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遠〜い昔の思い出ひとり旅

前回2年前の旅の思い出を書きました。
今回はずーっと時間を遡ります。
もうかれこれ30年近く前、確認すると1997年のことでした。娘とアメリカに住んでいたことがあります。私がインターンシッププログラムで小学校に日本文化を教えに行き、校長先生の家にホームステーして1年過ごしました。

工作をメインにして文化を伝えることに
英語ができなくてもなんとかなりました

プログラムが終わった夏休み。帰国前に娘はYMCAのキャンプ、私はニューヨークからワシントンD.C.までのひとり旅にでました。ユースの会員になって電車とバスを使っての旅。フィラデルフィア、ボルチモア、アナポリス、ワシントンD.C.と旅しました。
アナポリスはユースがなくB&Bを予約、電話で予約したと思うけど今となっては覚えていません。泊まれたからその頃は英語が話せたらしい。

ひとり旅スタート

フィラデルフィア

マンハッタンからフィラデルフィアまでは列車で移動。改札口を出ると声をかけられた。帰りのチケットが買えないからお金が欲しい。新宿駅でも出会う光景だ。フィラデルフィアは場所によっては治安が悪い街。以前家族で来たことがあるので土地勘もあった。
ユースは街中と公園の中と2ヶ所。公園にある小さなユースを予約、バスで向かう。公園の中をしばらく歩くとユースに無事到着。
テラスで出会ったのはアメリカの退役軍人のお爺さん、ドイツから来た青年。3人で雑談、青年は兵役につく前に他の国が見たくてやって来た。私は子供に日本文化を教えに来た、なんて言ったのだろう。白髪のお爺さんはドイツの青年とキャッチボールを始めた。穏やかなひと時だたった。
翌朝ユースを出てから、会員証を忘れたのに気づいた。すぐ戻り、再度出発。すると受付の方が近道を教えてくれた。向い側の藪を抜けて崖を登ると道路にでた。確かにバス停のすぐ側だった。バスに間に合い無事に駅にもどれた。次の目的地はボルチモア。

ボルチモア

ボルチモアは「星条旗」発祥の地として知られる街です。歴史を紐解いてみてください。チェサピーク湾に位置していて、インナーハーバーには博物館や美術館やレストラン・・色々な施設があったと思う。夕立にあって雨宿りに博物館に入ったことを覚えている。
ボルチモアと言えば野球の神様ベーブルースが思い浮かびます。
そして世界初の歯科医学校ができたのがボルチモアです。ボルチモア大学に歯科博物館があります。職業柄興味があったのですが、残念なことに休館日でした。
ボルチモアのユースで夏休みにアメリカに来たと言う日本人学生に出会いました。その年、神戸で起きた事件について詳しく話してくれました。
「神戸連続・・事件」アメリカでもニュースになりましたが、私の英語理解力ではイマイチわからないところがありました。話を聞いて改めて衝撃的な事件だとわかりました。

アナポリス

アナポリスはボルチモアと同じチェサピーク湾に面しています。1845年に設立した海軍兵学校がある街です。なぜアナポリスに行こうと思ったかは覚えていませんが歴史的な建物がある街だからだと思います。
学校のキャンパス・ヤードを見学、学生の体格の良さに圧倒された記憶があります。ミュージアムを見てからB&Bへ。ステキな可愛い家でした。テラスでティーとお菓子をいただき、ユースと違ってフカフカのベッドで寝ることができて幸せでした。
アナポリスからワシントンD.C.まではバスで行きました。バス移動はドキドキします。駅前やターミナルなら良いけど、道端のバス停でバスを待つほど不安なことはありません。日本と違って時間になっても来ない。一体いつ来るのだろう。来ないかもしれない。腕時計を睨んでた。やっとバスに乗った時ほっとしたことを覚えています。
事前にバスターミナルで確認したけれどこの時のドキドキは忘れられないものです。

ワシントンD.C.

それでもワシントンD.C.に着きました。この旅の最終地点です。
ここでのユースはとてもロケーションの良いところだった。
おばさんには声をかけやすいのか、ユースの食堂で話したのは台湾から来た青年。兵役が終わり旅行していると言っていた。相部屋だった日本人のお嬢さんもインターンシップで来た。これからこちらの大学に行くと話してくれた。日本人の青年のグループを見かけた。他国の人と話さず自分達だけで固まっていた。せっかくアメリカに来たのに残念だなぁと思った。
4th of July(7/4)の花火があるとアナウンスがあり、ワシントン記念塔の広場まで行きたい人を募っていた。夜の街を皆んなで歩いて見に行った。ワイワイガヤガヤ・・何を話したのだろう。
ワシントンD.C.は以前にも来たことがある。博物館が沢山あり、1日ではとても見切れない。以前行ったことのない1993年に開館したホロコストミージアムに行った。やはり衝撃的で心に残っている。

思い出を振り返る

たった一人で旅した数日間のことを思い出して書いてみた。
30年前のアメリカは危険だったのだろうか?
その頃は携帯もスマホもない。『地球の歩き方』が頼りだった。
1990年から3年ほど家族でボストンに住んでいた。他にも何度かアメリカに行っているので私はひとり旅を決行した。半分は行ったことのがある街。
カメラを持っていかなかったのか写真はない。
今ならスマホで撮っているだろうに。
この旅で欠落しているのは食べ物の話。ニューヨークではテークアウトの
中華やスーパーで買い物をして自炊。私はグルメではないので名のある店に行った覚えはない。

私が学生だった頃、保守的な親は女の子のひとり旅なんてなかなか許してくれなかった。そんな時代、ひとり旅をする機会がなかった。結婚して家族旅行、子供を連れての旅行。なかなか一人で出かけることはなかった。
この時が初めてだったかもしれない。その為か、今でも鮮明に思い出す。
ユースの食堂に入ってきたポリスがテーブルの上に銃をドンと置いた時の驚き。マンハッタンで見た蛍の輝き。July4thの花火。
30年近く経っても目に浮かぶ、貴重な経験だった。

notoでも若者に旅を特に海外旅行を勧める記事を目にする。私も同意見である。どんな国に行ってもきっと心に残る出会いがある。もちろん一人で行く必要はない。危険をおかす必要はないが恐れる必要もない。
旅が人生を左右するきっかけになった人も多い。
日本が高度成長していた頃、もう他国から学ぶ事はないと豪語していた人がいた。そんな事はない。新しい出会い、物差しが増え、人生が豊かなものになる。そして学ぶことが沢山ある。他国に友達がいれば戦争は起きないかもしれない。

これを書いながら「今やれと言われてもできないわ。なんでできたのだろう?」と夫に話すと

「バカさだよ!」 「え?」 「若さ!若さ!」

海外旅行についていえば「行きたいと思う所の遠い場所から行きなさい」と
アドバイスされたことがあります。
若い時にはわからなかったこと。
長時間のフライトも時差ぼけも年と共に辛くなることを実感しています。

「若さ」は全ての人に与えられた宝物です。
大切にしましょう!

そして「さあ、旅へ出かけましょう」
良い出会いがありますように!


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