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またやった

夕飯を食べようと、食卓の席に着いた時に、目の前に座る母の湯のみ茶碗が変わっていることに気づいた。

「また割ったね?」
驚きといら立ちを抑えて落ち着いた声で言ったけれど、母には私が呆れていることは伝わっている。

何故って?
その湯呑茶碗は私の手作りだったから。
それに、昨日大事なお皿を割ったばかりだったから。😂


普段から、良くお皿のふちをシンク横にぶつけて、欠けたりヒビが入ったりするお皿を見かけて、私が「またぶつけたの?😲」と聞くと、キレ気味で「かちゃんは忙しかと!そんなゆっくりやってる暇はなかけん、たまにひっかけるとよ!」と返される。

別に責めてる訳じゃないんだけれど、私が食器洗いをやってもぶつけることは今まで一度もなかったので、不思議なのだ。
(他の主婦の方や台所仕事する人もぶつけるもの??)

あそこまで、バタバタ慌ててやることがないから、というのは理解できるけれど、なぜあそこまでバタバタやるのか、だ。
そうすると、あんたみたいに暇じゃないんよ!=手伝えになるので、黙っておく。笑


でも今回のは、明らかに母が原因で、見事にキレイに「パリン!!」と音がして大きく3つに分かれて、ほろりと落ちた。

何をしたかと言うと、中華まんを蒸かすのに、お鍋でお湯を沸かして、その中にお皿を逆さにして置いて、その上に中華まんを乗せて蒸かす、ということをやったのだ。

普段、直径26センチもの蒸し器を使っているのだけれど(大きい中華まんを3個入れるから)、昨日は小さいのを2個だからそれで対応したのだろう。

そこまでは良かったけれど、その後がいけなかった。
中華まんを食べ終わって、まだその熱い鍋に、お皿も入っていたのに水を入れたのだ。

その瞬間に「パリン!」と大きな音を立てて割れた。
見に行ったら、底の丸い部分と周りの輪になった部分とが完全に離れて、周りの輪の部分も2つに割れて、3つに分離していた。

さすがに、母もやってしまったと思ったらしく、
「ごめんなさい」とお皿に謝っていた。

これは、母の愛用していたロイヤルコペンハーゲンの、白い陶器に青でひとつひとつ花柄を手書きで書かれた世界に1つしかない代物だ。


物は使ってこそなんぼだと私も思うので、大事に棚の奥などにしまっておくよりも、毎日使う方が良いとは思う。

でもそんな使い方しなくても、中華まんを蒸す方法は他にもあったのに…。
私は落し蓋兼蒸すときの台にもなる、ステンレス製のもの、合羽橋の問屋さんから買ってきてあるのに…。

きっとそんな使い方をしたことも、アツアツなのに水をかけたらどうなるか、分からない訳がないだろうに、そんなぞんざいな扱いをしたことは、ロイコペファンはもちろん、私のように趣味とは言え20年も陶芸をしていた者にとっては、お皿に対する冒とくだと思うのだが、いかに。


さすがに、悪いと思っているようで、私が
「なんでそんなことするかな~。割れるに決まってるじゃん。」
と言うと、
「だからさっき謝ったじゃん。かちゃんが悪かったって。」
と、イラっとしながらも認めた。


そんなことが昨日あったばかりなのに、それで今日もこれだ。
なので、それ以上は言わなかったけれど、ついつい一言口をついてしまった。
「また割ったね?」

思った通り、
「も、言わんで」
との返答で、さすがに反省しているというか、もう言われたくないようだった。

母の口癖
「形あるものはいつか壊れるけん」
は、真理だと思う。

それは自然なことだと思うけれど、こうして人為的にそれが本来の時期よりも早められたことに、やるせなさを感じる。
大事に使えばもっと長持ちしたもの達なのに…。


もうやってしまったことは仕方ないけれど…。
お皿も湯呑も、私にとったら思い入れのあるものなんだけれどなぁ。

私と母の温度差はこういうところにもあって、こうして私だけが暫くちょっとだけだけど引きずって、母はさっさと次へと意識を向けて進んでゆく。

そういう潔さを私も受け継げば良かった…。
とも思うけれど、これでいいとも思ったり。

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