼稚園の友人は、ありのままを見て素直に感想を述べただけだろう。
幼稚園のバスに乗りながら、息子の小さなお弁当箱はバッグの中でどれだけ揺れていたのだろうか?
「いつからぐちゃぐちゃ弁当だったの?」息子に問いかける。
「最初から……」息子は答えた。
3年前からぐちゃぐちゃ弁当に耐えていたようだ。息子よ、優しすぎるではないか……すぐに言ったらよかったのに……心の中で叫びながら、3年間自信たっぷりに持たせていた私自身を後悔した瞬間だった。

料理が好きではない私は、スーパーのお惣菜や冷凍食品にも頼っている。「塾弁当」も上達しないまま、時間だけが過ぎて行った。そして息子も中学生になり、部活の試合でお弁当を持って行くようになった。
「お母さんの愛情たっぷりのお弁当ね!」
引率の先生が息子に語る。すると、息子はすかさず、
「はい〜 今日もレンジでチンするために、愛情たっぷりにレンジのボタンを押してくれました〜」と語り、先生達から笑いをとる。
「やだぁ。そんなこと言わないのよ」
先生はそう語りながらも、息子のお弁当を見て吹き出していたそうだ。

私の作ったお弁当をひどく言われて泣いていた息子は、私のお弁当で笑いをとるようになっている。「10年」という月日は、人を図太くさせる。息子の話を聞いて、恥ずかしさを通り越し、思わず私も一緒になって笑ってしまった。

お弁当作りに関しては、私はちっとも成長していない。だが、私を思って泣いてくれていた息子の笑いのセンスは、かなり成長しているようだ。喜ばしくもあり、複雑な気持ちでもある。そんな息子のために、今日も私は冷凍食品という強い味方と共に、お弁当作りに励んでいる。

そして……今日もキッチンでは、元気にレンジの音が鳴り響いている。

#創作大賞2023 #エッセイ部門